サウジアラビア歴史

近代サウディ建国の祖


サラフィー運動とサウード家の台頭

31才のアブドルアジーズ、東部州サージュで(1911年)
デルイーヤの遺跡(P.8−1)
時代をほんの少しさかのぼった18世紀半ば、ナジド地方には大きな新しい動きが起こっていた。アラビア半島の人びとの間に真のイスラーム信仰を回復しようと宗教改革を叫ぶひとりの人物が現れた。イスラームの基本教義に戻れ、あらゆる異説を打破せよ、アラビア半島を再び一つのウンマ(イスラーム共同体)にまとめよ、と彼は声をあげた。その声に耳を傾け、その機会をとらえてアラビア半島の統一へ足場を固めていったのがデルイーヤの領主ムハンマド・ビン・サウード、現在のサウディアラビア王家の先祖にあたる人であった(このデルイーヤ侯国こそがサウディアラビア王国の前身といえる。後述のごとくアブドルアジーズが現在のサウディアラビアを建国する以前、18世紀と19世紀にサウード家一族によって、2度にわたってアラビア半島は一時統一された)。内紛に明け暮れていた一族をまとめてムハンマド・ビン・サウードがデルイーヤの領主の座に就いたとき、デルイーヤは人口が1,000人に満たない村にすぎなかったという。しかし、ナジドのこの小さな村はまもなくアラビア半島のほぼ全域を支配する大侯国へと変貌する。そしてその発端となったのが、サラフィー運動を起こした上述の宗教改革家の出現であった。

彼の名はムハンマド・ビン・アブドルワッハーブ、ウヤイナ侯国で代々イスラーム法学者を輩出する学者の家系に、1703年頃生まれた。少年の頃からクルアーン(コーラン)やハディース(預言者ムハンマドの言行録)はもとより、多くの聖典注解釈書を読み込んだ。成人してマッカ巡礼を済ませた後に、マディーナに立ち寄り、そこで神学を学び、さらにイラクのバスラに移って著名な法学者のもとで学んだ。また、各地を訪ねて多くの学者と交わり、知識を深めた。

彼はシリア生まれのイスラーム学者イブン・タイミーヤ(1263〜1328年)の学説に深く共鳴し、影響を受け、それを基盤にして、イスラームの基本教義であるアッラーの唯一絶対性を説くサラフィー運動を展開していった。そして預言者の時代を忘れかけている社会に警告した。あらゆる贅沢快楽を捨てよう、聖なるクルアーンと使徒ムハンマドのハディースを忠実に守り、唯一なるアッラーの意志に帰依する本来のイスラームの姿に帰ろうと説いた。このサラフィー運動とは、西欧ではワッハーブ運動あるいはワッハーブ主義と呼ばれている宗教運動のことである。

ナジド地方に戻ったムハンマド・ビン・アブドルワッハーブはウヤイナで活動を開始した。感銘を受けた人びとは多かったが、極めて厳格に基本教義の立場に立つ教えであったことから、彼の布教活動を快く思わない人々や敵意を抱いた人々も多く、身に危険がおよぶこともたびたびあった。ハサー地方の支配層はウヤイナの領主オスマーンに彼の処罰を求めてきた。

1745年、ムハンマド・ビン・アブドルワッハーブはウヤイナを逃れ、デルイーヤの村に保護を求めた。デルイーヤの領主ムハンマド・ビン・サウードは快く迎え入れ、彼に全面的な支援を約束した。そしてこのときからムハンマド・ビン・アブドルワッハーブとムハンマド・ビン・サウードの二人は、宗教的理想のもとにアラビア半島の統一をめざすという同じ夢で固く結ばれた。この二人のムハンマドの出会いが、その後のアラビア半島の歴史に大きな転機をもたらすことになる。

イブン・アブドルワッハーブ(“アブドルワッハーブの息子”の意味で本著ではムハンマド・ビン・アブドルワッハーブを指す)の名声は日々に高まり、多くの人々が集まり来るようになった。デルイーヤの住民にそれらの人々たちが加わり、また新しく参集した同調者たちが加わり、デルイーヤの村は大きく膨れ上がった。預言者の時代のムハージルとアンサールに倣って、信仰にむすばれた同胞兄弟としての共同生活が行われたが、デルイーヤの経済的事情は収入を得る道を必要としていた(デルイーヤの当時の状態は聖遷時のマディーナに酷似していた。622年に預言者ムハンマドはマッカからマディーナに聖遷し本格的に布教活動を始めたが、その前後にマッカから移住してきたムスリムをムハージル、彼らを受け入れたマディーナ社会の援助者をアンサールという。アンサールたちは、信仰のため家族を捨て、部族を捨て、力も資金も欠いた、移民のムハージルたちをそれぞれの兄弟として迎えいれて共同生活をおこなった。デルイーヤのムハンマドも同様の方策をとった)。

イブン・アブドルワッハーブは近隣の領主や族長に徹底した唯一神信仰への回帰をよびかけた。同調した者もいたが、邪教だとして嘲笑したり非難したりする者も少なくなかった。イブン・アブドルワッハーブは宗教家であり有能な軍略家でもあった。ムハンマド・ビン・サウードは武人であり優れた指導者であった。2人はサラフィー運動に敵対する態度を示すデルイーヤ周辺の部族に対して聖戦を実行する決心をした。

サラフィー運動を旗印に、軍事行動が開始された。戦利品が分配され、人びとは活気だった。以後、信仰のためには死ぬまで戦おうと、燃え上がる熱情に向かうところ敵なしの大躍進が続いた。デルイーヤ侯国は領士も兵力も急速に拡大し、それと共にサラフィー運動もアラビア半島に広く浸透していった。


転載:「アブドルアジーズ王の生涯」
日本サウディアラビア協会出版














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2005年 アラブ イスラーム学院