日・サ青年の交流


「伝統ある文化と困難に立ち向かう日本国民」
—サウディ青年ミッション訪日印象記—


話は2002年9月18日の何日が前に始まります。その時、サウディ青年派遣団は日本へ出発する準備をしていました。日本への旅は、多種多様な分野での協力関係を強化しようと、サウディアラビア・日本間で取り交わされた諸々の協定で決められたものです。

青年交流の分野には両国政府が強い関心を寄せており、日本側はこの旅を成功させるべく、活発な動きを見せていました。日本大使館を訪れて分かったことは、日本の外務省が中心となり在京サウディアラビア大使館等関係者と連絡を取りながら準備を進めて下さるなど、われわれ派遣団が任務を全うできるよう、関係者の皆さんが受け入れ準備に努力して下さっていることでした。その努力は私たちアジアの二つの国と二つの社会が友情と親善の絆を強くするために払われていたのです。

このことは、それまで両国の指導層や担当者たちの間で行われていた相互の協定、会議、訪問の結果、両国関係の領域が伸展したことを示しております。とりわけ1998年のアブドッラー イブン アブドルアジーズ皇太子殿下の訪日の際には、日本・サウディアラビア協力アジェンダが署名され、これにより青年福祉庁副長官ナウワーフ イブン ファイサル イブン ファハド アブドルアジーズ殿下の訪日や、2001年1月の河野洋平外務大臣(当時)の湾岸諸国歴訪が行われました。河野氏はこの歴訪で湾岸諸国と多様な関係を具現し、サウディアラビアはじめ関係諸国から歓迎と支持を得ました。

そのような背景下、エンジニア、医師、教師など種々の職種を代表するサウディ人有識者で構成されたわれわれ派遣団は成田空港に到着しました。着くや否や、日本側の受け入れ担当の方々から丁重な出迎えを受け、日本滞在中の日程や、想像を超える歓迎行事について説明を受けました。今回の訪日は、私たちサウディ派遣団の団員にとって、日本の文明・文化のほか、日本が広範囲な分野で成し遂げた発展を視察する良い機会でした。工場や大学の視察、史跡の見学などは、私たちがこの歴史ある国の文化や社会や、発展と繁栄をもたらした背景をより詳細に知る上で大いに役立ちました。とくに、日本人の家庭を訪問して数時間を過ごしたことは最も貴重な経験でした。

9千年以上の歴史と文化に根ざす日本国民は、地理的条件、地質構造、戦争、天災などの悪条件を経験しながらも、勇気、闘志、決意によって困難に打ち勝ち、不朽の文化を創造しました。彼らは困難に向かって立ち上がり、試練を転じて今日の日本が達成した進歩・繁栄の糧としました。第二次世界大戦中、日本の国民と国土を殲滅するために投下された原子爆弾は数十万人の住民を死傷させ、広島、長崎両市とその周辺地域を壊滅させました。この攻撃は日本人が直面した試練の最たるものでありました。原爆という大量無差別殺戮兵器を使って広島、長崎を攻撃したのは、日本が国力を蓄え、帝国主義に傾斜して軍事力と経済力を強め、アジア大陸に進出していた帝国主義列強と競合するまでに成長したことが、西側連合諸国の脅威となった結果であります。今回の日本訪問で私たちは広島の原爆記念館を見学し、原爆がいかに残酷な殺戮と破壊をもたらしたかを目の当たりにしました。人々も動物も植物も、徹底的に破壊されたのです。しかし日本人の力と決意は、国際的に禁じられた兵器の殺傷力よりはるかに強かったのです。彼らは、大量殺傷兵器によって破壊された荒廃を前にして涙に暮れて座することなく、瓦礫の下から這い出て、復興の基礎作業に取り掛かりました。人々はあるいは建設に、あるいは修復にあるいは戦争の傷跡の除去にとりかかったのです。最も大きな変化は復讐心と、武力と傲慢さへの回帰を除去したことでした。

変化の第一点は、日本国民は強い決意をもって、戦争が破壊したものの復旧に立ち上がり、国の基礎構造を復元したことです。保健や環境の面では、科学者や医師らが放射性物質による環境汚染が及ぼす死の危険を除去するために努力を結集しました。科学者たちの一致した考えでは、放射性物質の害は70年間も持続するといわれます。医薬品や科学製品を生産する多くの実験室でも、人間や動物に及ぼす危険を除去する研究を続けました。

広島とその周辺地域を訪れた私たちは、国土を襲った破壊の跡を消去するために日本の人々が恐怖を乗り越えて努力したことに強い感銘を受けました。その結果、国土に緑が戻って来、実を付けました。樹々が育って深い森林が復活しました。渓谷にも山々にも魅力ある自然美が戻りました。そして何よりも、人々の顔に微笑が戻って来たのです。

第二点は、普通、戦争は対立する勢力が銃砲、戦車、爆弾、ロケットなどを使って戦い、より強大な兵器を大量に持つ方が勝利を得るものですが、この点では日本人は、戦争の終結と同時に、平和の情勢に見合った経済に関心を払いました。彼らはその情勢を戦後日本を復興させる道具として採用したのです。日本人は戦後直ちに経済戦争に入り、競合する世界の他の国に勝る巨大な経済基盤をつくりあげました。そして新製品の開発と製造の時代を創出し、世界の市場を例外なく日本製品で満たしました。日本製品の参入に工業諸国は障壁や制約などの対策を講じましたが、日本は高い技術、低価格、広範な流通、潤沢な生産量によって競争に勝ち抜きました。そのため、不況に襲われ、それが経済分野に波及した工業諸国は日本に対して強く抗議したほどですが、これを政治アナリストは戦争の一つの形と考えますが、これこそ過去数十年もの長い間、日本に利益をもたらした転進であったのです。

ファラハ アル・オタイビー(サウディ青年福祉庁副長官室長代理)


立法府の象徴 国会議事堂を見学 外務省中東二課 林 地域調整官へ記念品を渡すハーリド アル・マハブーブ団長
立法府の象徴 国会議事堂を見学 外務省中東二課 林 地域調整官へ
記念品を渡すハーリド アル・マハブーブ団長
 
外務省歓迎レセプションで日本の学生達と懇談
外務省歓迎レセプションで日本の学生達と懇談
 

転載:「日本サウディアラビア協会報」
No.210 March2003













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