日本とアラブ・イスラーム世界との関係



日本とアラブ・イスラーム世界との関係は重要であるが、これは、更なる研究・分析により効果的な教訓を引き出すことが必要とされている分野でもある。いくつか例をあげるならば、両地域の関係は古い時代にまで遡る。ある日本の博物館に所蔵されているガラス器には、

ラクダの絵が描かれたものがあし、聖武天皇の時代(701~756年)の遺跡からは、ペルシア産の遺物が出土している。 。


日本研究の権威、サミール・アブドゥルハミード博士は、日本語の中にアラビア語の言葉が存在することを発見し、多くのアラブの海洋旅行記に言及されている「アルワーク・アルワーク」あるいはアル・ワーク諸島が、世界の果てにある国、あるいは諸島であることに着目した。古代における日本の名前は「ワーク」であり、そこから「ワーク」諸島が日本列島を指すことが分かる(サミール・アブドゥルハミード・イブラーヒーム、『イスラームと日本』、

アブドゥルアズィーズ王立総合図書館刊、2001年、24頁参照のこと)。「アルワーク・アルワーク」は「ワーク」という言葉の繰り返しによってできた音なのかもしれない


しかしながら、板垣雄三氏が述べているとおり、日本のアラブ・イスラーム世界との関係が密接な直接交流を行う段階に至っていた、あるいは民衆レベルでの交流があったということはできない。その疎遠さについては、日本がイスラーム世界の中心から遠く離れた東の果てに位置し、四方が海という障壁に囲まれていること、また、16世紀から19世紀半ばまで日本が鎖国を行なっていた(その間日本は内部構造の確立に専念し、日本人のアイデンティティ感情を深めることに成功した)ことからも理解することができる。

1868年に内乱が終了して江戸幕府が倒幕すると、間もなく江戸は東京と改名され、京都を継いで首都となり、明治時代が始まった。そして、日本もイスラーム世界を含む外の国々に対して、期待のまなざしを向けるようになったのである

アラブマガジン介