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ターイフ
 
この地域の基本情報

サウジアラビアの南部に位置するターイフは、山岳地帯にあるという地理的条件から、古くから人気の避暑地として知られてき た。標高は、海抜2000-3000メートルあり、ケーブルカーからの眺めは絶景。

ターイフでの訪問先

1)サウジ・日本自動車高等学院
2)ターイフ



サウジ・日本自動車高等学院

サウジ・日本自動車高等学院

 我々一行はジェッダからターイフに向かう途中、サウジ・日本自動車高等学院(以下SJAHI : The Saudi Japanese Automobile High Institute)を訪問した。

 SJAHIは、ジェッダ・メッカ間高速道路の途中、ジェッダから32キロの地点に位置している。この学校の設立については98年のアブドゥラー皇太子来日の際に交わされたコンタクトがきっかけとなり、その後日本の産業界とサウジ・ディーラーの間でミーティングが重ねられ、2000年12月にプロジェクトがスタート。建設費用はJADIK(サウジ日本車ディーラー協会)とJAMA(日本自動車産業界トヨタ・日産・三菱等)が50%ずつを提供した。2002年9月に開校したばかりの新しい学校である。

 この学校の目的は、サウジ政府の方針にそって、自動車メンテナンス分野におけるレベルの高いサウジ人作業員へのニーズに応えるために、サウジ人の若者に高度な教育を提供することである。

 入学の条件は、高卒で20歳以下のサウジ人であること。現在は400人の学生が学び、週38時間・2年間のカリキュラムのもと、2004年に最初の卒業生(200人)が生まれる予定である。卒業するとエンジニア・レベル3のDiplomaが与えられ、卒業後の仕事(最低三年間)も決まる。

学内の様子 模型

 我々が訪ねたのは中間試験の終わったあとで、教室の脇には生徒の作成したカットモデルが並べられていた。授業はクラスルームでのものと、作業教室でのものに分かれる。週15時間は英語の授業に当て、技術分野の学習のサポートや将来に実用的な能力を養うという。その他、数学、化学、物理の授業も行われる。充実したカリキュラムが印象的であった。

 我々を案内してくれた方の中には日本人技術者のほか、JICA(国際協力事業団)の活動で日本に技術留学した経験を持つサウジ人講師もいた。短い時間のあわただしい見学ではあったが、整った環境のもとで集中して学習に励むサウジ人学生の姿に、日本・サウジ両国の協力関係のお手本を見たように感じた。


ターイフ日帰り旅行

 高山地帯の都市ターイフへの小旅行は、連日のハードスケジュールに追われていた我々一行にとって、リラックスした楽しい時間となった。

 ジェッダから東に約150キロメートルのターイフは海抜約1800メートルの高地に位置しており、避暑地として最も有名な都市である。夏期になると国王をはじめ政府首脳が一時的にこの地へ移動し政務を執る。

ジェッダ郊外の土漠 土漠の中を走る道路

 ジェッダの郊外を抜けると見渡す限りの土漠が続いた。途中、自動車学校にて見学。一回の休憩を経てケーブルカー乗り場に到着した。

 ターイフに至るには2つのルートがある。ひとつはケーブルカーを利用する方法。もうひとつは、延々と続く登山道路を使って行く方法である。我々はケーブルカーを利用してターイフへと向かった。

オレンジのケーブルカー 谷を見下ろす ケーブルカーからの眺め 

 日本で乗りなれたものと違い、「高く」「距離の長い」ケーブルカーからは、険しい山の上に街があるその様子をはっきり見てとることができた。同行したサウジ人学生達も余り来る機会は無いようで、さかんに写真を撮っていた。到着するとターイフの現地生徒、関係者の方々が我々一行を温かく迎え、バッジもプレゼントされた。

剣の展示 展示品 ヘビを巻きつけての記念写真

 始めに見学したのは個人所有の博物館。薄暗い部屋の中にラクダに乗せる鞍や昔の生活用品、古銭などが雑然と並べられていた。大小のヘビも一緒に並べてある奇妙な博物館であったが、我々日本人学生の中では「調べればおそらく文化的価値の高いものもあるに違いない。なぜもっと整った形で展示しないのだろうか」という声が多かった。

モスク跡 モスク跡 学生たち

 続いて、有名なモスク跡。メッカでの弾圧から逃れターイフへとやってきた預言者ムハンマドは、ここターイフでもタキーフ部族から石を投げつけられるなど迫害を受ける。神に祈る中で、「全て(ムハンマドを迫害する)人間を殺してしまおうか」と言う天使に対して、預言者は「いや、彼らの息子達がムスリムとなるように私は祈る」と答えたと言われている。その祈りの場所をモスクにしたのだという。イランからの巡礼者が多く訪れ、ラフサンジャーニー大統領(当時)も訪れたことがあるそうだ。

サリーグの大皿

 その後サリーグ(牛乳で炊いた米のうえに鶏肉をのせたもの)の大皿が並べられたテントで昼食をとり、雄大な景色が一望できる地点へと向かった。

山岳地帯 山登り

 岩肌をむき出しにした山々には緑が少なく、日本のそれとは大きく異なり、どこか中国の山岳地帯を思わせる(行ったことは無いが、テレビで見たものなどと比べて)険しさであった。遠くの峰にはサルの群れが移動する様子も見ることができた。「サウジにもこんな山岳地帯があったのか」。「サウジ=砂漠の国」というイメージが変わった瞬間でもあった。

ラクダ らくだに乗る学生たち

 それでもやはり「サウジといえば砂漠、砂漠といえばラクダ」という連想を来る前から強く胸の中に抱いていた我々にとって、「初めてラクダに乗る」という歓喜の瞬間が訪れたのはこの直後のことであった。ラクダの背は想像以上に高く、上下に激しく揺られるため手すりにつかまらないと振り落とされてしまいそうであった。

 最後に見学したのはシュブラ・パレス(Shubra Palace)。三代目ファイサル国王の時代に政府が移転され、98年まで夏の間は国防大臣(スルタン殿下)のオフィスともなった宮殿で、今は博物館となっている。61もの部屋を持ち、ローマ・イスラム・ヒジャーズ地方のデザインで彩られた建物には、元国王や大臣が使った部屋などがそのまま残されている。

 シュブラ・パレスは初代国王アブドゥルアジーズにもゆかりの深い場所で、国内統一以来、夏休みはこの場所で過ごし、1935年にはイエメン帰りにこの地で息子サウド王子(のち2代目国王)に会ったという。展示の中心はアラビア半島における王朝の興亡、1744年に第一次サウド候国が興ってからどのようにして現在のサウジアラビアに至ったか、というものであった。

 気がつくと7時をまわり、霧も深くなっていた。「車で下るのだろうか。この霧で運転できるのだろうか。今日中にジェッダには着けないのではないだろうか」とも心配してしまったが、夜になってもケーブルカーはしっかり動いていた。下る途中にメッカ出身の学生が、山の向こうに見える街の明かりを指差して「僕らは向こうから来たんだ」と言った。それはメッカ自体では無く、その入り口に当たる街の明かりではあったが、異教徒は立ち入ることのできない聖地をこの目で見てみたいと思う私にとっては、強く何かを訴える光であった。

 帰路の車内では疲れでグッタリの日本人をよそに、サウジ学生達は賑やかであった。歌を歌い、大声で笑う。サウジ人のタフなパワーを感じた。

 ジェッダに着いたのは11時過ぎ。煌煌と光るまぶしい町の中、前日の昼食同様、ファーストフード「アル・ベーク」にて遅い夕食を食べた。翌日、我々は休む間もなくヤンブーへと向かった。
 



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