サウディアラビア王国建国100年祭開催 2

 さて、ここに大変に興味深いサウディアラビア王国建国の父アブドルアジーズ初代国王のマスマク城奪回の模様が詳しく記載されている現地出版の歴史書(アラビア語)があるので今回の建国100周年を記念し、その部分を翻訳して紹介する。会員各位に送付済みの当協会出版の「アブドルアジーズ王の生涯」とあわせ、お読みいただきたい。

サウディアラビア王国の幕あけ

−歴史に残る大奇襲−
東部地域の砂漠を進軍するアブドルアジーズ軍(1911年3月)
東部地域の砂漠を進軍するアブドルアジーズ軍(1911年3月)
 現サウディアラビア王国の建国の父アブドルアジーズ(通称イブン・サウード)は1880年サウード家の嫡子としてリヤードで産声をあげた。当時のサウード家は内部抗争と、リヤード北部ハーイルに本拠を構えていたイブン・ラシード家の介入により弱体化していた。アブドルアジーズの父アブドルラハマーンはイブン・ラシード家に対し頑強に抵抗を続けたが、力及ばず遂にリヤードを追われ、1892年家族共々、クウェイトに亡命した。アブドルアジーズが12歳の時であった。

 サウード家再興の期待を一身に担ったアブドルアジーズは、クルアーン(コーラン)とイスラーム法を学ぶかたわら、武器の使用法の習得、乗馬の練習に励む厳しい日々をクウェイトで過ごした。砂漠のベドウィンにまじり、少量のなつめやしとラクダの固形乳のみで、過酷な砂漠を何日間も旅するという苦しい訓練も積み重ねた。これらの苛烈な鍛錬によりアブドルアジーズは強靭な体力と不屈の精神力を培ったのである。

 1900年、クウェイト首長ムバーラク アル・サバーハは、サバーハ家とサウード家の共通の敵であるイブン・ラシード家を撃つべく大軍隊を編成し遠征の旅に出た。アブドルアジーズが父とともにこの遠征軍に参加したのは言うまでもない。遠征軍がナジド地方にさしかかるころアブドルアジーズは、この軍隊が統率のとれていない混成軍であり、明確な目的意識に欠けていると感じた。彼は明確な目的のない軍隊は容易に敗れるのではないかと危惧の念を抱いた。また彼は有能な指揮官を有するのが軍隊の長所だと考えており、遠征軍にはこの長所も欠如していると感じた。

 こうした危惧の念にかられた彼は、戦局を少しでも有利な方向に導くためにイブン・ラシードを撹乱させようと思い立った。彼はムバーラク首長の前に進み出て、遠征軍の一部を自分の指揮下に置き、ナジドの中心地リヤードへ向かいたい旨、申し出た。ムバーラク首長はこの危険きわまる戦法に驚きはしたものの、アブドルアジーズの願いを聞きとどけ、自分の思う通りに行動してよい旨、許可を与えた。アブドルアジーズは直ちに作戦を開始、小隊を率いてリヤードへ進軍すると、またたくまにリヤード周辺を占領した。

 一方、ムバーラク首長の率いる遠征軍は、“アル・サリーフ”という場所でイブン・ラシード群と遭遇し、数回の戦闘の後、ムバーラク軍はもろくも破れ兵は雲散してしまった。アブドルアジーズの恐れていたことが現実となってしまったのである。遠征軍の敗戦の報がリヤードにもたらされると、アブドルアジーズは、イブン・ラシードが必ずやリヤードに向かってくるに違いないと判断し、形勢の不利を悟り急遽リヤードから退却しクウェイトへ引き帰した。この時のリヤード進撃の経験はアブドルアジーズに大きな自信を植えつけた。

 クウェイトに戻ったアブドルアジーズはリヤード奪回の計画を練り始め、以下の結論に達した。

 1) 兵数を最小限にとどめ、密かにナジド内部に侵入する。
 2) リヤード郊外に終結し、日中は行動せず、真夜中になるまで待機する。
 3) リヤード城(マスマク砦)を奇襲攻撃し、総督を殺害すると同時にサウード家の政権樹立を布告する。

 アブドルアジーズは計画の実行にあたり、(1)目的地に早く到着すること、(2)迅速な行動、(3)奇襲、の3点を重要視し、これらが相俟って勝利を可能にすると信じていた。彼はこのリヤード奇襲計画の兵力として40人の部下を厳選した。彼らは、アブドルアジーズが父と共にリヤードから追放された時、サウード家に忠誠を誓い、アブドルアジーズ父子と共に行動を一にしてきた臥薪嘗胆の仲間達であった。アブドルアジーズの弟ムハンマド、従兄弟のアブダッラー・イブン・ジルウィー、そしてアブドルアジーズ・イブン・ムサーイド・イブン・ジルウィーなどが含まれていた(このジルウィー家はのちに東部地域の知事に任じられサウード王家の一翼をになった)。

 1901年11月、アブドルアジーズ軍は闇に紛れて密かにクウェイトを進発した。彼は敵の諜報網が彼らの行動を絶えず監視しているのを知っていた。敵にさとられないよう彼は部下と共に砂漠の道なき道を進み、リヤード方面へは向かわず、わざと南下してアル・ルブアル・ハーリー砂漠の奥深くに姿を隠した。彼らはそこにしばらく滞在した後、各々個別の道をとり、敵の目をごまかしながら計画通りリヤードへ向かった。

 日中は眠り、夜間に進むという慎重な行動をとり、1902年1月、密かにリヤード郊外に到着した。彼のとった策略は完全に敵の諜報網をあざむいたため、イブン・ラシードはアブドルアジーズの行動にまったく気が付かず無警戒だった。アブドルアジーズは到着すると直ちに次の行動に移った。彼はまず兵力を次の3組に分けた。

 1) リヤード城を奇襲する組、兵数10人。
 2) 弟ムハンマドの指揮下で、リヤード郊外で待機する組、兵数20人。
 3) 残りはすべて予備隊として、リヤードから10キロの郊外でラクダ、荷物と共に待機する組。

 彼は第3組に対し、自分がリヤード城に向けて出発してから24時間経過しても何ら連絡がなかったならば、直ちにクウェイトへ戻るよう指示し、また弟ムハンマドに対しては、第3組と絶えず連絡をとり続けること、そしてもし自分からの連絡がとだえたならば第3組同様、すぐにクウェイトへ帰るよう指示した。

 夜の帳がおり、闇が深まると、アブドルアジーズはわずか6人の部下と共に、リヤードへ向かった。リヤードの町をぐるりと囲んでいる外塀にたどり着くと、塀の一部が低くなっている南西の場所を選び、そこから町の中に入った。彼らは各々数メートルの間隔をおいて歩き、守備兵に見つからないよう注意深く進んだ。

 そして、ある一軒の旅籠の前に来た時、彼らは守備兵が交代を告げている声を聞いた。彼らはその場でしばらく立ち止まり、守備兵が遠去かるのを待った。守備兵の姿が見えなくなると、足早にその旅籠の土壁に身を寄せ、壁をよじ登り屋根の上に出た。そして、屋根伝いに進み、サウード家の王宮のある、町の中心広場に着いた。

 広場から狭い路地に入り、しばらく行くとアブドルアジーズはある小さな家の前に立ち止まり、あたりをうかがってから、その家の戸を静かに叩いた。

 “どなたですか?” 家の中から弱々しい女の声が尋ねた。

  そこでアブドルアジーズは、自分はアジラーン(イブン・ラシードがリヤードに派遣した総督)の部下だと答え、牛を買い求めたいから戸を開けろと命じた。

 “帰んなさい! おまえは娼婦を捜しているんだろう。この家には、そんな女はいないよ”

 “いや、そうじゃない”

 “嘘をおつき。こんな真夜中に、おまえさんは町をまわって買物をしているって言うのかい? 商売の時間じゃないよ、今は。さっさと帰んなさい”

 “俺は主人に用があるのだ。ここにすぐ連れてこい。さもなければ、朝になると総督に殺されてしまうぞ。それでもいいのか?”

 長い押問答の末、遂に戸が開けられ、アブドルアジーズを見知っているジュワイサルという名の黒人の老人が顔を出し、アブドルアジーズと彼の部下を家の中に招じ入れ、戸をしっかりと閉じた。アブドルアジーズはジュワイサルに、アジラーン総督の動静をくわしく話すよう命じた。ジュワイサルは自分の知っている限りのことを詳細に話し始めた。

 その中で、アジラーン総督が敵の奇襲を恐れ、自分の屋敷では夜を過ごさず、毎夜リヤード城内に宿泊しているという情報が得られたことはアブドルアジーズにとり、大きな収穫であった。城内にいる総督を殺害するのは、兵力の差からみて不可能に近く非常な危険をともなうと彼は判断した。総督が城外へ出る時が攻撃のチャンスではなかろうか? アブドルアジーズがいろいろな可能性を模索した。

 ジュワイサルと家族の者に、外へ出るなと脅迫し、部下と共に戸外に出たアブドルアジーズは、厳重に戸の鍵をかけさせると、その家の屋根に登り、再び屋根伝いに進み総督の屋敷を目指した。彼は総督の屋敷に侵入する前に、隣家に押し入り、家族を縛り上げ一室へ閉じ込めた。それから彼は部下の一人を弟ムハンマドの一隊へ急派し、至急の自分の許に来るよう命じた。兄の指示を受けたムハンマドはすぐさま行動を開始、敵に見つからないよう慎重にリヤードに入り、仲間と共に無事にアブドルアジーズに合流することが出来た。

 アブドルアジーズは弟と再会を喜びあうや、直ちに次の行動に移った。彼はその家から外に出ると部下と共に総督の屋敷に近づき、壁をよじ登り、室内に侵入した。従兄弟のアブダッラー・イブン・ジルウィーをともない彼は一室に押し入り手持ちのろうそくに火をつけた。ろうそくの明かりの中で、彼はぐっすりと寝込んでいる2人の女を見た。総督の妻マトラバと彼女の妹であった。アブドルアジーズは2人を揺り起こした。突然の侵入者に2人は驚いて起き上がった。

 “もしや、サウード家の王子、アブドルアジーズ様では?” マトラバがアブドルアジーズの顔を凝視しながら尋ねた。

 “そうだ、アブドルアジーズだ”

 “いつお着きになったのですか? でも、一体なんのご用でここにいらっしゃったのですか?”
 “さて、なんの用だろう?” アブドルアジーズは恍けてみせた。

 “わが王子、アブドルアジーズ様! それは危険です”

  彼の目的をそれとはなく悟ったマトラバは驚きの声を上げた。

 “心配は無用だ。さて、アジラーンはどこにいる?”

 “アジラーンは城におります” 彼女は家の前にそびえるリヤード城を指さした。

 “確かに相違ないか?” アブドルアジーズは念を押した。

 “はい、アッラーの御名に誓って嘘は申しません”

 “よろしい。それでは改めて聞くが、アジラーンが城から出てここに戻るのはいつ頃か?”

 “夜明け後まもなくです”

 “よし、わかった”彼は深く頷いた。

 “アブドルアジーズ王子様、私はリヤードで生まれ、リヤードで育った女です。リヤードの民の敬愛するものは私も敬愛します。また、逆に忌避するものは私も忌避します。このことは王子もよくご高承のことと拝します。サウード家の王子は私たちリヤード住民にとり掛け替えの無いお方です。私にとりましては、夫アジラーンより大切なお方です。私は王子の身が心配でなりません。どうかリヤードから離れて下さい”

 彼女はアブドルアジーズにリヤードから立ち去るよう懇願した。アブドルアジーズは彼女の言葉に耳をかさず、彼女に静かにせよと命令し、家の者すべてを集め、全員を一室に閉じ込め鍵をかけた。

 アブドルアジーズと部下達はアジラーンが城から出てくるのを待つばかりとなった。日の出まで約4時間余り、不安と焦燥の念を追い払い平常心を保つべく、彼らはコーランを唱えながら静かに時のくるのを待った。

 時は静かに過ぎ去り、日の出が間近になった頃彼らは日の出前の祈りを捧げた。アブドルアジーズは部下に対し最後の指示を与えた。彼は4人の部下に対し、銃を持ち城門のよく見える窓際で待機するよう指示し、アジラーンが城の前に姿をあらわした時、守衛を狙撃せよと命じた。すべてが計画通り進んだ。そして遂に太陽が顔を出し、アブドルアジーズのその後の一生を決定する運命の朝があけた(1902年1月15日)。

 城門の下部にある小さな出入り口の戸が開けられ、まず守備兵が顔を出し、続いてアジラーン総督と彼の側近達が姿をあらわした。アジラーンは側近の一人と短い言葉を取りかわすと足早に馬の方に歩み寄った。まさにこの時である。手に手に武器を持ったアブドルアジーズと部下達が叫び声を上げながらアジラーンを目指して突進した。

イブン・ジルウィーはアジラーン目がけて手にしていた槍を投げたが、槍はそれて戸につきささった。この不意打ちに驚きながらもアジラーンはすばやく刀を鞘から抜き払い、自分を目がけて突進してきたアブドルアジーズの顔面に力一杯振りおろした。アブドルアジーズはかろうじてこの一太刀を銃身で受けとめたが、銃は彼の手からすべり落ちた。アブドルアジーズがすかさずアジラーンに組み付き、アジラーンの手から刀を叩き落とした。

 2人は素手のままで組み打ち、折り重なるように地面に倒れた。アジラーンを助けようと数人の兵士が駆け寄ろうとしたがイブン・ジルウィーが銃を発射したため、兵は後ずさった。また、アブドルアジーズの指示で、城の向かいの家の窓際で待機していた4人の部下が一斉に発砲を開始したため、守備兵がばたばたと傷つき倒れはじめた。

 アブドルアジーズに勝るとも劣らぬほどの大きな体格をしたアジラーンは懸命になってアブドルアジーズの手をふりほどくと刀を拾いあげて城門の戸口に向かって走り出した。アブドルアジーズは素早く自分の銃を拾い、アジラーンを狙い打った。弾は見事にアジラーンの右腕に命中、アジラーンは刀を落とし、よろめきながら左手で城門の戸口にすがり城内に逃げ込もうとした。

 そうはさせじとアジラーンに追いすがったアブドルアジーズは彼の左足に組つき、戸口から引き離そうとした。しかし、アジラーンは自由のきく右足でアブドルアジーズを激しく蹴りつけ、みぞおちを痛打した。あまりの激痛に耐えきれず、アブドルアジーズはどっと地面にくずれ落ちた。これを見たイブン・ジルウィーは3人の屈強な仲間と戸口に突進し、身体を戸口にはさみ込み、戸が閉められようとするのを懸命にふせぎ、アジラーンと一緒に城内になだれ込んだ。

 イブン・ジルウィーはモスクへ逃げるアジラーンに銃を2発発射、遂に息の根を止めた(一般の歴史小説では刀で殺されたというもっぱらの説をとっている。現在も城内にアジラーンの殺された場所が記されている)。アジラーンの死をもってこの奇襲は事実上の終結を見た。戦闘は1時間もかからずに終わったのである。ここにアブドルアジーズはアラビア半島の歴史に輝かしい1ページを書き加えたのである。

 勝利を手にしたアブドルアジーズは町中にふれを出し、イブン・ラシード家の支配からリヤードを奪回したと住民に知らせた。このニュースにリヤードの町はわき返り、住民達は旧宗主のリヤード復権を歓迎した。

  アブドルアジーズは住民を前に声高らかに宣言した。

 “アッラーは偉大なり! アッラーとアブドルアジーズに正義あり!”

  彼らはサウード家の若い王子の勝利を祝い、賛辞を惜しまなかった。

 勝利の喜びにひたる間もなく、アブドルアジーズはイブン・ラシードの反撃に備えるため、リヤードの外塀の修復と強化に取り組んだ。住民達は彼の命に従い昼夜兼行で作業を続け、4週間ですべての工事を終えた。

 リヤードの守りを十分に固めた後、アブドルアジーズは使者をクウェイトの父の許に派遣し、家族と共に一日も早くリヤードに帰ってくれるよう懇願した。息子アブドルアジーズの勝利の報に接した父アブドルラハマーンはアッラーに感謝の祈りを捧げ、家族と共にクウェイトを出発した。彼らは敵の奇襲を恐れ、一般道路を避け、道なき道を選びつつリヤードへ急いだ。一方、アブドルアジーズは完全武装の兵士500人の先頭に立ち、リヤードを出発し、途中で父親一行を出迎えた。

 父アブドルラハマーンは深い愛情のこもった眼差しでアブドルアジーズを見つめ、抱きよせた。休息用に張られたテントの中で、2人は時のたつのも忘れ長時間にわたり今後の対策を話し合った。安全を期して、彼らは夜になってから行動を起こし、無事リヤードに入城した。アブドルラハマーンは、リヤード住民の歓喜の声で迎えられた。

 アブドルアジーズは父親に統治権を委ねると申し出たが、父はそれを拒否した。数日後の金曜日、午後の礼拝に大モスクにおいて、集会を開いたアブドルラハマーンは宗主権を息子アブドルアジーズに継承すると宣言した。そして言葉をついで、アブドルアジーズはイスラームの教えを遵守する信頼のおける偉大な支配者になるであろうと述べた。彼はサウード家の王位継承者が代々受け継いできた太刀を息子に譲り与えるとともに、サウード家の王宮も息子に明け渡し、自分は別の屋敷へひき移った。

 こうして、アブドルアジーズは正式にサウード家の家督となり、アラビア半島統一の出発点をリヤードに築いたのである。弱冠21才の時であった。

 アブドルアジーズはその傑出した頭脳と強靭な体力、不撓不屈の精神力そしてずばぬけた指導力により着々と版図を拡げた。彼は、イブン・ラシード家の支配を嫌い頑強に抵抗を続けていたナジド南部の部族に援助を与え、アル・ハルジュに進出してきたイブン・ラシード軍を打ち破ったため、彼の名声は高まり、またたくまにナジド南部、中央部は彼の支配下に入った。そして1904年春までに、彼は半島中央部を制圧し、イブン・ラシードとは北部ジャバル・シャンマルで境界を接した。

 イブン・ラシードの動きを封じたアブドルアジーズは1913年、トルコの支配下にあった東部アル・ハサー地方に進攻し、トルコ行政府の中心地ホフーフを攻略し、42年間にわたったトルコのアル・ハサー支配に終止符を打ったのである。

 アブドルアジーズが次の攻撃の目標としたのは、長年にわたり戦い続けてきた宿敵イブン・ラシード家だった。1921年、アブドルアジーズは1万人の兵を率い、ハーイルへ向かった。イブン・ラシード家は3ヶ月にわたる抵抗の後、遂にサウード家の軍門に下った。

 北部地方を併合したアブドルアジーズは次にイスラームの聖地マッカを擁する半島西部ヒジャーズ地方へ攻撃の目標をおいた。当時のマッカは、イギリスの支援を受けたハーシム家のシャリーフ(ムハンマドの末裔に与えられる称号)フセインにより統治されていた。フセインはアラブを統一し、昔日の大アラブ帝国の再建を夢見ており、アブドルアジーズとは領土問題で紛争を繰り返していた。1924年、アブドルアジーズはフセインと雌雄を決するべく進軍を開始し、ターイフの近郊でフセイン軍を撃破、そしてジェッダで最後の抵抗を続けたフセインの息子アリーを打ち破り、遂にヒジャーズを支配下においた。

 その後、1930年に至りアシール地方を併合し、現王国の領土を確保した。そして1902年のリヤード奪回から30年後の1932年9月21日、国名を現在のサウディアラビア王国とし、ここに“第3次サウード家のアラビア王国”が建国されたのである。

 1953年、アブドルアジーズはその波瀾万丈の一生を終えたが、彼の意志を継いだ息子ファイサル国王等、英邁な君主を後継者に戴いたサウディアラビアはその後発展を続け、イスラームの聖地マッカ、マディーナを守護するイスラームの盟主として、また世界最大の埋蔵量を誇る石油大国として、アラブ世界のリーダーの地位を築くと共に自由世界経済の一翼をになう大国に成長したのである。


転載:「日本サウディアラビア協会報」
No.200

(2008年5月30日更新)













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