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マダーインサーレフ
訪問日時

2003年1月5日〜1月6日

この地域の基本情報

アルウラーは砂漠に位置するオアシスの町でヘレニズム時代からローマ時代にかけ香料貿易で栄えた町として知られている。マダーインサーレフにはナバティア人によって建てられた、巨大な岩を削って作られた遺跡が数多く砂漠に残っている。

ウラーにおける訪問先

1)崖(アルハッラー)
2)マダーインサーレフ遺跡
3)ウラーオールドタウン
4)ウラー歴史博物館
5)ウラー市長アハマド・アルセデーリ殿下との会見
6)歓迎昼食会



崖(アルハッラー)

ウラーへ

 我々はヤンブウを後にし、ウラーへと向かった。移動方法は陸路をとり、砂漠の中の道をランドクルーザーで七時間走った。ウラーのホテル(ムンタジャウ・アラーク)に着いてすぐに、また車に乗って崖の上へ向かった。一番の目的は、夕日を見ることだった。

 道と呼ぶにはあまりに悪すぎる道。車が幾度となく縦に揺れる。ふと窓の外を見ると、ほんの十分ほど前に走っていた道路が紐のように細く見える。段々と空の色が暗くなって来る。崖を上りきった後も車は走り続ける。周りは見渡す限りの砂地。やっと車が到着した時、既に太陽は西の地平線と同化していた。

夕暮れ 夕暮れ

  美しい。今まで見た中で最高の美しさである。感動していたその時、偶然にも飛行機がすぅっと空のキャンバスに白線を引いていった…。

飛行機雲

  夕日も沈みかけたところで一同帰路に着く。
  帰りの車内で見た空はまた一段と美しかった。
  雲に光が当たって空は赤く染まっていて、グラデーションのようになっていた。
  私はこの景色を生涯忘れないだろう。

沈む太陽


マダーインサーレフ遺跡

遺跡

 アル・ウラー市訪問の二日目の早朝、宿からマダーインサーレフ遺跡へと車で出発した。荒涼とした土地に、朝日に照らされそびえ立つ、壮大で、神秘的な数々の岩山を眺めながら、40分ほどで少々物々しいゲートへ車が入っていく。否応にもこれから見るものに期待が高まった。

マダーインサーレフ遺跡 マダーインサーレフ遺跡

 マダーインサーレフ遺跡は、アル・ウラー市の北東に約22KMにわたる遺跡であり、紀元前3世紀ごろに栄華を極めたナバティア人によって築かれたものとされている。彼らはこの地に都市を築き、そして現在に残る多くの石窟墳墓をつくった。またこの都市は、古代の主要な商業ルート上に位置し、中継地として重要な役割を持っていた。彼らの繁栄は、北はダマスカス、そして南はこのマダインサーレにまで及んだが、紀元前106年、度重なる攻撃によりローマ帝国の支配下に落ちたといわれている。

マダーインサーレフ遺跡 マダーインサーレフ遺跡

 写真にあるような特徴的な岩山の形は、繰り返し起こった洪水、そして長い年月の風雨による風化によって形作られた。ゲートを抜けて最初に訪れたのはこの遺跡である(写真)。この独特の形、岩山の色、そして西洋の神殿を思わせるような入り口をみて、古代ナバティア人たちがどういう意図を持ちこの岩山の中に住居や墓を作ったのか考えをめぐらすとともに、彼らの文明の高さにただただ驚いた。

マダーインサーレフ遺跡 マダーインサーレフ遺跡

  見学用の階段を上がっていくと、非常に正確で幾何学的な模様が美しい外見とは対照的に、岩山の内部はがらんとしていて、岩が剥き出しの状態であった(写真)。写真のように、内部の壁には仕切りがあり、ここに死体を入れた棺を入れていたそうである。

マダーインサーレフ遺跡 マダーインサーレフ遺跡

 次に訪れたのは、右の写真のような巨大な岩が平行にそびえ立つ遺跡である。ここは周りを谷で囲まれていて、2つの岩の間を通り抜けていくとその奥には古代の井戸の跡があり、取水場として重要な場所であったそうである。

ヒジャーズ駅 機関車

 また次の写真は、遺跡からほんの10分ほど車で走ったところにある、1908年に開通したヒジャズ鉄道の駅舎である。ここには、あの『アラビアのロレンス』の舞台となったこの鉄道の駅舎と機関車が残されており、約100年前にはトルコから聖地メッカを結び、巡礼者や物資を運んでいたそうである。

 紀元前3世紀にナバティア人によって築かれた古代都市も交通の要所であった。それから約2000年たち、同じ場所に鉄道が敷かれ、同じように人と物の流れの要所となったのである。そして同じように、ある種悲劇の地となった。この駅舎を見ながら、この地の不思議な運命を感じずにはいれなかった。

 この日、マダーインサーレフを訪れ、神秘的で美しい岩山と砂漠の中に突如として現れた高度な文明社会を想像させる遺跡を見て回り、その規模に圧倒された。と同時に、この遺跡が、現在においてもその環境が変わらず、アル・ウラーの人々によって大事に守られていることを強く感じた。素晴らしい遺跡であることは述べた通りだが、それを維持することはとても大変だと思う。いつかぜひまた訪れ、そのときも今回と同じ神秘性と圧倒的な存在を残しておいてほしいとおもう。


ウラーのオールド・タウン

オールドタウン

 ウラーは古くから交通の要衝として重要な都市であった。そのような歴史のある町で今回私たちが訪れたのは、約300年前の建物が残る場所であった。その場所に着き、説明を聞いてから初めて自分たちがどういう場所に着たのか、ということを知ったのだが、このような貴重な建物が、幹線道路沿いに普通の建物と同じように並んでいることを多少不思議に思った。

とがった屋根 建物の外観

 さて、まず私たちを迎えてくれた建物は、とがった屋根が作る影によって季節が分かるようになっている、という建物であった。その影が地面に落ちるあたりに穴が掘ってあり、その穴に影が一年に一度ちょうどはまる時期(アル・バアニーヤ)があり、それによって暦を知れたそうである。このような仕掛けにも驚いたが、自然にできたような地面のくぼみがそのような機能を持っているということと、その穴自体が何百年前に掘られたままに残っている、ということにさらに驚いた。

建物内部 建物内部

 次に私たちは建物の中に入っていった。中は建物がすでに崩れてしまっているところもあれば、崩れかけているものなど、この建物群を残していくのなら早急にこの保存策を練らなければいけないのではないか、と思うほどであった。しかし一方で、土と草のようなものでできた建物を、何の手もつけられていないような状態で建築された当時のままの姿で見られたことにある種の感動さえ覚えた。このような建物が残ったのも、乾燥し雨も降らないサウジだから残ったんだろうな、と思った。湿気や雨の多い日本ではまず残っていないだろう。建物一つからもサウジと日本の風土の違いを感じた。

 このように、いつ崩れてしまうのか分からない建物だったが、私たちはその建物の二階に上がった。一度に大勢が上がると危険ということで、他のグループが二階に上っている間私はちょうど二階のテラス部分の真下にある一階の部屋に行ったのだが、二階にいる人の重量で部屋の天井から砂や石が落ちてきて、ちょっと危ない状態だった。そういう状況だったが、私も二階に上がってみた。二階は思ったよりも広く、とてもいい眺めだった。遠くに見える断崖や近くにあるうっそうと茂ったヤシの林など昔と変わらない景色なんだろうな、と思いながら、かつてここに住んでいた人になったようなつもりでこの地の歴史に思いを馳せていた。

 短い時間での訪問であったが、ウラーという町に住んでいた人たちがどのように暮らしていたのか、ということを身をもって知ることができた。


ウラー歴史博物館

ウラー歴史博物館

 サウジには代表的な歴史博物館が6つあるという。そのうちの1つが、今回訪問したアル・ウラーの歴史博物館である。この博物館には、普通の博物館にもある展示とその解説という教育的機能だけでなく、研究機能として研究所も付設されている。

 アル・ウラーの近くには、マダーインサーレフという非常に古い遺跡がるので、この歴史博物館の内容は非常に充実したものであった。

 博物館に入るとまず私たちは、ウラーについての知ることができる。ウラーはメッカとエルサレムとの間に位置し、商人たちが移動を行う通路にある町として重要な町であったこと。また交通の要衝でもあり、古くから広く知られた町であったことを知ることができる。

  そして次は、アル・ウラーという町自体、断崖絶壁に挟まれた細長い町であり、またマダーインサーレフも不思議な形をした岩山を削って作った遺跡であるので、そのような地形がどのようにして形成されたのかを地質学的に解説したコーナーが私たちを待ち受けている。このように書くと、非常に難しそうに思えるが、図や模型が多用されており、視覚的にも理解できるようになっていて、楽しみながら学べるようになっている。この他にも、大昔からのこの地域における生態系や人々の生活様式の変遷も知ることができる。

  これだけでもとても充実していると言えるのだが、さらにこの博物館の充実している点としては、出土品や実際に使われていた道具の展示が非常に多いことである。それらは年代順に並べられているとともに、解説によって、どういう特徴があるからこの年代であるのか、ということがきちんと説明されていたことである。思わずメモをとったり写真を撮りたくなってしまった。

  最後に、近現代の紹介として、今はなきヒジャーズ鉄道の解説もあった。それとともに、初代国王アブドル・アジーズ国王の功績、その当時の人々の暮らし振りや習慣の説明などがあり、この訪問によってサウジについてだいぶ知ることができたように思った。


ウラー市長、アハマド・アルセデーリ殿下との会見


アハマド殿下との会見

 午前中のマダーインサーレフ訪問に引き続き、マダーインサーレフのあるアル・ウラー市の市長である、アハマド・アルセデーリ殿下と会見をした。

 ここで大雑把にアル・ウラー市についての概要を説明すると、まず歴史上、非常に重要な土地であった。紀元前6世紀にはアルキラー地域の中心地となり、商業が非常に活発に行われていた。7世紀にムハンマド預言者の出現後、アル・ウラーはイスラムの浸透とともに、シャムの国々からの巡礼者達にとって、もっとも重要な経由地となった。

 また、戦略上、重要な役割を担い、他の都市同様、近代化していった。地理的には、国土の北西部、アル・メディナ州から北へ380KMの位置にあり、75の村が市を構成している。また、アル・ウラーは肥沃な土地として有名であり、豊かな水資源と、穏やかな気候によって、デーツとかんきつ類を中心に農業の盛んな土地である。

 市長のアハマド・アルセデーリ殿下とのとの会見は、マダーインサーレフの興奮を引きずったまま行われた。市庁舎に入るないなや大勢の出迎えをうけ、少し緊張しながら部屋へと通された。自分の想像の中では、非常に歴史のある遺跡と75の村を束ねている大きな都市の市長というイメージから、威厳のある、ある種怖そうな方を想像していた。しかし、実際の殿下は、威厳こそあれとても温和で、やさしく訪問を歓迎してくださった。ひとつ残念なのは、会見の時間がわずかしかなく、十分にお話できなかったことだろうか。


歓迎昼食会

テントでの歓迎昼食会

 遺跡を回った後、砂漠に佇むテントで昼食となった。靴を脱いで絨毯の上に座ることには、サウジ滞在もあとわずかとなったこの日にはすっかり慣れていた。荷物を置くと、外に駱駝が2頭いるのが目に留まった。この昼食会を開いて下さっている方が”Do you wanna ride?”と私に尋ねてきた。勿論二つ返事でYESと答える。

ラクダに乗って

  駱駝には以前ターイフの公園で乗ったことがあったが、その立った時の高さに改めて驚いた。降りてから詳しく聞いてみると、この駱駝はアラビア半島でもっとも上級の物だそうだ。確かに、ターイフで乗った駱駝と比べると、毛の色がずっと白い。とても綺だ。

歓迎の踊りを一緒に

  皆が駱駝に乗った後、テント内で歓迎の踊りが始まった。歓迎の踊りは各地であったが、地域によって異なっているのが面白い。しかし、一部の踊り(アルダー踊り)は共通していて、踊る時に刀を振ることが特徴的だったこれはきっとアブドゥル・アジーズ初代国王が戦争に勝った時の祝いの踊りから来ているのだろう。

子羊の丸焼き

 昼食は例に漏れず、子羊の丸焼きだった。正直、私は今までこの羊が苦手だったのだが、ここで食べた羊はとても美味しく感じた。思わず満腹になるまで食べてしまった。旅程中、最後となった羊の丸焼き。私はその味を一生忘れないに違いない。
 



 
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