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菅原慎矢 (東京大学)
私は日本・中東学生会議というサークルに所属し、毎年夏にシリア、エジプトなどを訪問して現地の大学生と交流を持っています。また、それ以外にも、これまで中東各地を旅行して来ました。
しかし、サウジアラビアは、観光目的のビザ取得が困難な国であり、これまで入国経験はありませんでした。メッカ、メディナの二大聖地をかかえ、中東随一の政治・経済的影響力を持つ大国でありながらも、自分の目で見ることの出来ない国。私だけでなく、中東に興味を持つ日本人学生の全てに取って、サウジアラビアは憬れの地であったといっても良いでしょう。
そして今回、サウジ・日本衛星会議が無事成功し、アブドゥルマジード殿下の御招待で、その憬れの国を訪ねることが出来ました。サウジの中枢を担う偉大な方々との面会を果たし、次代を担う学生達と交流するという、素晴しい出会いを与えて頂きました。そして、中東史家垂涎の的と呼ばれるマダーインサーレフ遺跡などの観光地、ヤンブー、ジュベイル両工業地帯などのビジネスの最先端をも見せて頂きました。こうした貴重な体験の合い間には、豪華な食事を何回も頂きました。旅人をもてなすのはイスラームの伝統だと聞いていますが、まさにサウジアラビアはイスラームの素晴らしさを体現していると感じました。
一方で、この目でみて始めて知ったことに、サウジアラビアの近代化があります。工業地帯の水準の高い生産設備、IT環境の整備は、わずか30年程で為し遂げられたとは思えないものでした。そして、テレビの衛星放送の普及やインターネット環境の充実、本屋の英語雑誌の品揃えなど、情報をとりまく環境が大変進んでいることには驚きを感じました。サウジアラビアの入国審査は非常にきびしいと聞いていたので、このように自由な情報の流通がなされているとは思いもしなかったのです。こうした環境の成果か、サウジの高校生達も、非常に国際情勢に通じており、会話がとてもスムーズに運びました。失礼な話ですが、サウジアラビアには神秘的な雰囲気ばかりをいだいていて、近代化のイメージはあまり感じていなかったのが訪問前の私の先入観でした。それが見事に、今回の訪問で覆りました。
やはり、とりあえずこの目でサウジアラビアを見られたということは、私に取って大きな収獲です。先入観で語らずに、自分の経験で考えることが出来るようになり、サウジアラビアに関する姿勢が以前とは全く異なるものになりました。今回の訪問をささえて下さった全ての方に感謝したいと思います。また、今後も日本の学生にサウジアラビアの土をふませて頂ければ、その素晴らしさにより多くの学生が魅せられることになるでしょう。我々を身心ともにささえて下さったサウジサイエンスクラブの活動が、更に活発になることを期待しています。
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稲垣健太
(慶應義塾高等学校)
「貴重な体験をしたね」。サウジ旅行から2ヶ月半、サウジで見たこと聞いたことを話すときには決まって、この答えが返ってきます。アブドルマジード殿下の招待で入国、現地の学生と交流しながら主要都市を訪問、遺跡見学やサッカー観戦、おまけにその様子が現地テレビ、新聞で報道される……サウジアラビアでの17日間は、どこか夢を見ているような気分にさせてくれる、とても密度の濃い旅行でした。
この貴重な経験をどう将来に活かすのか。4月から大学生となり専門的な勉強を始める私にとって、これは大変大きな問題です。数冊の本に目を通しただけでサウジについてほとんど「無知」で旅立ってしまった私。最近は「もっと勉強して行けばよかった」という後悔の念と同時に、「何も得ないままに帰ってきてしまったのではないか」という不安感もこみ上げてきます。
そんな時私が思い出すのは、旅行中私に訪れた何回かの「忘れられない瞬間」です。もちろんこの旅行自体が決して忘れられないものではありますが、その中でも特に私に強いインパクトを与えた幾つかの瞬間があるのです。空港に降り立った時に感じた中東の生温かい空気、すい込まれるような紅海の青、不思議な香のアラビアコーヒー、羊を丸ごと使った豪快なアラブ料理、共に踊ることで心が通ったダンマームの夜、日常生活の源を目の当たりにした石油工場、初めてサッカーでサウジチームを破ったヤンブーの奇跡、どこまでも真っ直ぐ続くアル・ウラーへの道、遺跡をめぐり歩いた砂漠の砂の感触、別れを惜しんで強く握った現地学生の分厚い手……。レポート中にもありますが、オールドジェッダでの神聖な感動は特に強烈でした。
鳥肌がたつほどに全身でサウジを感じたこういった数々の瞬間は、間違いなく私の中に残り続けます。それが生涯、私の頭と心を中東・サウジに引き寄せ続けるための十分な原動力となるに違いありません。
先日3月20日、米英軍によるイラク攻撃がついに始まりました。私達日本と中東、アラブ、イスラムとの間に生じてしまった大きな溝は、今はっきりと見てとることができます。しかし現地を訪れて得た経験は、私の前からその溝を取り払ってくれるのです。今回の旅行の成功はアジアの両端にある国同士が、若い学生の力によって繋がったことを示すものです。その旅行者の一人であったという誇るべき事実は、私に、日本とサウジ、周辺諸国との間に横たわるいかなる障害をも乗り越えることのできる力を与えてくれるものです。
貴重な経験から得たその力を、レポート・報告会をはじめ、日常のあらゆる機会において体験を話すことで、できるだけ多くの人々に与えることを約束します。また私自身も、いつの日かまた訪れることができると信じて、中東・サウジへのさらなる深い理解のために興味、情熱を失うことなく勉強に努めることを約束します。
最後になりましたが今回の訪問を支えてくださったアブドルマジード殿下をはじめ、サウジサイエンスクラブ、関係者の皆様、特に私達の旅行が楽しいものになるよう力を注いでくれたブカーリ・イサムさんに心より御礼申し上げます。
どうもありがとうございました。
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山岸聖幸
(早稲田大学)
日本語に「同じ釜の飯を食う」という言葉があります。「同じ釜の飯を食った仲」と いう使い方をし、同じご飯を食べ、寝起きした、親しい仲であるという意味を表す言葉 です。サウジアラビアに訪れた2週間で私達は一体どれだけの人と「同じ釜の飯」を食 べたのでしょうか。いや、サウジアラビアだから「同じ皿のヒツジ」と言った方がいい でしょうか。実際、各地でご飯をご一緒させて頂くと、皆さん「これを食べたことがあ るか?」「ヒツジのこの部分はおいしいよ!」「このデザートは君のために取ってきた んだ!」と、みるみるうちに私の皿は料理でいっぱいになり、滞在4日目にして1.5 kgも太ってしまいました。こんなすばらしい歓待を受けたのははじめてです。
一緒にご飯を食べて私が感じたことがあります。それは、サウジアラビアの皆さんは 「人と人が会う」ということを非常に大事にされる方々だということです。空港では数 多くの学生が私達と握手をしてくれました。政府の方々、企業の方々はお忙しい中でも 、なんとか時間を作って私達と会って下さいました。スケジュールに少しでも空きが出 来ると「よし!あの方と会おう。」といった感じでした。このため、私は数多くのサウ ジアラビアの方々の意見を聞くことができ、そして数多くのサウジアラビアの方々に私 の意見を伝えることもできました。
「人と人が会う」ことで、意見の交換ができる。相手の考えていること、立場、文化 を理解できる。そして、こちらの考えを伝えることが出来る。そして、お互いのことを 理解できた先にあるものは・・・私の頭に自然に浮かんできたことは「協力」という言 葉でした。出会った学生と別れるときには、「将来、一緒に何かしよう!」「何かあっ たら、何でも言ってくれ!」「これははじまりであって、終わりじゃない。この関係を 続けよう!」そんな言葉を私は発していました。私にとっては「同じ皿のヒツジ」を食 った仲になった人がたくさんいたのです。
一人の人が一生に会うことが出来る人の数は限られているかもしれません。すべての 、サウジアラビアの方々にお会いし、ご飯を食べ、意見を交換することはできないかも しれません。しかし、このような交流を続けていくことで、いつの日かより多くの方々 が、「同じ皿のヒツジ」を食った仲になることを願ってやみません。
最後に、今回のサウジアラビアへの訪問の機会を支えてくださったサウジアラビアの みなさんに心より感謝すると共にお礼申し上げます。
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渡辺朋昭
(慶應義塾大学)
日本はサウジアラビアから多くの石油を輸入しており、貿易という観点では両国は密接な関係にある。それにも関わらずサウジアラビアは日本人の多くにとって馴染みの薄い国であると言わざるを得ない。サウジアラビアと聞いて何を連想するかと質問されたら、日本人の大半が「砂漠」「石油」「イスラーム」と返答するだろう。しかしながら、それ以上の答えが出てくることは少ない。このように、サウジアラビアは日本にとって重要な貿易国である一方で、国の実情に関してはほとんど知らない。サウジアラビアは日本人の大半にとって、いわば「近くて遠い国」である。
しかも、日本に入ってくる中東に関する情報はマスメディアを介して偏っている。そこから流れてくる中東に関する言説は、日本との異質性ばかり強調する。日本と中東諸国は分かり合うことが困難だとさえ思えてくる。
しかし私は報道される中東、もしくはサウジアラビアがその実像だとは思えなかった。そう思ったからこそ、今回実際にサウジアラビアを訪問するに当たって、マスメディアからの情報ではなく、自分自身の目でサウジアラビアを見たいと思った。そして、学生との交流を通して、サウジアラビア人がどんな人たちで、一体何を考えているのか知りたいと思った。
実際、サウジアラビア滞在期間中にかつての持っていたイメージは、よい意味で何度も覆された。リヤドのキングダムタワーやジェッダのアルアハリー銀行が象徴しているように、サウジアラビアには近代的な建築が多い。また、アラムコ社を始めとして高いテクノロジーを駆使した工場も数知れない。マスメディアからは、「アラブは遅れている」という情報ばかり先行していたため、それとは全く正反対の一面を目の当たりにして私は非常に驚いた。
また、学生との交流を通してサウジアラビア人の暖かさに触れることができた。それを象徴するエピソードがある。ヤンブーの民族舞踊団を見学している際に薄着だった私に、メディーナの学生が彼の着ていたジャケットを貸してくれた。彼が薄着になることを恐れて断ったのだが、彼はそれを受け入れようとしなかった。私は申し訳ないと思う反面で、嬉しかった。このエピソードを持ち出すまでもなく、行く先々で私たちは厚く歓迎していただいた。学生との交流を通して痛感したのは、面と向かって話せば分かり合えないことなどないという、ごく当たり前のことである。そのような当たり前のことに改めて気付いたのは、やはりマスメディアの報道に強く影響されていたからだと今は思う。
旅行を終えて、以前持っていた一面的なイメージが修正されたことによって確実にサウジアラビアについての理解が深まった。それ以上に、直に人と触れたことでサウジアラビアという国が好きになった。今回の機会を提供してくれた方に感謝すると同時に、関係者すべてに感謝したい気持ちで一杯である。
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櫻田景太
(慶應義塾大学)
サウジアラビアという国名を聞いて、なにか確固たるイメージを持つことができる人が現在の日本にいったい何人いるだろうか。それどころか、サウジを他の中東地域と区別して想像することができる人間ですら少ないだろう。
斯く言う自分も、今回の旅行の前まではサウジという国に対するイメージを持つことは難しかった。また、持ったとしても、そのイメージの全ては日本とサウジの文化や宗教、風土の違いを再認識させるようなものばかりであった。一言で言うなら、自分にとってサウジは完全なる「異国」であったのである。
国に関してでさえそうであったのだから、サウジの人々、学生などに関してもどのような人達なのか、ということは想像すらつかなかった。そして、多分サウジで我々を迎えてくれた皆様にとっても、日本や日本人という存在は程度の違いこそあれ「異国」であり「異邦人」であったのだと思う。
しかし、旅行中に出会った人々は、その中には王族や現在のサウジで重要な地位に就いている方々も多かった、そんな「異国」の人間である我々を、まるで旧知の友人のように迎え、接してくれた。
我々にとっても、この二週間の旅の間にサウジという国が、サウジの人々が、もはや「異国」や「異邦人」では無くなっていった。
笑顔と握手。この二つがあれば、言葉や文化、宗教の違いは簡単に乗り越えることができる事を知ったのである。
自分がこれからサウジアラビアという国とどのように関わりを持つ事になるのかは、今はまだ分からない。しかし、もし二度とサウジの地を踏むことが無かったとしても、今回の旅行で育んだ、サウジアラビアへの親近の念は一生消えることはないだろう。
日本からは遠く離れたアラビア半島の国にいる、二週間という短い旅の間に知り合った友人達はずっと私の心の中で生き続けるはずである。
この二週間は、非常に充実した濃厚な時間であった。この旅行で我々が見たこと、聞いたこと、感じたことは計り知れない。これらの見聞を、できるだけ多くの日本の人々に伝え、より多くの日本人がサウジアラビアという国をもっと身近に感じることができるようにする事が、我々の役目であると考えている。
最後に、この様な素晴らしい体験をする機会を提供してくださった、サウジ・サイエンス・クラブを始めとする関係者の皆様、および協力者の皆様に感謝の意を表したい。
願わくば、またいつかサウジの地で再会できる事を祈って。
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金野楽
(慶應義塾高等学校)
サウジアラビアから帰国して2ヵ月近くが経った。今の僕にとって、サウジアラビアに行ったのは2ヵ月よりもずっと前であるような気もするし、時には、本当に僕はサウジアラビアに行ったのだろうかとさえ思う。サウジアラビアで過ごした17日間は、それまでの僕の生活とは全く違ったものだった。サウジアラビアの人々や風景など、全てが未知のもので、毎日あたらしい発見があった。
サウジアラビアの人はとても親切で、僕らが訪ねた所ではおいしい料理を出してもてなしてくれた。僕は食事の様子をビデオに収めておいたのだが、それを見ると彼らが僕達日本人を歓迎してくれたことがよくわかる。サウジを訪れる前に、アラビア人は遠くから来たお客を親切にもてなしてくれると聞いてはいたが、実際に行ってみると僕が想像していた以上の大歓迎を受けた。
また、サウジの学生も別れ際に自分が使っているペンをお餞別として僕にくれたり、山の上で寒くてぶるぶる震えていたら「大丈夫か」と声をかけてくれたり、本当に親切だった。特にアル・マディーナの学生は、別れた次の日に僕達日本人学生がマディーナ空港を通ることを聞きつけて、もう一回僕達に会いに空港まで出てきてくれた。そのうえアラビアコーヒーの器やデイツなど、たくさんのお土産を僕達に持たせてくれた。
今回の訪問で僕が最も印象に残ったのは、サウジ人のこの親切さだった。僕は、「親切」ということが自分の心の中から忘れかけていたことに気づいた。日本は、国土の面積がサウジの六分の一しかないのに人口は6倍もある。しかも人の移動が激しいため、多くの日本人は見知らぬ人達と密着しながら生活することになる。結果として通勤ラッシュや道路の渋滞などがおこり、どうしても「他人」は邪魔な存在と考えがちになってしまう。近年日本では、通勤ラッシュ中の暴力事件が後を絶たない。他人を邪魔な存在、排除すべき存在とする考え方は現代日本に広がりつつあるのかもしれない。
しかし、サウジアラビアを訪問し、サウジ人の他人を大切にする姿勢を見て、僕は他人に対する考え方が少し変わった。確かに混雑している日本の電車の車内は不快だし、その上見知らぬ相手に足でも踏まれようものならもっと気分が悪い。でも、そんなことを気にしていても仕方が無いのだ。僕は、自分が他人に対してもっと寛容にならなければならないと、サウジアラビア人と接していて思った。
最後になりましたが、今回の訪問を計画、実現させてくれたサウジアラビアのみなさん、そして日本にいる関係者のみなさんにお礼を申し上げます。そして、もしサウジ人の誰かが将来日本に来たら、僕は心から大歓迎したいと思います。
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牧田直哉
(慶應義塾大学)
郷里で事件事故があれば、親類知人に被害はないかと心もとない。幼馴染の誰某に功ありと聞けば、あゝあいつも立派なものだと感慨に浸る。どちらもひとえに、自らが見知り、記憶に残っている場所や人と関連するからである。それらに対して、何らかの感情を引き起こさずにはいられない。
今回の滞在によって、サウジアラビアの人たちがそのような存在になった。たった2週間の滞在。人間の一生に比べればごく僅かな期間で、サウジ人の現実の、ほんの一部を見たか見ないかに過ぎない。言葉の壁は高く、文化の違いも感じられた。しかしながら私はもはやこの国に対し無感情ではいられなくなっている。たくさんの人に会い、多くの歓待を受け、数え切れない思い出を作ったからだ。
今後私はサウジアラビアとどのようにかかわっていくのだろうか。事あるごとに訪れるのかもしれないし、全く関らなくなるかもしれない。だがいずれにせよ今後の人生において、この貴重な2週間で見たものや聞いたことを時々思い出すに違いない。そしていろいろな人たちがその後どうしているのだろうかと思い巡らすのだろう。あの殿下は、今日も会見の席で一人一人と握手し、質問や提案に耳を傾けておられるのだろうか。あの学校からいつの日か、歴史に名を刻む人物があらわれるのだろうか。日本語を教えたあいつは勉強を続けているのだろうか、寡黙なカメラマンは今日も黙々と撮影しているのだろうか。そう言えば誰か、今度日本に来ると言っていた、元気でやっているのか、仕事は順調なのか。今度会う時、成長しているのだろうか、お互いはどんなふうに見えるのだろう・・・。
もしサウジアラビアに事件や戦争や災害や、何か悲しいことがあれば、知り合った人たちのことを思い浮かべ、憂慮するにちがいない。誰もが皆平穏無事に暮らし、さらなる発展を遂げているとの報があれば、私は目を細めるだろう。風の便りにも心を動かす、サウジアラビアはそのような存在になった。
このような機会を提供してくださった全ての関係者の皆様、および協力者の皆様に感謝の意を表したい。あの2週間は、サウジを身近なものにした。本当に貴重な体験だった。
今後自らの見聞をできる限り多くの人に伝え、サウジアラビアについて知らしめていきたい。この報告書の目的もそこにある。今後サウジに関連する報せを耳にした時、この報告書で目にした誰か、あるいは何かについて思い出していただけたなら、私達にとってこの上ない喜びである。
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波戸健一
(国際基督教大学)
「広大な砂漠」、「イスラム教」、そして「豊富な石油資源」、これが今回の旅の前にサウジアラビアに対して抱いていた私のイメージです。多くの日本人のみなさんも、同じような漠然としたイメージを持っていることと思います。これは、サウジアラビアと日本が、同じアジアであっても未だ人的交流が進んでおらず、「近くて遠い国」となっているからです。距離的にははるかに遠いアメリカやヨーロッパ諸国の文化や習慣は現在の日本においては氾濫しているといっていいでしょう。しかしサウジをはじめとする中東地域は隣人でありながらお互いをよく知らない関係にあります。むしろ昨今の中東情勢に関するメディアの報道を見る限り、中東に対してネガティブなイメージを持っている日本人も少なくないと思います。実際、貿易においては、サウジアラビアから日本へは多くの石油や石油関連製品を輸入していますし、日本からは自動車や家庭電化製品を輸出していて、非常に重要なパートナーとしての関係があります。今回の私たちの旅が、単なる貿易相手国から、サウジアラビアと日本の人的交流のほんの一歩前進になれれば幸いです。
今、旅を終えてみると、先述したサウジのイメージは大きく覆されたといえると思います。首都のリヤドや旅の約半分を過ごしたジェッダは、大規模なショッピングセンターやビルが立ち並ぶ近代化された大都市でした。また見学させていただいた学校や、リゾート施設、サッカースタジアムなど、そのスケールの大きさや設備の充実度には驚かされました。また広大な砂漠の中に点在する煙突のような油田を想像していたわたしにとって、アラムコの石油精製工場やオートメーション化されたパイプラインはとても興味深いものでした。
対して、想像していたサウジにも今回の旅で触れることができました。旅の終盤で訪れたマダーインサーレへは砂漠の中を車で7時間走り、車中からはどこまでも続く砂漠の先に地平線が見え、ときおりラクダにも遭遇しました。そしてマダーインサーレの遺跡は砂漠の中に突如として現れた岩山群の中にあり、以前この地に栄華を極めた都があったことが信じられず、その雄大さと神秘性に心を奪われました。またジェッダから日帰りで訪れたターイフでは豊かな自然に触れ、素朴なサウジの学生と交流し、新たな一面をみました。そして夕暮れのオールド・ジェッダで響くアザーンはその町並みと見事に調和し、感動すら覚えました。
まだまだ2週間の旅の書ききれないことはたくさんありますが、ぜひ多くの日本の皆さんに訪れ、そして体感してほしいと思います。また今回のような学生レベルでの交流が、今後も続くよう、切に望みます。
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山田岳司
(慶應義塾大学)
今回、私たちはサウジアラビアの多くの地を訪問させていただき、各地で歓迎をしていただきました。各地で私たちの訪問を支えてくださった方々に深く感謝しています。
サウジアラビアを訪問する前には、その世界有数の規模を誇る石油関連産業やイスラームの聖地を有する国であること、そして広大な砂漠が広がっていること等の漠然としたイメージしか抱いていませんでしたが、今回の訪問でこれらはサウジアラビアのほんの一部についての漠然としたイメージでしかなかったことを強く感じました。リヤドやジェッダ等の各都市では整備された街並みや高層ビルに驚き、工業地域ではその規模の大きさに驚きました。広大な国土には、どこまでも続く碧の海が広がる海岸や、植物が生い茂る美しい自然風景があり、険しいながらも美しい姿の山地など、さまざまな美しさをたたえられていることを知りました。
そして今回の訪問で自分にとって何より重要であったと思うのは、サウジアラビアの人々と直接に交流することができたことです。彼らはとても気さくで好奇心旺盛でホスピタリティー溢れる人たちであると感じました。それぞれの地域では各地の高校生たちと数日を共に過ごすこともできました。彼らが日本の戦後の経済成長や今日の先進的技術開発、また現在の国際政治での役割についてなど日本に対して強い関心を持っていることを実感しました。彼らとはEメールアドレスを交換し、日常的なコミュニケーションが続いています。
今回の訪問を通してサウジアラビアを身近に感じるようになりました。これからも彼らとの結びつきを大切にしていきたいと思っています。
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藤谷一郎
(慶應義塾大学)
私がサウジアラビアを訪問して最も感じたこと。それは、サウジアラビアはこれからも確実に発展・成長を続けるだろう、ということである。サウジにいる間、いろいろな人から「発展」という言葉を聞いた。ここでは「発展」という言葉が何を指すものかは問題ではない。しかし、サウジの皆が言い、そして望んでいる「発展」は必ず達成されると確信した。
サウジの人は日本のことをこう褒め称えた。「家族を基盤とした社会を作り上げ、経済発展を果たしてもなお自国の伝統文化を守りつづけている」と。しかし、日本に住む私から見れば、サウジ人が持つ日本のイメージは幻想でしかないように思えた。今の日本では核家族化が進み、その上親は仕事に追いまわされ、子供は塾に忙しいなど、家族全員がそろうことは余りなく、家族というものが崩壊しかけているようにさえ思う。また、日本の経済成長モデルも崩壊しかけている。今日本では、国内の工場の多くが東南アジアや中国に移転を進め、いわゆる産業の空洞化が急速に進んでいる。国家というものを前提として考えるならば、モノを作る能力がどれだけあるかということが、その国の競争力、ひいては国際社会で生き残っていく力になっていくと私は考える。したがって、現在の日本の状況というのは、日本の生存能力を潜在的に弱めていっていると考える。
一方でサウジアラビアを見てみると、国内に石油産業を核にした重化学工業の整備を進め、これからの発展に向けて確実な基盤を作っているように見えた。また、私どもは民族舞踊をダンマームとヤンブーで見たが、この二つの町は、サウジを代表する工業地帯である。このように、サウジでは産業化と伝統文化がうまく共存できている。
このような現実のサウジを見て、私は冒頭の確信を持ったのだが、私を確信に導いた一番大きな要因はサウジの教育体制であった。今回の私どもの訪問はサウジサイエンスクラブの招待によって実現したが、サウジサイエンスクラブのような組織の存在はとても素晴らしいと思った。これから発展を目指す国にとって、優秀な学生をより優秀にしていける制度があることはとても重要なことであると思う。サウジサイエンスクラブはその役割を果たしていたと思った。またここで最も感銘を受けたことは、優秀な学生をどんどん外国に留学させていることである。サウジというとイスラームの教義が厳密に守られているというイメージがあり、だからこそ将来国家の運営を担っていくことになるであろう優秀な学生には、イスラームの教えを厳しく教え込んでいるのかと思っていた。しかし現実は、そのような人ほど海外に送り出し、イスラーム世界以外のようすを経験させている。このことは現在国家の運営を担っている人たちの寛容さを表している証拠であると思った。
また、アラムコ国際展示場では、小さな子供たちでも楽しめるような展示がされており、キングダム・スクールでは非常に整った環境のなかで子供たちが勉強できるようになっていた。このことからも、サウジでは、将来を担う子供たちを本当に大切にしているのだなと実感した。
以上のように、サウジでは確実に「発展」の準備が整えられていると私は考える。今の子供たちが大人になる、10年後、20年後、そして30年後にも、サウジには明るい将来が待ち受けていると強く思うのである。
サウジ滞在中、サウジの発展のために日本からいろいろ学びたい、とよく言われた。しかし、サウジはすでに独自の発展モデルを作り出しているようにも思う。逆に、もうその時は来ているようである。そう、すでに日本がサウジに学ぶ側になっているのである。
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杉本洋平
(慶應義塾高等学校)
それは、本当に偶然の出来事であった。部活のミーティング中に、「サウジアラビアの学生とネット回線使って会議するらしい。行きたい人?」と部長が言った。面白そうだったのと、その頃時間に余裕があったという理由で、私は立候補した。話すトピックに関して図書館やインターネットで調べ、原稿を作った。会議は大学生が主体となって進めてくださり、私含め高校生四人はオマケだったのだが、とても楽しくできた。それでこのサウジ関係のことは終わりだと思っていた。それがまさかこのようなことになるとは夢にも思っていなかった。一週間後、驚くべきことが告げられる。そう、このサウジアラビア訪問だ。
私の持っていたサウジのイメージは、広い砂漠にたたずむ大規模な石油工場、その周りを走る駱駝の群れ…という偏ったものであった。しかし、実際に訪問してみると、巨大なビルが立ち並ぶ、近代的な都市ばかりであった。私は初日の夜にジェッダの街を見たとき、この国は近い将来急発展するだろうと確信した。
学生との交流では、サッカーや音楽の話が共通の話題としてあったため、とても楽しく会話ができた。初めは、英語で話すことに一抹の不安を感じていたが、いざ話してみるとスムーズに話せて安心した。また、別れる時には一人一人とメールアドレスの交換をした。日本に帰ってからも、時々メッセンジャーを用いてリアルタイムで会話することも少なくない。我々の関係がいつまでも続くことを祈っている。
また、滞在期間中は毎日が新鮮で、一日中カルチャーショックを受けていた。食べ物は、独特のスパイスの味が強く、羊肉が出ることが多い。日本で羊肉を食べる機会はほとんどないため、15日間の滞在で一生分食べてしまったと言っても過言ではないだろう。イスラム教では豚肉を食べることが禁止されているため、豚肉は絶対に出ない。また、日本でいう味噌汁のようなスープが出ることは少ない。そして、食事の時食卓に置いてある飲み物は、必ずと言って良いほどペプシコーラなのだ。炭酸が苦手な私は水ばかり飲んでいたが。
私の受けたカルチャーショックは食べ物だけに留まらず、細かな作法にも及んだ。しかし、ここでそれらを書き記すと凄まじく長くなってしまうし、何より私の文章力では衝撃が伝わらないだろう。
私はこの15日間のサウジ滞在中にとても多くの物を得た。それは物品的な意味ではなく、精神的な意味でだ。サウジには、現代の日本が失ってしまった多くのものが残っている。私はそれを確認すると共に、今度は日本にも目を向けなければならないと思った。
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