サウジアラビア歴史

近代サウディ建国の祖


ベドウィン定着政策

アブドルアジーズが国土を近代国家に統一していく過程で最も苦労したのは、自由奔放で手に負えないベドウィンを自分の指揮下に置いて命令に従わせることであった。彼が求める近代国家の基本的要件は国民の定住であり、絶えず移動する遊牧部族と意見が衝突するのは当然であった。彼の近代化政策がベドウィンや保守的な部族の強い反発を招き、伝統的な部族社会の考え方が近代国家思想と両立しないことは明らかであった。

ベドウィンはあらゆる場面でアブドルアジーズに反抗し、彼の言うことにかたくなに耳を貸そうとしなかった。人を幻惑するように振る舞い、誇りは高く、徹底した個人主義と旺盛な独立心で行動する遊牧民は、途方もなく慰撫しがたい存在であった。事実、ビン・ジルウィー(1902年、アブドルアジーズと共にリヤード攻撃に参加した)はアブドルアジーズに「ベドウィンに手出しするのはスズメバチの巣をおもちゃにするようなものだ。厄介なことが起こることは確かだが、どれほど厄介なことになるか誰も予想できない」と忠告したほどであった。

遊牧部族民は指導者の人となりとか、部族間の抗争とか、氏族内部の人間関係とか、いろいろな条件によって、ある一人の支配者を支持すると同時にそのライバルも支持する習性があった。アブドルアジーズが領土の平定と拡大を進める上で、忠誠心常ならぬベドウィンを敵にまわすことは、外国勢力の干渉や妨害よりもはるかに厄介な問題であった。彼が為政者としての地歩を確立するための必須の要件は、ベドウィンを完全に掌握して服従させることであった。彼はまずお膝元のナジドに秩序を確立しなければアラビア半島全体の統一は不可能であると考えた。しからばナジドの秩序確立のためには何から手をつければよいか…。

たまたま1910年にナジドやクウェイトに猛威を振るった旱魃でベドウィンはラクダや羊のほとんどを失い、飢饉は多くの人命を奪った。牧草を求めて移動する遊牧生活は自然条件の全面的支配を受け、ベドウィンはしばしば生命の危険にさらされていた。ベドウィンを従順させるには、この危険から彼らを救い出し彼らの生活を安定させてやることが必要であった。しかもその方法はアブドルアジーズが思い描く新国家の社会的、経済的、政治的な必要性を満たす、現実的なものでなくてはならなかった。

そこでアブドルアジーズが考えついたのが、ベドウィンを永久に土地に縛り付けてそこに定住させるという画期的な解決方法であった。ベドウィンを定住させて農耕に従事させ、同時に彼らの闘争本能を活かして兵士として徴用する…。また、こうして成立する共同体組織を、かつてムハンマド・ビン・アブドルワッハーブ(1703-92)が唱えた「初期イスラームへの復帰」の実践母体とし、民衆を一つの宗教思想のもとに統合しながらアラビア半島に近代的な統一国家を実現する…。アブドルアジーズはこの壮大な構想を実行に移すのを躊躇しなかった。早速、彼は遊牧民諸部族にイスラームの教師を派遣して、ベドウィンに初期の純粋なイスラームへの復帰運動に参加するよう呼びかけた。

アブドルアジーズの呼びかけに応じて馳せ参じたベドウィンたちは同胞団と呼ばれ、農地、農具、種苗、日常生活費、自己防衛のための武器などを与えられて定住を始めた。モスクが建てられ、教師が派遣され、同胞団となったベドウィンたちにイスラームの教えや礼拝の仕方などを説いた。同胞団最初の定住はナジド北部のアルターウィーヤという所で1912年に始まり、1万人もの遊牧民が入植した。やがてナジドのあちこちの戦略的拠点に数十の同胞団開拓村ができた。そのうち、リヤードの西方ガトガトの開拓村は首都防衛上最たる要衝であった。これらの同胞団こそがアブドルアジーズの増大する兵力の中核を占めるエリート軍団となっていった。

彼の民族国家が形成されていくにつれて、同胞団の部族主義傾向は徐々に薄れ、政治的忠誠心が部族に帰せられるべきものではなく国家に帰せられるべきものであるとの意識が高まり、次第に愛国主義的様相を帯びていった。この定住計画により、ベドウィンたちはもう襲撃や略奪に神経を使う必要はなくなったし、人々も移動の安全に危惧の念を抱かなくてもよくなった。まさに一石二鳥の実に巧妙な計画であった。アブドルアジーズがこの計画を断行したのは、国土統一への熾烈な闘いのさなかであったことを考えると、彼の実行力は高く評価されよう。この計画の実施により経済的、社会的、政治的に根本的な変革がもたらされ、誰もが近代化と愛国心を旗印にすすんで新しい責任を負うようになっていった。このような過程の中から恒久的軍隊が設置され、それによって防衛された安全な社会が形成されていった。

転載:「アブドルアジーズ王の生涯」
日本サウディアラビア協会出版














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2006年 アラブ イスラーム学院