サウジアラビア歴史

近代サウディ建国の祖


エジプトとの国交回復

サウディアラビア王国建国の1932年当時、領土の北側はシャリーフ家のトランスヨルダンとイラクと接し、南西にはイェメンがあって、いずれも強国であったがアウディアラビアの辺境は平穏であった。しかし、アラブ世界の結束実現を果たせなかったアブドルアジーズには、これらの強国に拮抗しうる他の国と盟を結んで勢力均衡を保つ必要があり、それも足元のアラブ世界から探す必要があった。1936年、エジプトでファールーク新国王が即位したのを機に、彼はマハマル事件(1926年)以来外交関係が途絶えていたエジプトとの国交を回復した。友好関係は順調に進み、のちの第二次世界大戦中にこの二国はアラブ連盟結成に中心的役割を果たしている。

第二次大戦後、エジプトを中心にアラブ民族主義運動が進展していった。エジプト国民は英国・エジプト同盟条約の破棄、スエズ運河駐留英国軍の完全撤退などを要求して激しい反英闘争に立ち上がった。その最中の1948年にパレスチナ戦争が勃発し、これに参戦したエジプト軍が屈辱的敗北を喫すると、政界に対する国民の不満と怒りが爆発した。1952年、国民の不満に乗じてナセル(ガマール・アブドッナーセル)、ナギー(ムハンマド・ナギーブ)らの率いる自由将校団がクーデターを起こしてファールーク国王を追放、共和制を樹立して軍が政権を握った。

これまで王政国同士のサウディアラビアとエジプトが築いてきた友好関係は、このいわゆるエジプト革命を機に次第に疎遠になっていった。エジプトの新しい指導者たちが自らの革命を他のアラブ諸国にも広めようとする熱意のあまり、すでに両国間に築かれていた多くの善意の懸け橋を焼き払ってしまうのを、アブドルアジーズは忍耐強く静かに見ていた。彼は言った。「時が教えてやるだろう、あの若い将校たちにな。サウディアラビアとエジプトの関係は個人的なつながりでも一時の気紛れでもないんだってことをな。お互いの利益、不可分の文化的絆、そういうものがあるからこそ、この二国間関係が成り立っているんだ。つまり、この二国間関係は国民と国民の関係なんだ。統治者と統治者の結び付きじゃないんだよ。」

転載:「アブドルアジーズ王の生涯」
日本サウディアラビア協会出版














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2006年 アラブ イスラーム学院