アラブの馬、あれこれ

田中 誠(日本中央競馬会理事)

 1900年(明治33年)北清事変、義和団の乱とも呼ばれる中国(当時「清」)の反植民地抵抗運動に対して、列強各国(日本、ロシア、イギリス、アメリカ、ドイツ、フランス、オーストリア、イタリア)は軍隊を派遣しました。
バイアリー ターク
バイアリー ターク

 地理的に中国に近接していることもあり、日本とロシアがその中核だったようですが、そこで日本陸軍は軍馬に関して大恥をかくことになりました。日本の在来馬が劣等であることは以前から気づかれており、明治の初めから外国馬の血を導入して馬の改良に着手していたのですが、北清事変の時点ではまだまだ成果のあがる状況ではありませんでした。

 体格が悪いことに加えて調教が不十分で、役に立たないばかりか各国に迷惑をかける始末、日本の軍馬は大いに嘲笑されてしまったのです。4年後の1904年の日露戦争ではロシアのコサック騎兵と戦うことになりましたが、彼我の格差は歴然としており、ますます日本の馬の改良に必要が痛感されました。

 そして、軍用乗馬改良のために輸入されたのは、アラブ種、サラブレッド種、そして純血アラブと純血サラブレッドの交配によって創られたアングロ・アラブ種でした。

 馬は農耕、輸送その他いろいろな役割を人間のために果たしていますが、極めて重要なのは軍馬としての役割であり、馬は戦場における主要な兵器だったのです。機械力を利用した兵器が本格登場する第1次世界大戦の以前においては、兵器としての馬あればこそ東西の巨大帝国は成立したといっても決して過言ではないでしょう。

 そのような中で明治の日本の馬は、各国の馬がジェット機だとすればプロペラ機のようなものだったのです。

 さて、乗用軍馬としての優秀さということになれば、何よりもアラブの馬です。性質従順にして機動性は抜群、しかも戦闘においていささかも動揺することなく、主人のために一命を投げ出すこともいとわない、というのがアラブの馬です。

 アラブの馬については次のような伝説があります。イスラム教の開祖ムハンマドが牝馬たちに水を与えず、炎天下に放置しておきました。牝馬たちの喉がからからに渇いたころに水飲み場への柵を開き、そこへ殺到する牝馬たちに向かって戻ってくるように号令をかけました。

 その号令に従って水を飲むのを自制してムハンマドのところへ戻ってきた5頭の牝馬が今日のアラブの馬の基礎となったというのです。この伝説に象徴される優秀なアラブの馬はヨーロッパにもどんどん導入され、ヨーロッパの馬が改良されました。そして将軍クラスの乗馬としては純血アラブが選ばれました。戦場においてひるまないというその性質が、将軍の戦場における権威を高める上で大いに評価されていたのです。

 皇帝ナポレオンが乗っていたのもアラブの馬で、有名なのは芦毛の牝馬「マレンゴ」です。昭和天皇が国民の前に登場する時に乗っていた白馬「白雪号」もアラブの馬です。日露戦争旅順陥落において降伏したロシアの将軍ステッセルから乃木将軍に贈られた馬、ステッセルに因んでその後「壽号」と名付けられた馬もアラブの馬でした。

 砂漠の戦争においては馬の戦闘能力をいかに消耗させずに戦場まで運ぶかが勝敗を決める非常に重要な要素でした。ラクダも戦闘に使われましたが、機動性という意味では馬の戦闘能力のほうが圧倒的でした。

 したがって、ラクダは馬を戦場に派遣するために必要な糧秣等の輸送を担当し、どれだけのラクダ部隊を有するかということは戦闘能力を維持した馬をどれだけ戦場に派遣できるかという軍隊の兵站能力を示すものでした。アラブの馬をジェット戦闘機だとすれば、ラクダ部隊は航空母艦の役割を果たしていたということになります。

 時代は移り、軍用としての馬の意義は皆無に等しくなり、馬といえば競馬の時代となりました。そして、スピードに優れたサラブレッドの全盛の時代となりました。サラブレッドは性質が過敏で、気性が激しく、軍用馬としてはアラブの馬に比べて難点がありました。しかし、スピードを競うという点では何よりもサラブレッドだったのです。

 サラブレッドとは父母ともにイギリスの血統書「ゼネラル・スタッド・ブック」に登録された馬から生まれたものをいうのですが、もともとはイギリスの在来種とアラブの馬の交配から創り出された馬です。そして、すべてのサラブレッドはその父系の血統をさかのぼれば、3頭のアラブの牝馬、バイアリー ターク、ダーレー アラビアン、ゴドルフィン アラビアンに到達します。
ダーレー アラビアン
ダーレー アラビアン
ゴドルフィン アラビアン
ゴドルフィン アラビアン


 スピードがもっぱら問題となる競馬の世界ではサラブレッドにその席を譲った感のあるアラブの馬ですが、戦場で示されたその能力から明らかなように人間との付き合いという総合力ではアラブの馬が最高の評価を受けています。日本でも最近始められたエンデュランス(耐久競技、その距離は最長160キロに及ぶ)で最適とされているのがアラブの馬であることは、このことの何よりの象徴でしょう。

 日本で現在撃養されている純血アラブとしては、平成7年に皇太子殿下が中東歴訪時にオマーンのカブス国王から贈られた「アハージージュ」が有名で、那須の御料牧場に撃養されています。また、中央競馬会が平成6年にドバイ国際騎手チャレンジ競走の記念としてマクツーム殿下から寄贈を受けた純血アラブ「ベイエミネンス」は、世田谷の馬事公苑に撃養されており、演技を披露するなどして人々に親しまれています。

 日本における純血アラブの撃養は現在わずかな頭数にすぎないようですが、競馬の隆盛が乗馬などの馬の文化一般の広がりにつながっていけば、純血アラブの導入は今後進んでいくでしょう。

 馬への愛の最高の到達点にアラブの馬がいるのです。

日本の種牡馬の父系(産駒の獲得賞金による2003年種牡馬ランキング ベスト50)

(Ⅰ)Darley Arabian(1700生)を父祖とする種牡馬(エクリプス系)
① Nasrullah(1940生)を経由する馬(7頭)
 4位 : トニービン
 5位 : サクラバクシンオー
19位 : タマモクロス
28位 : サクラローレル
29位 : スターオブコジーン
37位 : サクラチトセオー
38位 : パラダイスクリーク

② Hail to Reason(1958生)を経由する馬(12頭)
 1位 : サンデーサイレンス
 2位 : ブライアンズタイム
 3位 : ダンスインザダーク
 7位 : フジキセキ
13位 : バブルガムフェロー
17位 : タイキシャトル
22位 : マヤノトップガン
30位 : ジョリーズヘイロー
33位 : マーベラスサンデー
35位 : ジェニュイン
42位 : Kris S
45位 : サニーブライアン

③ Northern Dancer(1961生)を経由する馬(15頭)
 9位 : コマンダーインチーフ
12位 : メジロライアン
15位 : ラムタラ
18位 : デインヒル
20位 : フサイチコンコルド
23位 : エリシオ
24位 : オペラハウス
25位 : アンバーシャダイ
26位 : ラストタイクーン
31位 : ダンシングブレーブ
36位 : ペンタイア
46位 : ホワイトマズル48位 : アジュディケーティング
49位 : カーネギー
50位 : ギェネラス

④ Raise e Native(1961生)を経由する馬(11頭)
 6位 : フォーティーナイナー
 8位 : アフリート
10位 : ジェイドロバリー
11位 : ティンバーカントリー
32位 : スキャン
34位 : リンドシェーバー
39位 : ブラックタイアッフェアー
40位 : エンドスイープ
43位 : サンダーガルチ
44位 : キンググローリアス
47位 : Kingmambo
その他のエクリプス系
16位 : サッカーボーイ
41位 : Pleasamt Tap

(Ⅱ)Godolphin Arabian(1680生)を父祖とする種牡馬(マッチェム系)
14位 : ウォーニング

(Ⅲ)Byerley Turk(1680生)を父祖とする種牡馬(ヘロド系)
21位 : トーカイテイオー
27位 : メジロマックイーン
馬事公苑のベイエミネンス
馬事公苑のベイエミネンス



(※役職名等は、すべて当時のものです)


転載:「日本サウディアラビア協会報」
No.212 March2004

(2007年8月31日更新)













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