サウジアラビア歴史

近代サウディ建国の祖


第二次サウード侯国

1824年、反撃の機熟せりと見るや、トルキーはデルイーヤを奪回、時を移さずリヤードを攻めてこれを占領、廃墟となったデルイーヤに代わってリヤードに移り住み、そこを拠点にサウード侯国再興の準備にのりだした。イブン・アブドルワッハーブの子孫のひとりも帰還して、サラフィー運動への復帰を呼びかけ始めた。デルイーヤが陥落して10年たらずで新首都リヤードに再びサウード侯国が誕生したのである。混乱の中でナジド地方には、まだサウード家に対抗できる勢力がなかったことと、秩序を求めた人々が首長を継承したサウード家のトルキーに期待するところが多かったからであろう。

トルキーもサラフィー運動に依拠した治世に徹し、各地における宗教教育の普及に意を用いた。ハサー地方を取り戻したとき、彼は住民にイスラームの教えに従うこと、一日5回の礼拝を励行すること、ザカート(喜捨)を支払うことなどを命じた。また、国民の一人一人が自分の行動はもとより、所属する共同体に対しても、はっきりとした責任意識をもつよう啓蒙したり、学問を奨励したりして、長年の部族間抗争で荒んだ人心を落ち着かせることにも努めた。アラブ史家として著名なイブン・ビシュル、イブン・ガナム、イブン・イーサーなどが相次いでサラフィー運動思想史つまり唯一神崇拝思想史の書を著し、その後の宗教文学への関心の高まりの端緒をつくったのはこの時代であった。

1834年、トルキーが暗殺され、息子のファイサルが後を継いだが、再びナジドに侵攻したエジプト軍に捕らえられエジプトに幽閉されてしまう。1843年、ファイサルはエジプトを脱出、ナジドに戻った。1865年に死去するまでファイサルは首長として、遊牧民の定着と農業従事の促進、アラビア馬、ナツメヤシ、真珠などの生産・輸出の拡大、宗教教育の普及徹底など、内政の整備に腐心した。

第一次サウード侯国(デルイーヤ侯国)には及ばないものの、ファイサル・ビン・トルキーの時代に着実にサウード侯国は再興し、拡大していった。この首長ファイサルが本書の主人公アブドルアジーズの祖父である。


転載:「アブドルアジーズ王の生涯」
日本サウディアラビア協会出版














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2005年 アラブ イスラーム学院