サウジアラビア歴史

近代サウディ建国の祖


領海法制定に優れた国際法の見識―その1

第二次世界大戦後、アブドルアジーズ王はその英知と洞察力を発揮してサウディアラビアを他の先進国に比肩しうる海洋法基盤をもつ国に成長させ、世界の海洋法の発展にも貢献した。王が初めてサウディアラビア海洋法の制定を世界に宣言したのは1949年5月であった。国際法の慣習に従ってサウディアラビアの領海を定め、その水域および接続水域の海床・海底資源に対する権益を主張し、紛争が起こった場合の平和的解決方法などを規定する勅令を発布したのである。

その内容は概ね次の通りであった。(1)領海は沿岸水域および内水から成り、沿岸水域は内水より6カイリとする。(2)領海、領空およびその土地はサウディアラビアの主権下にあり、沿岸水域における他国船舶の無害通航権については国際法を適用する。(3)沿岸水域は本土または島嶼の海岸の最低潮線から測定するか、本土海岸から12カイリ以内の島嶼ならばその外側地点を結ぶ基線から測定する。(4)内水または沿岸水域が他国のそれらと重複する場合は、公平の原則に従って当該国と協議のうえ境界線を決定する。(5)6カイリ以遠12カイリまでの水域を安全保障、航行などに関する海洋調査のための接続水域とする。

アブドルアジーズ王が先鞭をつけたお陰で他の湾岸諸国も次々と領海法を定め、陸上および沖合の地下資源が生む利益の配分を平等にしようとする機運が芽生えて行った。

第二次世界大戦でアラビア湾はその戦略的重要さにおいても石油の宝庫としても認識されるようになった。すでに高まっていたアラブ民族主義運動は植民地時代の終焉を告げていたが、列強は植民地の独立を潔く認めず居すわった。英国は中東で最強の支配勢力であったが、大戦中に米国の影響力は英国を凌駕するまでに急速に伸びていた。大戦中の石油需要の急増と掘削技術の進歩によって海底の石油やガスの開発が可能となり、1945年9月、米国は沖合の大陸棚資源は米国に属するとの「トルーマン宣言」をおこなった。以後、他の国々も大陸棚や海洋全般における資源の所有権・占有権を主張して領海法を発布したり大陸棚宣言をしたので、互いの領海が重複する部分や領海法上の規定が曖昧な部分が潜在的に紛争の原因となる新しい時代に入って行った。

オスマントルコ政庁は1914年にアラビア湾に6カイリの領海を定め、イラン政府も1934年にアラビア湾で6カイリ領海を宣言していたが、サウディアラビアにはまだ領海法がなく、慣習として沖合4カイリまでを領海としていた。第二次大戦後の新しい考え方に従って大陸棚や領海を設定しようとしても、陸地で囲まれ、島嶼が点在するアラビア湾では、領海の設定に問題が続出した。しかもアラビア湾は平均水深40メートルしかなく、100メートル前後の最も深い部分はイランの海岸線に沿って走っている。全体としてはほぼ盥のような形状の入り海であり、大陸棚はなく、また、水深に従って湾内に中線を設けることは政治的に困難となっていた。とりわけ大陸棚がないことでトルーマン宣言が適用できるかどうか疑問視されていた。

転載:「アブドルアジーズ王の生涯」
日本サウディアラビア協会出版














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2006年 アラブ イスラーム学院