20年ぶりに古巣サウディアラビアでアラビア書道個展

キング ファイサル財団のイスラーム学術研究センターからの招待を受け、昨年12月28日より1月3日までサウディアラビア、リヤードにてアラビア書道の個展を開催する機会に恵まれた。招待状が来たのは昨年の7月。2002年の文化的事業の一環として私のアラビア書道作品の個展を開きたいということであった。こちらとしてもあまりに急な話であったので年末くらいなら可能かもしれないと返事をしておいたのだが、とんとん拍子に話が進み今回実現の運びとなったわけである。

私がサウディアラビアで初めてアラビア書道に出会ったのはもうかれこれ20年以上前のことだが、20年後にアラビア書道家として招待され、サウディアラビアの地で個展を開催していただけるなどとは夢にも思わなかった。私は、今までサウディを第2の故郷のように思っていたのだが、20年ぶりで訪れてみると、その変貌ぶりは驚くばかりであった。私はまさに今浦島という感じがした。私がアラビア書道に出会った当時のリヤードというと飛行場からスークまで続く大通りがあるだけであったと記憶していたのだが、今回行ってみると何十倍にも拡がり、高層建築が林立する巨大なメトロポリタン都市に変貌していた。

なかでも一際目立つ竹の子のような形の高層建築がファイサル財団のインテリジェントビル「ファイサリーヤ」であった。私の個展はファイサリーヤに付随したファイサルセンターで行われた。ファイサル財団はイスラームの名君の誉れ高かった故ファイサル国王の遺徳を受け継ぎ、イスラームの宗教的・学術的活動を進めているばかりでなく、営利事業も大規模に手がけている世界的な団体であり、「アラブ世界のノーベル賞」といわれている「ファイサル賞」を主催する団体としても有名である。

個展会場には小学校や中学校の生徒たちがクラスごとに引率の先生と共に途切れることなく訪れるなど連日盛況で、応対におおわらわであった。そしてこれまでの個展の例に漏れず、書道のワークショップが開かれ、会場の一隅で私が書き始めるやいなや黒山の人だかりができ、我先に自分の名前を書いてくれと迫って来るほどで、会場だけではこなしきれずホテルに帰ってからも何人もの名前を書かなければならないほどであった。会場に関してサウディアラビア特有なことは、女性だけが会場に来ることを決めた日が一日割り当てられていたことであった。その日、男性は会場には入れないこととなっていて、私でさえも会場に行ってはいけないと主催者側からきつく言われた。何とも奇妙な話であるが、ここはサウディアラビアであって日本ではないと自分に言い聞かせて納得した。翌日、昨日はどのようであったかを尋ねたところ、会場は黒ずくめの女性で満員だったと聞いて満足感を覚えた。

今回の個展の反応はすこぶるよく、ほかの地域よりも理解度が深かったのではないかと思えた。現地の新聞でも大きく扱われたが、その見出しは、「日本のイノベーション、アラビア書道にまで到達」というような見出しであった。私個人としては20年以上も前に、一企業の職員としてがむしゃらに働いていた場所で、今度はこのような形で戻ってくることができようとは人生の不思議さにほとほと驚いた次第である。

最後に、このような機会を与えてくれたキング ファイサル財団、特にキング ファイサル イスラーム学術研究センターに心からの謝意を表したい。

本田孝一(アラビア書道家・大東文化大学国際関係学部教授)


「クルアーン第1章開端章」筆者の作品(スルス書体、2002年作)
「クルアーン第1章開端章」筆者の作品(スルス書体、2002年作)
 
キング ファイサル財団イスラーム学術研究センター会長のトルキーファイサル殿下を案内する筆者
キング ファイサル財団イスラーム学術研究センター会長の
トルキーファイサル殿下を案内する筆者


見学の生徒たちに説明する筆者
見学の生徒たちに説明する筆者
現地英字紙の報道
現地英字紙の報道

転載:「日本サウディアラビア協会報」
No.210 March2003













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