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ダンマーム
 
訪問日時

2002年12月29日夜〜12月31日

この地域の基本情報

ダンマーン、ダハラーン、ジュベイル工業地域等のアラビア湾岸の東部州は、石油関連産業の中心地として、急拡大している。

ダンマームでの訪問先

1)サウジ・アラムコ
2)シャルキーヤ州知事ムハンマド・ビン・ファハド殿下
3)OSPAS(アラムコの管理センター)、初めて原油が掘り出された所
4)アラムコ国際展示場
5)ジュベール工業地帯
6)科学館
7)シャルク油田
8)ジュベール工科学院
9)サッカー


サウジ・アラムコ

 私たちの生活様式は、石油なしではすでに考えられない状態になっている。しかし私たち、特に資源のほとんどない国に生活する日本人は、原料としてのそして燃料としての石油がどのように発掘され生産されているのかを実際に見る機会はまずない。そのような中で、今回サウジ・アラムコを訪問できたことはこの上なく貴重な経験であった。

 サウジ・アラムコは1933年にその起源を持つ企業である。今年で70年の歴史を持つその企業は、今では原油生産と輸出において世界有数の企業であり、天然ガスの分野においても、世界最大の輸出企業であり、生産面でも最大規模を誇る。

  今回はアラムコが所有するサウジアラビア国内5つの精製所の内、ラス・タンヌーラ(Ras Tanura)の訪問であった。私たちはまずビデオを見て、アラムコの、そしてその操業のようすについて説明を受けた。恥ずかしながら私はこの説明を受けるまで、アラムコは世界でも類をみない巨大な規模の会社であるので、多少不効率な作業を行っていても全体から見れば誤差のように無視できるものと認識され、実際そのような経営が行われているのだと思っていた。

 しかし説明を受けて、私の思い込みは全くの誤りであることを知った。アラムコは20年先を見越したマスタープランを持っており、計画的に設備整備や経営が行われていること、企業の主要課題として新技術の導入や技術革新を挙げ、それに対して積極的に取り組んでいること、また経費削減の戦略(cost down strategy)を練ったり、人的資源の開発(develop human resources)にも力を入れたりと、考えてみれば企業として当然すべきことをアラムコもしているのである。このことは、現在でも世界の中で確固とした地位を持っているアラムコが、その地位をより強固なものにしているように思えた。

  当然という話題の続きで書くとすれば、アラムコは保安体制にも非常に力を入れているということであった。保安部門(section for safety)はアラムコ内部でも非常に大きく、その部門のために会社として一人の責任者(general manager)を置いているということであった。またパイプラインの管理は会社とサウジ政府が共同で管理しているということだった。

 さて、次に私たちはバスに乗って精製プラントと最終プラント(Terminal Plant)の見学に出かけた。まさにその眺めは圧倒された、の一言であった。広大な敷地の中に巨大な設備が並んでいる。まず日本では見られない眺めであった。日本は原油輸入の25%をサウジアラビアに依存しているが、今見ているところからはるばる日本に原油が運ばれるのだな、と思うととても不思議な気分であった。

 プラントを見終わった後、技術者の方を交えての昼食会があった。私のとなりに座った方は日本に行ったことがある方で、日本語を交えながら話をすることができた。今でも日本で学んだ空手をしており、道場も開き多くの方と空手をしていることであった。この方とは、日本の話以外にも、バスツアー中には聞くことのできなかった疑問点を質問して答えてもらうなど、非常に有意義な時間を過ごすことができた。

 ただ残念だったことは、全体を通していえることであるが、少し時間に追われる形になってしまい、ゆっくりと話をしたりする時間をもてなかったことである。
 

シャルキーヤ州知事ムハンマド・ビン・ファハド殿下


ムハンマド殿下
 

 シャルキーヤ州知事ムハンマド・ビン・ファハド殿下(写真)は現国王の息子にあたる方である。

  謁見の際には学生たち一人一人が握手をさせていただき、シャルキーヤやサウジアラビア王国の発展についてお話を伺った。王国の発展については特に石油化学産業の発達について、そして工業地帯の建設の経緯と成功についてのお話をしていただいた。

殿下への謁見

  その後、私たち日本の学生たちが質問をする機会をいただき、サウジアラビア王国のこれからの発展への展望や教育制度についての質問をさせていただいた。今後の発展の展望については、産業育成をさらに強化して経済成長を続けながらも、伝統的な価値を尊重にすることにより、イスラームの実践を深めることで安定的な社会を維持していくことが重要であると述べられた。教育制度についての質問については、サウジアラビア王国の発展には教育が極めて重要であり、これからも教育環境の整備を進め、就学支援や海外への留学の支援、高度な技術者、優秀な人材の育成に努め、王国の発展を続けて行くとお話いただいた。

  終始熱心に語るムハンマド・ビン・ファハド殿下の姿に、王国の今後の発展に対する熱意を強く感じた。


OSPASセンター

センター外観 センター

 OSPASセンターとは、サウジ・アラムコが生産する原油やガス、そして製品の流通を監視するとともに指揮する場所であり、1999年4月11日に開所した。この施設は、非常に発展した現在のサウジアラビアの石油産業を象徴するような建物であるが、私たちは、この施設を訪問する前にサウジアラビアで初めて原油が掘り出された場所を訪れた。

 この場所は現在、公園のように整備されていた。原油が掘り出されたところにはポンプのようなものとともに高い棒が立てられており、その場所を示していた。ポンプのまわりは小さな石が敷き詰められていたのだが、その石はっぽく変色しているとともに油がかかったような状態になっていたので、かつてここから原油が掘り出されていたときに油が付着したのかなと往時のようすを思い浮かべるとともに、ここでは今でも少しずつ原油が漏れ出しているのではないか、と思った。このような一つの小さな原油の採掘場所から始まって、今のように巨大な施設を伴うにまで石油産業が発達したことを考えると、壮大な夢物語を見ているような気がした。

 さて、OSPASセンターに話を戻す。ここは8時間ごとのシフトで24時間365日動き続けている。ここでは先ほども書いたように、ありとあらゆるものの監視と指揮が行われている。石油が製品を運ぶ船舶の出入港の管理から、それに運び入れるものの管理、工場の各施設をつなぐパイプラインに異常はないか、電気はどれくらい使われているかなど、部屋というかその空間を形作る壁一面に付けられたモニターや回路図のような地図を見ることで、把握できるようになっていた。これはまるでSF映画の一場面を見ているようであった。

 しかし、この部屋は大きいために、全ての情報を一度に見ることはできない。そこで、この部屋の中には少し高いところに別の小さな部屋が作られており、ここに入れば、全ての情報が一度に見ることができる状態になっている。そのためこの部屋は危機管理の部屋にもなっており、何か事故が起これば、工場の情報だけでなく、さまざまなメディアからも情報が得られるようになっていた。

 最後に、この施設を案内してくれた方の中には日本語を話せる人が多くいた。普段石油がどのように作られているのか考えることはないが、日本から遠く離れた現場にいるサウジの人が日本語を話すことができる、ということを知ると、もっとサウジのこと、そして石油のことについて考える必要があるな、と思った。


アラムコ国際展示場

 サウジアラムコ国際展示場では石油産業の種々の過程に関するあらゆることが数々の展示を通して解説されている。展示は石油の地中での形成過程から、採掘方法や精製過程、その後の各石油系原料の製造の解説までに及んでいる。また、サウジアラムコの歴史についても展示されている。展示場はテーマごとにセクションに別れている。各展示には様々な仕掛けがあり、見学者はそれらに触れたり模型を実際に動かしたりすることにより、楽しみながら説明を受けることができるようになっている。展示場はとても広く、全てをじっくり見ると数時間でも足りないほど充実している。展示はわかりやすく、子供から大人まで楽しみながら解説を受けることができるように工夫されている。 

 展示の例として油田探索に関するものを挙げる。見学者たちが数人で小さな部屋に入ると入り口が閉まり、前方の壁のスクリーンに地中へと潜っていく映像が映しだされ、映像に合わせて床が振動し、まるで遊園地のアトラクションを楽しむようにして、地中にどのような状態で原油が存在し、どのように油田を掘るかについて知ることができる。他の展示では、模型の装置の中を液体が流れたり、模型の中に貯められた液体の中を泡が上っていく様子を見たりすることで、精製の過程をイメージしながら理解することができるようになっている。 

 石油化学プラントは極めて巨大で複雑な構造をしているため見るものを圧倒するが、アラムコ国際展示場の各展示を見ると、それらの大規模なプラント設備でどのような作業が行われているかを知ることができる。また、油田の探索や採掘の方法などについても楽しみながら解説を受けることができるようになっている。サウジアラムコの発展の経緯についても知ることができる。

なお、以下の公式ホームページではヴァーチャルツアーをしながら、サウジアラムコ国際展示場の様子を知ることができる。
 

ジュベール工業地帯

 ジュベール工業地帯は、ダンマームから北へ約90kmのところに位置し、多くの工業地が集まるサウジアラビアの東部地区でも有数の工業地帯である。しかし、ジュベールの工業地帯としての歴史は浅く、1970年に埋め立てが始まり、1975年に設立されたジュベール・ヤンブ王立委員会(Royal Commission for Jubail and Yanbo)の推進する工業都市プロジェクトの一環として計画的に開発が進められたのが、工業地帯としてのジュベールの始まりである。

 ヤンブーとは、サウジアラビアの紅海側、すなわちジュベールとは反対側の西側に位置する工業地帯であるが、このヤンブーとジュベールとは原油のパイプラインで結ばれている。

工業地帯

 このジュベール地域は急速に発展を続けており、当初2020年を想定して作成していたイメージ図が2002年において実現を果たしている。規模を見ても、ヤンブーの3倍となり、工業用水のために掘られた川を流れる水の量は、ティグリス・ユーフラテス川よりも多いという。

 このように見てみると、ジュベールという町は工業に偏った町のように思えるが実際はそうではなく、非常に計画的に作られた町であるのでとても住みよい町であるようにも思えた。この地域の風は北から南に吹くので、住宅街は工業地帯の北部に作られているというように、住環境に対しては非常に細かい注意が払われている。

 この他にも、住宅地と工業地帯との境には公園を作って緩衝地としたり、一般に開放された保養施設を作ったりと、余暇を楽しむためのレジャー施設的なものも整備されており、職住接近を目指した町がうまく整備されているように思えた。そして、工科学院も設置されており、工場だけでなく、町全体が一体となって工業を支える環境になっているからこそ、このジュベール工業地帯が急速な発展を遂げられているのではないか、と思った。

 最後に、日本人の私どもがこの地域に関して特に記しておきたい点としては、ジュベール工業地帯には非常に多くの日本企業が進出しているということである。そのため、多くの日本人技術者の方とお会いできたのはもとより、日本語を話せるサウジアラビア技術者や欧米の技術者の方ともお会いすることができた。このことは、私どもにとって非常にうれしいことであったとともに、驚いたことであった。

 このなかで、日本での留学経験があるサウジアラビアの技術者の方とお話する機会を得たのだが、その方は、日本のアラビア石油の奨学金で日本に留学した方だった。アラビア石油は2000年2月にサウジ政府との利権協定が終了したために現在サウジアラビアで操業していない。そのためこの留学制度も今はなくなってしまっているのだが、この技術者はこのことを非常に残念がっていた。

 これまで私は、アラビア石油のサウジアラビアでの操業停止は、単に日本にとって石油確保の手段が一つ減ってしまった出来事としか認識していなかった。しかし、アラビア石油という存在が留学という制度によって日本とサウジの交流に貢献していたこと、またアラビア石油がなくなったことを非常に残念がっているサウジの人がいることを知って、アラビア石油がなくなったことが人と人との交流という面で非常に大きな損失になってしまったのだと思うとともに、この出来事を非常に悲しく思った。


科学館

 ジュベールは、今では一大工業地帯としてその名を知られているが、ほんの30年前までは小さな漁村でしかなかった。この科学館では、そのような漁村時代、さらにさかのぼって、人間が狩猟生活をしていた頃から現在の工業地帯として発展するまでのジュベールの歴史を紹介しているとともに、現在の科学技術を易しく紹介しながらそれらを体験することができる。

科学館 科学館にて

 この科学館では、先ほども書いたように、展示しているものを実際に体験することができるのだが、ここでの体験は非常におもしろいものであった。鏡に囲まれた空間に身を置くことや、しゃぼん玉の中に入ることなど、小さな時からやってみたいと思っていたことを体験できたことはとてもうれしかった。

 また、回るいすに座った状態で、ダンベルを持った腕を伸ばしたり縮めることで角運動量を体験できるコーナーや、同じく回るいすに座った状態で、これは専門用語で何を体験するものなのかは分からなかったが、回っている車輪を傾けたりすることで力の入り具合が変わるコーナーはとてもおもしろかった。また、空気が出ているところにビーチボールを置くと、空中にボールが留まり続ける展示は、どういう原理になっているのかとても不思議な展示であった。

ソーラーカー

 展示を見終わった後建物の外に出ると、ソーラーカーに乗ることができた。私は初めてソーラーカーを運転したが、普通の車と変わるところは余りなく、いい体験をしたとともにとてもおもしろかった。

 この他にも、戦車や戦闘機、かつての機関車なども見たが、これらは私どもの年齢になっても十分楽しめるものであった。そして、このようなものに子供時代に触れたら、自分の町や科学に対する思いに、とてもいい刺激になると思った。


シャルク油田

 「シャルク」という会社は、サウジアラビアの豊富な資源を利用して一大石油化学事業を展開させようという目的で、日本とサウジアラビアとの合弁で作られた会社である。ここでは、油田開発だけでなく、原油をもとにしてエチレングリコールやポリエチレンといったさまざまな原料、そしてそれらを使った製品も作られている。作られた原料や製品は、国内で使われるだけでなく、国外へも輸出されている。

 次にこの工場の能力を見てみる。エチレングリコールの生成プラントは3基あり、それぞれ年産45万トンの能力を持つ。すなわち合計で年産135万トンの能力を持つことになり、これは、単一工場では世界最大である。日本国内にあるプラントの最大生産能力は年産20万トンであることを考えれば、この規模の大きさはすさまじいものである。一方で、ポリエチレンは一日あたり2000トンの生産能力を持ち、30日分の在庫も保っている。

 このように、この油田および一連の工場は、非常に重要な産業拠点であるために、その警備体制は非常に厳しいものであった。工場の敷地に入るときには、工場としてのセキュリティーチェックだけでなく、内務省管轄のセキュリティーチェックも行われた。その結果、敷地に入る際にはカメラを回収されたのだが、これは、シャルキーヤ州知事であるムハンマド・ビン・ファハド殿下と会見する際にカメラチェックをされたのと並ぶ厳しさであった。このことからも、石油産業というものが、サウジアラビアにおいてどれだけ重要視されているのかということが分かったように思った。

 さて、私がこの工場を訪れて、石油採掘に対するイメージが最も変わったのは、工場の煙突から出る炎、いわゆるフレアに対してである。私はそれまで、石油を掘っていたら必ずフレアが出るものだと思っており、その勢いが強いほど採掘が順調であるのだと思っていた。しかし私がシャルク油田を訪れたとき、工場内であまりフレアを見ることがなかった。なので、この工場はあまり活発に動いていないのかな、と思ったのだが、ガイドの人に「フレアが出ているのはプラントが安定して運転していない証拠だ」と教えられたのでとても驚いた。日本で見る油田の映像なり写真では、必ずと言っていいほど赤々と燃えるフレアの炎が写っている。しかし、それは石油採掘に対する誤ったイメージであり、真に望まれる姿というのは、シャルク油田のようにフレアのほとんど出ない姿なのである。その面からも、シャルク油田の優れた面を見た気がした。
 

ジュベール工科学院

工科学院 学院の庭


 バスでそこに着いたとき、私は一体どこに来たのか分からなかった。広大な敷地に緑豊かなキャンパス。それこそ、ジュベール工科学院であった。日本の大学ではまず考えられないキャンパスであった。私は、まずその環境の素晴らしさに驚いた。

 さて、私たちはこの学院にある学科の紹介をしてもらった。ここでは、非常に時間が限られていたためにじっくりと施設を見たり、話を聞いたりする時間がなかったのがとても残念であったことを記憶している。この少ない時間のなかで見聞きしたことは、この学院の特徴のほんの一部分でしかなかったと思う。しかしそこからだけでも、この学院が持つ他の多くの素晴らしい特徴を容易に想像できるほど、とても充実した見学であった。

 私たちは、化学、機会、電子工学の3つの学科を紹介してもらった。機械工学科では広い演習室と設備の充実さに驚いた。また電子工学科では、講義室と演習室とがつながった教室で授業が行われており、授業で習った理論をすぐに体験できる環境に驚いた。そして化学工学科では、高度なシミュレーション技術での学習によって、すぐにでも現場で活躍できるようになるのではないか、と思うほどであった。これらのことは、工業地帯の中にある工科学院だからこそ持てる利点であるな、と思うとともに、とてもうらやましく思った。

 このように学院の説明を聞き施設を見たことで、自分自身もとても勉強になったのだが、ただ一つ残念だったことは、せっかく学院に来たのだから、そこで学ぶ学生と話をしたかった、ということである。そして、同じ年代の友として交流を深めたかった、という思いである。

 最後に、非常に個人的な感想になってしまうのだが、それを書いて終わりたい。キャンパスの見学をはじめる前に、私たちはキャンパス内で開かれた昼食会で食事をした。そのとき私の隣に座ったのはこの学院に勤める教授であったのだが、その教授に私は大学で何を勉強しているのかを尋ねられた。私は「大学と社会との関係について研究をし、その中でも、大学が社会に対してどのように働きかけができ、社会が大学に対してどのように貢献できるのか、ということについて研究している」と答えた。するとその教授は「貢献(contribute)というより支援(support)と言った方がいい」とアドバイスしてくれた。このことは私にとって非常にうれしいことであった。日本でも私の研究について話をすることがあるのだが、大学と社会との関係と言っても、それに関心を示してくれる人はほとんどいない。そのような状況であったので、まさか外国に行ってそこでアドバイスをもらえるなんて思ってもいなかったからである。

  このように、私のとても簡単な研究紹介であったにも関わらず、すぐにそれに対して有益なアドバイスをしてくれるということは、この教授、ひいてはジュベール工科学院が、近接するジュベール工業地帯に対して、またサウジという国家に対して、いかにその役割を果たせるのか、ということを真剣に考えているからではないか、と思った。ジュベール工科学院は、工業地帯にある工科学院という性質があるから、余計に工業地帯などとの関係を考えなければいけないのかもしれない。しかしそういう特殊性を除いたとしても、今回の訪問は、私にとってこの上なく貴重な経験を与えてくれた。一生忘れることのできない出来事である。


サッカー

テレビゲームで遊ぶ学生たち サッカーの試合を通じた交流

 サッカーは、サウジアラビアの国民的スポーツである。その人気はスポーツの中で群を抜いている。学生達との会話でも、サッカーを話題にすることが多かった。中でも「デアィエ」という名のゴールキーパーはとても優れた選手であるために、私たちもその名を知っていたため、彼の話で盛り上がることもあった。

  しかし、今回の旅は相当なハードスケジュールだったために、実際に体を動かす時間があまりなかった。特にここ、ダンマームに来るまでは。

 ザハラーンホテルに向かうバスの中で、ブカーリ イサムさんが「ホテルでサッカーできるかもしれない」と言った。その時、土地の狭い東京で暮らす私は、プレイステーションのサッカーゲームをやるのだろうと思ってしまった。が、話によると、どうやら本当に体を動かすサッカーができるらしい。

 ホテルに到着するやいなやフロントに「サッカーできますか?」と聞く私たち。従業員にはさぞかし変に思われただろう。返事は「できる」とのこと。まだ部屋に行っていないのにも関わらず、勇んでグラウンドを見に行った。芝だ。ボールもある。サウジに来て初めて運動ができる喜びと、今までゲームでしかやっていなかったサッカーができるという喜び。

 一同大はしゃぎで荷物を置き、すぐに着替えてグラウンドへ向かった。その日はメンバーが日本人一行とイサムさんの友人二人しかいなかったため、小ぢんまりとした試合だったのだが、翌日はサウジ学生が集まり、日本VSサウジとなった。

  結果は11-12でサウジチームの勝利。負けはしたが、とても楽しい試合だった。

 やはり学生交流というのは、バスで話すだけではなく、このように一緒にスポーツやゲームなどをするのが一番仲良くなれるのではないか。同じ目的を持って一生懸命に物事をやれば、そこに言葉はなくとも親しくなれる。この晩のサッカーは、それが証明された場でもあったと思う。
 



 
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