サウジアラビア歴史

近代サウディ建国の祖


クウェイトでの生活―その2

17才のとき、アブドルアジーズはこんな夢をみた…夜更けにひとりで馬を走らせていると、前方に年老いた男が馬に乗っているのが見えた。ラシード家の首長ムハンマドではないか!高く揚げたその手にはランプが輝いている。アブドルアジーズが近づいていくと、彼を見てすぐに敵と察したムハンマドは馬を蹴って急ぎ逃げようとした。そこでアブドルアジーズはムハンマドに飛び掛り外套の端をつかんでランプをとりあげ、その灯を吹き消した…。

夢から覚めたとき、アブドルアジーズは自分がラシード家からリヤードの支配権を奪回するよう使命を受けたのだと確信した。

1897年、このムハンマドが病気で死んだ。息子がなかったので、甥のイブン・ムトイブが後継者となったが、長い年月ラシード家のもとに有力部族長を束ねてきたこの英主の死は、ナジド地方の勢力の均衡に動揺を呼び起こす引きがねとなった。

クウェイトのムバーラクには野望があった。彼の保護下で亡命生活を送るサウード家の一族とともに、亡きムハンマドになりかわって半島を支配する野望であった。彼には自信があった。打つべき手筈もできていた。俊敏多才で先見の明に富んだムバーラクは国際情勢に聡く、ひそかに英国の保護を取りつけたのである。

クウェイトの前首長ムハンマドはオスマントルコ帝国に忠誠を誓った統治者だったが、ムバーラクは違った。ボンベイに滞在のころから英国政府のインド局の高官と連絡をとっていた。この頃にはインドからアラビア湾の全域にわたって、英国は進出の足場を築いていた。オマーン、カタルも外交関係を結んで英国の保護国となった。エジプトもスーダンも、その占領下にはいった。一方でトルコと組んでドイツがアラビア湾に直接の出口を求めて鉄道の敷設計画を進めており、クウェイトをめぐって列強の関心が日々に高まっていた。ムバーラクのクウェイトはトルコから離反して英国に依存する姿勢をみせ、1899年にはムバーラクと英国との間に領土不割譲条約が締結された。英国はクウェイトを外国の侵略から防衛すること、クウェイトは英国の同意なしで領土の一部を割譲したり貸したりしないことを約束したものであった。すなわち英国の保護国となったのである。

クウェイトを自国の管轄下にあるとするオスマントルコ帝国が黙っているわけはなかった。前首長のムハンマドはオスマントルコの臣下であり、代表者であった。ムバーラクはその代表を暗殺して地位を奪ったのだ。オスマントルコはムバーラクを認めなかった。同盟を組むラシード家への支援を強め、ラシード家にクウェイト領土を与える約束をして、ムバーラク討伐に向かわせた。

オスマントルコ帝国の後押しを受けてラシード家のイブン・ムトイブがクウェイト侵攻に動き出したのを知ると、ムバーラクはサウード家の一族とともに、これを迎え撃つ軍を集めた。クウェイトには軍隊がなかった。しかしムワッヒドゥーンの主導者であるアブドッラハマーンにはナジド各地の部族を動かす力があった。彼は砂漠の各地に従軍を呼びかける使者を送った。呼びかけに応えて、ムンタフィク、アジュマーン、ムタイル、その他の部族からも戦士が集まった。

ムバーラクは主力軍をアブドッラハマーンに、独立した小部隊をアブドルアジーズに預けた。アブドルアジーズにとって、いよいよ初めての実戦である。南方からリヤードに入り、ナジドの部族を決起させて、敵の背後から援軍にまわろうと決めた。アブドルアジーズは各部族を回り、必死に参加を呼びかけた。今回はその情熱に打たれて多くの部族が立ち上がった。リヤードの南に陣をはったときにはアブドルアジーズはかなりの大軍を率いていた。しかしながら、クウェイト首長ムバーラクと父アブドッラハマーンが統率する主力軍は、同盟軍の思わぬ裏切りに遭い、壊滅状態でクウェイトに敗走していた。その知らせにアブドルアジーズのもとに結集していた部族も、その後のラシード家の報復を恐れて多くが陣から逃げ去ってしまった。急ぎクウェイトに戻ってみると、ムバーラクにはもはや兵も武器も残っていなかった。クウェイトの陥落はもう目前で、アブドルアジーズはリヤード奪回の夢が破れたことを知った。

が、そのとき、英国の軍艦がクウェイト沖に現れた。英国はムバーラクとの条約に基づき、ムバーラク支援を公言して、ラシード軍にクウェイトからの撤退を促した。ラシード家のうしろだてオスマントルコ政府もここで英国と事を構えるわけにいかず、ラシード軍は撤退を余儀なくされたのである。列強がこの地域に影響力をのばそうとしている折、クウェイトは英国にとっても無関心ではいられない中東の要地である。オスマントルコの配下になるラシード家のクウェイト支配は英国政府には受け入れられないはずである。英国が必ず支援に乗り出すであろうことをムバーラクは読んでいたのだ。思いもよらないこのような事態の変転に、アブドルアジーズは外交の魔力、超大国の威力、列強の欲望とアラビア半島の立場をまざまざと見せつけられた思いであった。


転載:「アブドルアジーズ王の生涯」
日本サウディアラビア協会出版














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2005年 アラブ イスラーム学院