アラブの諺

その−5 良い事が起こったらそれはアッラーのおかげ、悪いことが起こったらそれはみんなお前らのせいだ

 私たちは良い事が起こればそれをしてくれた人に感謝をし、悪いことが起これば何か祟りでもあるのか、と気にします。

 イスラムを信仰する人々は良いことが起これば、人より先にまずアッラーに感謝を捧げますが、それは彼の深い信仰心を表わしているといってもよいでしょう。すなわち、神がその人をして良いことをなさしめた、ということです。

 これはキリスト教でも同じです。また、彼らが喜びをあまり顔に出さないために、しばしば日本人が自分の行為が伝わっていないのではないかと誤解してしまうのは、アラブ人には喜びを表面に出すことが誉められるべき事ではなく、むしろ喜びを押さえる人ほど尊敬される……との道徳上のことだからです。(サニア・アハマディ教授著、アラブ人の気質と性格—サイマル出版)

 私たち日本人もまた、喜怒哀楽を押さえる民族ですが、人の親切については、過度なほどお礼を言わずにはいられません。また、悪いことや失敗がおこった場合は、自己弁護はせずウヤムヤの内に葬ってしまうか、くよくよ悩むのが常です。

 しかし、「アラブ人は失敗、汚名に対する反応が防衛的でなく攻撃的な特性がる……アラブ人は自己または国家的な不運に対しその責任を引き受けようとしない。そのかわりに一切の責めを個人に押し付けようとする傾向にある」とサニア・アハマディ教授は同著で述べています。

 アラビアの生活の中で、私はしばしばこのような出来事に出くわしました。私の好意が全然相手に通じないので、怒ったり悩んだりした事もあります。

 これは、日本人の感受性がアラブの考え方と逆ですからそうなるので、彼らはけっして、人の親切を無視したり忘れたりしていません。思いがけないときに親切が返ってくるので、その時までいやな野郎だなと敬遠していた自分が情けなくなりました。こうした出来事は、中東に赴任した日本人ビジネスマンの多くが経験したのではないかと推測されます。

 また、彼らの言い訳についても前章で述べたオスマンの例で彼が見せた攻撃的な言い訳の態度がこれを如実にしていると考えられます。ところが、私はやはり日本人、自分の失敗を棚に上げやがって……との腹立たしい気持ちは、残念ながら帰国するまで残りました。

 長年のアラビアの生活が染み付いてしまったのか、日本に帰任してから、自分の失策を知らず知らずのうちに他人に押し付けて、それを人から注意されるまで気がつかなかった、ということがありました。ところで、最近、テレビのニュースを見ていると日本人はアラブ人に似てきましたねえ、これも、社会のグローバル化、ボーダーレス化なのでしょうか。


その−6 物の値段は交渉できめるべきである

 アラビアのスーク〔市場〕の喧騒はものすごいものです。築地の魚市場のセリやアメ横のオッサンの威勢のよい声とは一寸違って、まるで喧嘩をしているようです。実はお客と売り手が品物の値引き交渉をしているところなのです。たとえば、1000円の買い物をするとします。するとお客は

「駄目だ、駄目だ。そんな値段じゃ買えないよ、300円にしなよ」

と、考えられないほど大幅な値引きを求めます。

「そんな、無茶な、お客サン、それじゃあ、足が出てしまうよ。かみサンと8人の子供がアッシが銭を持って帰るのを待ってんですぜ、これでどうやって暮らしていけるんだね、エエエッツ! 500円にしろだって……それじゃあドロボー同然だあ。

 旦那、社長サン、いえ、大統領! 勘弁してくださいよ、これはここにしか売っていない品物ですよ、エイッ! 清水の舞台から飛び降りた気持ちで(まさかこんなことは言いませんが……)700円にまけときます」

 こんな調子で大袈裟な身振りと口角泡を飛ばす喧嘩腰は、双方に折り合いがつくまで延々と続きます。

 二人とも駆け引きを楽しんでいるわけですから、売り手はコーラやお茶を出してお客をひきとめ、まだ商談を続けるつもりです。交渉がまとまらなくてもまた、明日いらっしゃい! アッラーの恵みがありますように、と笑顔で送りだしてくれます。日本だったら「お客サン商売の邪魔だ、とっとと、けえってくれ!」と追い出されてしまうでしょう。

 ことわざには『物の値段は交渉で決めるべきである』とあります。つまり、売り手も買い手も納得がゆく値段まで交渉を続け、買い手はほしいものが安く手に入りました、また、売り手も良い商売ができました……と、それぞれがアッラーに感謝をするのです。ですから、日本の誰がサンのように、ちくしょう! だまされた、と後になって悔やむことはないのです。

 とすれば、アラブには「安物買いの銭失い」という諺はないのかもしれません。そういえば、サダム・フセインさんがこうしたアラブ流の交渉しようとしても、ブッシュの旦那はぜんぜん相手にしないので、面食らっていたでしょうね。

 東京にアラブのVIPが来たので、そのアテンドをすることになりました。ご夫妻を連れて京都に観光にでかけました。しかし、お寺や嵐山などにはまったく興味を示さず、やはり買い物が一番でした。

 京都クラフト・センターで奥さんは、手に一杯品物をもってカウンターに行き、店員は当然のことラッピングをはじめました。すると、奥さんがなにか叫んでいるので行ったところ、「まけろ」と通訳してくれとのことでした。

 仕方なく、店員にその旨をいいましたが、勿論、断られました。すると、奥さんは「じゃあ、いらない」とさっさと帰るフリをします。今度は店員が怒りはじめ、ラッピングをはがしはじめました。(京都の人はもっとおとなしいかと思っていましたが意外でした)。

 びっくりしたのはアラブの奥さんです。普通アラブ世界では、まけないなら帰るとお客がいうと、店員は「ちょっと、待ってくれ」と、これはどうかと別の品物を見せそれからまた交渉がはじまるわけですから。

 私はとっさにウソをついて、今日は特別のバーゲンセールです。ご覧のように店員の数が少ないので交渉抜きで、あらかじめベストの割引値段をつけてあるのです。それに、店員はオーナーからこれ以上値引きするオーソライゼーションを与えられていない、といってようやく了解してもらいました。

 店員にもこうしたアラブの事情を説明して再びラッピングしてもらいましたが、帰りぎわ、うしろで「けったいなお客やな」と云う声が聞こえたので、ガックリしました。ですから、東京では秋葉原の買い物の際に「ここはアラブのスーク(市場)と同じだから、どうぞ楽しんで来て下さい」と私は駅の入口でじっと待っていました。店員が駅に運んできた山のような荷物をタクシーでホテルまで運ぶてんやわんやのエピソードについては、ご想像におまかせします。


その−7 女房が隣人と喧嘩しているあいだに亭主は女房と仲直り

 古今東西どこにでもあることですね、ことさらの説明をする必要はないでしょう。自分に向けられた非難が他人に転嫁できるのですから、隣人と奥さんが喧嘩を始めたら積極的に奥さんの応援をしましょう。

 ある日の会議で私はアラブ人のA部長が私のことをひどく恨んでいて私の悪口を言いふらしていることを聞きました。当然、私と彼は不仲になって、その後の会議の席上ではそっぽをむいて口も利きませんでした。

 ある政府の役人との会議があって、私もA部長も出席した時のことです。話がこじれてA部長が徹底的に非難されました。私も会社側の代表ですから私も彼の弁護をしました。口論のあげく、お役人はエンピツを机にたたきつけて出ていってしまいました。事態を収拾するために彼と協議しお互いの協力の末、ようやくその件は円満解決しました。

 その後、私はA部長のオフィスに行く機会があったので、お茶を飲みながら私を恨んでいるとのうわさを聞いたが、とたずねました。彼はそのことをもう忘れてくれ、もうすんだことだ、ただ、あなたが大勢の前で私の恥を非難し私の名誉を傷つけたからだ、今度からは会議の席でなく私に直接言ってほしい、と言いました。

 それから我々二人は散々あの政府の役人の悪口を言い合って、さっぱりした気分で帰りました。なるほど、『女房が隣人と喧嘩をしているあいだ、亭主は女房と仲直り』の諺どおりですね。しかし、別の諺に曰く、『相手を憎んでも和解の余地を残しておけ』。また、『敵の敵は味方である』とありますから、A部長は一枚役者が上だったかもしれません。

今枝幹雄(NPO法人先端医療情報センター理事、元アラビア石油社員)


(※役職名等は、すべて当時のものです)


転載:「日本サウディアラビア協会報」
No.213 March2004

(2007年11月22日更新)













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