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ハディースの理解とそれが導くこと |
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1 教育者としての預言者
アッラーの使徒はサハーバたちにとっての教師であり教育者でした。そして彼の教育法は近代教育学者たちがそこに到達した最新のものでした。つまり相応しい機会を捕らえ、例を挙げ、彼らのために、抽象的な意味を具体的なものにするのです。そして彼らに訓戒を与え彼らが必要としていることを満たす話をし、彼らの思考力を理解し、行動を監視するのです。そしてよりよい行為があればそのように正し、間違いがあれば直します。そしてこれら全て良い模範と忍耐によって行いました。
このハディース中で、預言者ムハンマドは、聞き手がこれから彼が得る知識に対し注意を引くよう、アブドゥッラー ビン ウマルの両肩を掴みました。
教師あるいは訓戒を行う者が聞き手の体の一部に触れることは、聞き手の注意を促し、親近感を与え、より覚えやすくするためです。そしてこれは当然、聞き手が話し手に対して好意をもっている時に用いられる方法です。
2 現世は儚く、来世は残るもの
人間はこの世においてアッラーがその者が生きることを望んだ分だけ生きます。そしていつの日か必ず死ぬのです。
『誰でも皆死を味わうのである。』(アーリ イムラーン章185節)
『本当にあなたは(何時かは)死ぬ。かれらもまた死ぬのである。』(アッズマル章30節)
人間はいつ寿命が終わり死が自分のもとにやってくるのかを知らないのです。
『だが(人間は)誰も明日自分が何を稼ぐかを知らず、誰も何処で死ぬかを知らない。』(ルクマーン章34節)
いかに人間の寿命が長くとも、この世は儚いものです。アッラーが人々を彼らの墓から甦らせ、彼らを自らの御許に集め、彼らの行為を清算し、敬虔な者たちのために用意された永遠の楽園に、そして不信仰者たちに用意されたその薪が人々と意志である業火へと振り分けるのです。
理性的な信者はこの世に惑わされること無く、そこに安寧を見出そうとはしません。そして現世を来世でその実を収穫する畑と捕らえ、善行という種を植えるのです。預言者たちや彼らの追従者たちはよくこのことについて忠告しました。
『人びとよ、現世の生活は束の間の享楽に過ぎません。本当に来世こそは永遠の住まいです。』(ガーフィル章39節)
3 現世は来世への通過点
『この世の生活は、偽りの快楽に過ぎない。』(アーリ イムラーン章185節)
信仰者はこの世で異邦人のように生き、主に見まえる日を切望するのです。
『現世の生活の楽しみは、来世に比べれば微少なものに過ぎない。』(タウバ章38節)
『本当に来世こそは永遠の住まいです。』(ガーフィル章39節)
『(かれは)死と生を創られた方である。それは、あなたがたの中誰の行いが優れているのかを試みられるためで、かれは偉力ならびなく寛容であられる。』(アルムルク章2節)
『その日、主を畏れる者を除いては、(親しい)友も互いに敵となろう。』(アッズフルフ章67節)
『その日、悪を行った者は、(しまったと、)その手を(噛)み、言うであろう。「ああ、わたしがもし使徒と共に(正しい)道を選んでいたならば。ああ、情けない、わたしがあんなものを友としなかったならば。本当にかれは、訓戒が下った後にわたしを迷わせたのです。悪魔は常に人間を裏切ります。」』(アルフルカーン章27−29節)
『旅の準備をしなさい。だが最も優れた準備は篤信の念である。あなたがた思慮ある者よ、われを畏れなさい。』(アルバカラ章197節)
4 イブン ウマルの訓戒
イブン ウマルは預言者の訓戒を全身全霊で聞き、頭と心で理解しました。こうして彼は、教育者預言者の優秀な生徒となりました。そして今度は自分が導きの光のもととなったのです。
預言者は言いました。「5つのものを5つの前に捕らえなさい。若さを老齢の前に、健康を病気の前に、裕福を貧困の前に、暇を仕事の前に、生きることを死の前に。」
5 将来の取得の希望でもって、ムスリムは善行を急いで行い、服従行為を増やし、怠ったり遅らせたりしません。というのは寿命がいつつきるかわからないからです。
6 ムスリムは好機を逃しません。
7 このハディースは現世における「ズフド」(現世に捕われないこと)を奨励しています。これは働くことや活動放置を意味するものではありません。
8 ムスリムはアッラーからの罰を恐れと同時に、常に善行をするよう努力しなければなりません。
9 悪友たちと共に行動することを警戒する。
10 現世における仕事はじぶんの生活を支えるためには義務です。
11 このハディースは私たちを中庸の道へと導いてくれます。
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