建国記念日(ヤウム・ル・ワタニー)
サウディアラビア王国の建国の父は、アブドルアジーズ・ビン・アブドルラハマーン・アルファイサル・アール・サウード国王(通称イブン・サウード)です。アブドルアジーズ王は建国に先立って、各地の統一を成し遂げ、西暦1932年(=ヒジュラ暦1351年)9月23日に独立を宣言されました。アッラーへの信仰をいしずえとし、めざましい発展を遂げているサウディアラビア王国は、この9月23日を「建国記念日」と制定し、盛大に祝ってきました。
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建国の父
アブドルアジーズ王 |
サウディアラビア王国はイスラームの理念にのっとり、イスラーム法であるシャリーアを施行する国家としてその産声をあげましたが、この国家の創立の背景には、アブドルアジーズ王らのたゆまぬ努力があったのでした。
サウディアラビア王国の誕生まで
サウディアラビア王国のはじまりは、ディルイーヤを治めていたサウード家のムハンマド・ビン・サウードと、宗教指導者であったシャイフ・ムハンマド・ビン・アブドルワッハーブが、イスラームの理念に基づき、協力をしてゆくことを盟約(「ディルイーヤの盟約」)した、西暦1744年にさかのぼることができます。
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ディルイーヤの遺跡 |
この2人は、イスラームの本来あるべき姿を取り戻し、人々が陥っている誤りと逸脱をなくすことをめざすことで一致。諸部族に正しい信仰を伝え、アラビア半島の統一を進めていきました。
しかしながら、このようにして誕生した王国の安定は長く続かず、外国勢力の干渉や部族間抗争はその激しさを増していきました。ムハンマド・ビン・サウードとそしてその息子であるアブドルアジーズは、クウェイトに居を移すことになりましたが、後にサウディアラビア王国建国の父となるアブドルアジーズは王国の再興と復権を心に強く誓ったのでした。
クウェイトに滞在し、復権の機会を待っていたアブドルアジーズは、西暦1902年1月15日(ヒジュラ暦1319年シャッワール月5日)、ついにリヤードを取り戻しました。このリヤード奪還を契機として、アブドルアジーズは王国の統一を再び実現していきました。
サウディアラビア王国の誕生
アブドルアジーズ王の理念と、アッラーへのゆるぎない信仰に共鳴した人々は王国の基礎を築く作業に率先して参加しました。そして、西暦1932年9月23日、サウディアラビア王国が誕生したのでした。

家族に囲まれるアブドルアジーズ王
アブドルアジーズ国王の業績は数多くありますが、遊牧民の定住とイスラームにのっとった生活の実施、安全な巡礼路の確保、メッカの聖モスクの改修と拡張、教育の普及などは、いずれも王国の基礎を確固たるものとし、サウジアラビアのみならず世界中のムスリムたちに貢献するものでした。
石油の発見
西暦1938年、サウディアラビア王国の東部において石油が発見されました。西暦1932年に建国されてから数年という早い時期に石油が発見されたことで、サウディアラビア王国は早い時期からさまざまな分野において開発を進めることが可能となったのです。国内鉄道の整備や放送局の整備、教育の普及、医療施設の整備なども行われました。
こうしてサウディアラビアは、目覚しい発展をとげ、アラブ諸国においても重要な役割を遂げる国家となっていったのです。
アブドルアジーズ王の逝去
アブドルアジーズ(通称:イブン・サウード)国王は、西暦1953年11月9日、人々に惜しまれつつ逝去されました。しかし、現在でもサウディアラビア国民は亡き王の偉大なる業績を誇りとし、その思い出を胸に秘めているのです。
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