アラビア・コーヒーはカルダモンの香り

‐香料交易に活躍したアラビア商人‐
うえの ていじ 

香辛料の交易で巨富と築く
 東南アジアの地図を開いてみてください。セレベス島とニューギニア島の間、赤道の南北にモルッカス諸島(マルク諸島と書いてある地図もある)が散らばっています。これらの島々は古くから胡椒やクローヴ(clove丁字)など香辛料(スパイス)の特産地として知られ、香料群島とかスパイス諸島の別名で呼ばれていました。とくにヨーロッパ人が重宝したクローヴの唯一の産地でもあったので、16世紀から17世紀にかけてヨーロッパ諸国が猛烈な争奪戦を繰り広げました。

 古来、肉や魚を保存したり、くさみを消したりするのに重宝されていた香辛料への欲求はローマ時代以降ますます高まりました。香辛料の多くが遥か東方の高温多湿な地方の産物であったので、ヨーロッパでの希少価値は大へん高いものでした。とくに胡椒、クローヴ、シナモン(肉桂)に対するヨーロッパ人の憧れは、金銀宝石に対する欲望に等しいほどでした。

 そこに目をつけたのがアラビア商人です。彼らがダウ船(アラビア湾岸諸国で今も商業活動に使われている木造帆船)に積んで南インドやセイロン島(現在のスリランカ)、モルッカスあたりから運んで来たクローヴ、ナツメグ(にくずく)、シナモン、胡椒、しょうが、カルダモン(しょうずく)などの香辛料は、アラビア半島南岸のハドラマウトとシリアを結ぶ「香料ルート」を経て、コンスタンチノープル(現在のイスタンブール)やアレキサンドリアに集められ、そこからヨーロッパの香料取引中心地ヴェネツィアに運ばれました。

 この香料ルートの中心にあったのがメッカです。メッカの商人たちは香料の中継貿易によって莫大な利益をあげていましたが、イスラームの始祖ムハンマド(マホメット)もこうした香料商人の一人でした。彼は、未亡人で豪商でもあったハディージャ・ビント・ホワイリドに雇われ、キャラバンを率いて香辛料はじめ東方の物産をシリアに運び、メッカへの帰路はコンスタンチノープルから来た西方の商品を持ち帰り、莫大な富を彼女にもたらしました。このハディージャこそがのちにムハンマドの賢妻となった女性だったのです。

 こうして数百年もの長い間、アラビア商人やヴェネツィア商人は香辛料の交易に携わって巨富を築くことができました。しかし、14世紀に小アジアのオスマン族がオスマン・トルコ帝国を興して次第に勢力をのばし、1453年にコンスタンチノープルを占領、東ローマ帝国を滅ぼすと、ヨーロッパとインドとの交易を妨害したので、熱帯産香辛料の供給を断たれたヨーロッパ人の間にインド航路探索の気運が盛り上がりました。

 インド航路開拓に先鞭をつけたのはポルトガルでした。1497年7月、リスボンを出港したポルトガル人ヴァスコ・ダ・ガマはアフリカ西岸沿いに南下、喜望峰を回って東岸のマリンディに着きました。ガマはここで雇い入れたアラビア人の水先案内人アハマド・イブン・マージドに導かれて、1498年5月、インド南西岸のカリカットに到着しました。ヨーロッパ人の悲願であったインド航路発見に成功したヴァスコ・ダ・ガマは、大量の胡椒やシナモンを積んでリスボンに引き揚げました。これにより、それまでインド洋を支配していたアラビア商人に代わってポルトガル商人がアジアに進出してくることになります。
アラビア人はカルダモンが好き
 アラビア商人が香辛料交易に果たした役割があまりにも大きかったので、いつの間にかアラビアそのものが香辛料の故郷と考えられるようになりました。たしかにアラビア人は多種多様の香辛料をふんだんに使った料理を好み、コーヒーや紅茶にも強いスパイスを入れ、人々が集まれば香を焚いて匂いを楽しみます。だからアラビアが香辛料や香の本場だといわれるのは無理のないことですが、実際にはアラビア半島で栽培されたり生産される香辛料や香はなく、わずかにエジプトやシリアでクミンやサフランが栽培されているだけです。

 にもかかわらず、アラビア人は香辛料に対して大へん強い執着心をもっています。おそらく、炎暑の気候のために体力が消耗するのを防いだり、食欲を増進させたり、体温を下げたり、消化を助けたりする、香辛料の効用を考えるからでしょうが、それ以上にすでに古くから香辛料が生活に密着しており、からだの方が自然と香辛料を要求しているとも考えられます。

 さて、アラビア人の好む香辛料の王様は何と言ってもカルダモンです。読者の中には、アラブ諸国でアラビア・コーヒーのもてなしを受けた方がおられることと思います。コーヒーのサービス係は、手のひらに入るぐらいの小さな、日本酒の猪口のようなカップをいくつも重ねて右手に持ち、左手にダッラと称する真鍮製のポットを持って現れます。彼はそのポットから薄い黄褐色の液体をカップに注ぎ込み、客にすすめてまわります。初めてアラビア・コーヒーをすすめられた人は、飲み慣れた濃褐色で芳香を放つコーヒーとは色も香りも味もまったく違う、煎じ薬のような飲み物が果たしてコーヒーなのかと首をかしげます。砂糖は使われていないし、強いスパイスのにおいがツンと鼻につく。しかし、アラビカ種コーヒーとカルダモンの種子を荒挽きして煮立てた、このアラビア・コーヒーこそがコーヒーの原形なのです。

 コーヒーの原産地はエチオピアです。紅海をへだてた対岸のイェメンで栽培されるようになり、コーヒーはアラビア半島から東西に普及していきました。モカという高級銘柄は、かつてイェメン産コーヒーの集散地として栄えた港町モカに由来します。コーヒーの本家はアラビアにあり、アラビア人が独自のコーヒーのたしなみ方を持っていても不思議ではないのです。私たちが好むブラジルやコロンビア産のコーヒーは、18世紀以降に南米に伝えられ栽培が始められたものです。

 アラビア人との親密度や信頼関係はコーヒーの杯数で決まります。アラビア人を訪問するとアラビア・コーヒーが出されるので、度々訪問する人は数多くの杯数のアラビア・コーヒーを飲んでいることになります。アラビア人は、とりたてて用事がなくとも客人が訪ねてくれることを好み、たとえ「こんにちは、元気かい」の挨拶だけでも顔を見せてくれる人に対しては友情や信頼を寄せます。こうしてコーヒーの杯数が親密度や信頼関係を示す目安になるのに対し、必要な時にだけ訪れて来る人に対しては、アラビア人はそれなりの対応しかしません。
転載:「日本サウディアラビア協会報」
No.202 August 1999

(2007年4月6日更新)













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