 |
ハディースの理解とそれが導くこと |
 |
1 妬みの禁止
- 意味「ハサド(妬み)」とは妬まれるものの恩恵が取り除かれることを願い、それが妬む者、あるいは他のものへと行くことを望むこと。これは人間の本質の中に存在するよくない人格の一つです。人間はよいことにおいて他の誰にも自分を抜かせない性質をもっています。
- 法則
妬みが禁じられているということはクルアーンにもスンナにも述べられています。
至高のアッラーは仰せられました。
アルバカラ章109節『啓典の民の多くは、あなたがたが信仰を受け入れた後でも不信神に戻そうと望んでいる…』
アンニサー章54節『それともかれらは、アッラーが恩恵を施されたためにその人々(アラビア人)を妬むのか…』
預言者は言いました。「あなたがたは妬みに気をつけなければならない。妬みは火が薪を食らうように善行を食う。」
- 妬みの禁止の英知
妬みとはアッラーへの反抗と不満からくるものです。つまりアッラーが自分以外のものに恩恵を与えたのが気に入らないわけです。ですから妬みとはアッラーの行為への批判とアッラーの恩恵の除外を求めることになるのです。
また妬みは心の疲弊、禁じられた方法による意味の無い悲しみを生むため次元の低い行為とされています。
-
妬む人々の分類
- 妬まれた者の恩恵がその者から去ることを言葉と行為によって願う人々。彼らの中には特にその恩恵がその後自分にやってくることを望む者と特にそれを望まず、ただ単に妬まれた者の不幸を望む者がいます。後者はより悪い人々とされています。
- たとえ妬みの気持ちが芽生えてもそれを言葉や行為に移さない人々。これらの人々には妬みが心に芽生えたがどうしてもそれに打ち勝てない人々がいます。これらの人々は罪を犯したことにはなりません。またもう一方で妬みが芽生えた後に自分の意思でさらに同胞に対するアッラーの恩恵が去ることを願う者がいます。これはアッラーへの反抗を決心したようなものです。しかし、これらの人々のなかでその願いを口に出して罪を犯すのではなく、自分にもその恩恵が与えられるように努力する人々がいます。
アルカサス章79節
『…現世の生活をこいねがっている者たちは言った。「ああ、わたしたちもカールーンに与えられたようなものが戴けたらばなあ…」』
これらの人々が求めたものが宗教的なものであればそれは善いことだとされています。
アルブハーリーとムスリムの伝承によると、預言者ムハンマドは言いました。「二つもの以外を妬んではならない:アッラーから財産を与えられ日夜それを(アッラーの道のために)費やす者、アッラーからクルアーンを与えられ日夜それを読む者である。」
- もし自分の心に妬みが芽生えたらそれを取り去るように努力する人々。そして自分が妬んだ人に対してイフサーンを行い、彼のためにドゥアーをし彼の良いところを広めるようにします。そして自分の心に芽生えた妬みを退け、かわりに自分が相手よりも良いムスリムになることを願います。これは信仰の最も上の段階です。ムスリムは自分が好むことを同胞にも好みます。
2 不当な値の吊り上げの禁止
- 意味:「ナジャシュ」とは他人に害を与えるために商品を購入する気がないにもかかわらず値をつりあげること。
- 法則:ナジャシュはそれが売る人との合意によって行われようが、そうでなかろうが人を騙し欺くことですから禁じられます。騙すことも欺くこともイスラームでは禁じられています。
預言者は言いました。「私たちを騙したものは私たちの仲間ではない。」
ナジャシュが禁じられているのを知りながらそれを行った者はアッラーに反抗したことになります。
- ナジャシュが行われた売買契約について
ファースィドだという学派と第三者がそれを行った場合にはファースィドにはならないとする学派があります。
* ファースィドの意味は授業で説明
- 広い意味でのナジャシュ
この預言者のハディース中のナジャシュの意味をもっと広い意味でとることもできます。つまり「お互いに策謀したり迷わせたり他者に害を与えてはならない」ということです。
ファーティル章43節
『…だが悪事の策謀は、その当人に振りかかるだけである…』
ハディース「策謀と欺きは火の中である。」「ムスリムに害を与えたり策謀したりしたものは呪われる。」
また人を騙す全ての行為はこの禁じられた項目に含まれます。たとえば商品の欠陥を隠したり、良い物と悪い物を混ぜることなどもこれに含まれます。
ただし戦争時などの敵に対する作戦などはこれに含まれません。
3 嫌悪の禁止
- ムスリムはアッラーのため以外に相手を嫌いません。ムスリムたちは同胞でありお互いに愛情を持つものです。
アルフジュラート章10節
『信者たちは兄弟である…』
ハディース「自分が彼の手によるお方に誓ってあなた方が信仰するまで天国には入らないでしょう。そしてお互いに親愛の情を持つまでは信仰していることにはならないでしょう…」
- 法則:二者間に存在する嫌悪は、両者からくる場合と片方からのみくる場合があります。アッラーのため以外の嫌悪は禁じられています。
アルムムタハナ章1節
『・・・われの敵であり、あなたがたの敵である者を、友としてはならない・・・』
預言者は言いました。「アッラーのために愛し、嫌い、与えるものは信仰心が完全である。」
信者は自分自身で自分の心に忠告しなければならず単なる欲望・習慣などからくる嫌悪を警戒しなければなりません。
- 敵意や嫌悪が生まれるようなことの禁止
アッラーは信者たちにお互いの間に敵意や嫌悪が芽生えることを禁じ、飲酒と賭け事を禁じました。
アルマーイダ章91節
『悪魔の望むところは、酒と賭(かけ)矢(や)によってあなたがたの間に、敵意と憎悪を起こさせ、あなたがたがアッラーを念じ礼拝を捧げるのを妨げようとすることである。それでもあなたがたは慎まないのか。』
そして敵意や嫌悪を生む悪意をもった告げ口や調停(状況を改善し、別離を防ぐため)の時以外の嘘を禁じました。
アンニサー章114節
『かれらの秘密の会議の多くは、無益なことである。ただし施しや善行を勧め、あるいは人びとの間を執り成すのは別である・・・』
- イスラームにおける親愛の位置
親愛と愛情の栄誉こそアッラーがしもべたちに与えた恩恵です。
アーリ イムラーン章103節
『・・・そしてあなたがたに対するアッラーの恩恵を心に銘じなさい。初めあなたがたが(互いに)敵であった時かれはあなたがたの心を(愛情で)結び付け、その御恵みによりあなたがたは兄弟となったのである。』
アルアンファール章62−63節
『・・・かれこそは、その助けにより、また(多くの)信者たちによりあなたを力付けられる方であり、またかれは、かれら(信者)の心を一つに結ばれる。あなたがたとえ地上の一切のものを費やしても、あなたはかれらの心を一つに結ぶことはできない。だがアッラーはかれらを結合させる・・・』
4 互いに背を向けることの禁止
「タダーブル」とは相手から離れることで人が相手に背を向け、顔を逸らすことからきており、最終的には相手との関係を切ることを指します。これを現世のために行うことは禁じられています。
ハディース「・・・ムスリムが3日以上同胞をさけることは許されない・・・両者のうちより善い者はじぶんからサラームを始める者である。」
同じく「6日以上同胞を避けた者はあたかも同胞の血を流したようなものである。」
ただし、宗教的なことに関しては3日以上相手を避けることも許されています。
* タブークの戦いで預言者の命令に逆らった3人のサハーバの話。預言者は50日間彼らを避けましたが、これは彼らを教育するため(躾)でした。
ある学者は親が子供を避けたり夫が妻を避けたりすることも躾を目的とするものであれば3日以上行ってもよいと述べています。彼は預言者が彼の妻たちを1ヶ月避けたことを挙げています。
5 売買に対する売買の禁止
預言者は言いました。「信者は同胞の売買に対して売買をしない。」
これはハラームです。次のような状態がこれに当てはまります。ある者が商品を買った者に対して(あるいは品を受け取っていなくとも、双方の同意が済んでいる者たちに対して)、「あなたにそれよりももっと良質の物を同じ値で(あるいは同じものを安価で)売るから契約を破棄しなさい。」ということです。売る場合だけではなく、購入する場合も同じことです。
* 売買は成立するが、ハラーム。
* 婚約の話。
このようなことは信者だけではなく、信者でない者に対しても行ってはいけません。
* オークションの話。
「もっと高値で買う者はいないか?」と預言者は言いました。
6 同胞愛を広めることに対する命令
預言者はムスリムたちの間に同胞愛を広めることを命じました。そして言いました。「兄弟のようなアッラーのしもべたちになりなさい。」
つまり預言者は私たちに兄弟のようになるため、互いに妬みあったり、いがみ合ったり、顔を背け合ったり、誤魔化しあったりせず、また同胞の商談を横取りしたりせず、愛情・親切・優しさ・善行に対する協力など同胞として心の清浄な状態で接しあうよう命じました。そして私たちがアッラーのしもべであることを忘れないようにと命じました。しもべは通常主人の命令に従順で、しもべたちはその教えを守るために協力し合わなければなりません。これはお互いに愛情をもち、足並みをそろえなければ可能なことではありません。
アンファール章62−63節『…かれこそは、その助けにより、また(多くの)信者たちによりあなたを力付けられる方であり、またかれは、かれら(信者)の心を一つに結ばれる…』
当然のことながら、同胞愛を得るためには、ムスリムがムスリムに対する義務を行わなければなりません。(例えばサラームを行うこと、くしゃみをした人にドゥアーをすること、病人を見舞うこと、葬儀に参加すること、招待に応じること、アドバイスをすることなど)
また同胞愛を強くするものとして、プレゼントを上げたり、握手したりすることもあげられます。
7 同胞へのムスリムの義務
ムスリムは同胞の心を、互いに親しみを感じ、一つにまとめることを命じられています。
アルフジュラート章10節「信者たちは兄弟である。だからあなたがたは兄弟の間の融和を図り…」
逆にお互いの心を遠ざけたり相違させる原因になることを行ってはいけません。特に、不正・見放すこと・嘘をついたり嘘つき扱いすること・軽蔑などが最も心を相違させる原因として挙げられています。それどころかムスリムは自分に望むことを同胞に望むまで本当の信者とはいえないと言われています。イスラームはムスリムだけに対して善い人格であることを命じているわけではありません。
- 不正の禁止:ムスリムは互いに相手の生命・宗教・名誉・財産に害を与えてはなりません。
ハディース・クドゥスィー「しもべたちよ、われは自らのうえに不正を禁じ、あなたがたの間でも禁じられたものとした。だから互いに不正を行ってはならない…」
* 24の伝承参照
- 見放すことの禁止:ムスリムがムスリムを見放すことは非常に厳しく禁じられています。特に相手がそれを必要としていればなおさらです。
アルアンファール章72節『…ただし、かれらがもし宗教(上のこと)であなたがたに救助を求めるならば、あなたがたと盟約のある間柄の民に逆らわない限り、これを助けるのはあなたがたの義務である…』
見放すこととは宗教的なこと(ナスィーハも含む)も現世的なことも含まれます。
- 嘘と嘘つき呼ばわりすることの禁止:ムスリムは相手に真実を伝え、信用できる相手が話した場合にはそれを信じます。
- 軽蔑の禁止:ムスリムは同胞を軽蔑してはなりません。これはアッラーがその者を創造した時、卑しめたわけではなく、むしろ、栄誉を与えたからです。つまり人を蔑むとはアッラーを蔑んだことに繋がるのです。また人への軽蔑は自分自身の高慢さから生まれます。高慢さは非常に悪い性質とされていますし、また、その本人を天国から遠ざけ、地獄へと遠ざけます。
* 何か悪いことをした時にはその行為を蔑むのであって、人自体を蔑んではならない。
預言者は言いました。「その者の心にとうもろこしの粒ほどの高慢さがある者は天国に入らない。」
8 敬虔さは人の優劣を量る目安である
敬虔さとは命じられたことを行い、禁じられたことを避けてアッラーの罰を避けることです。アッラーは人間の姿形や財産に対して裁くのではなく、その者の敬虔さやどれだけ従順にアッラーに服従しているかによって裁きます。時として人びとは他の者を現世におけるその者の弱さや運のなさによって蔑むかもしれません。しかしその者はアッラーのもとではその敬虔さを認められた信者であるかもしれないのです。
アルフジュラート章13節『…アッラーの御許で最も貴い者は、あなたがたの中最も主を畏れる者である…』
預言者は、「もっとも貴い人は誰ですか?」と尋ねられ、次のように答えました。「至高のアッラーを最も畏れる者だ。」
敬虔さは心の中にあります。
アルハッジ章32節『…アッラーの儀式を尊重する態度は、本当に心の敬虔さから出てくるもの。』
預言者は言いました。「アッラーはあなた方の姿かたちを見るのではない。心を見るのだ。」
現世においてよい姿をしていても、財産をもっていても、社会的地位をもっていても、心の中の敬虔さがない場合もありますし、何ももっていなくとも心の中は敬虔さに満ち溢れている者もいます。ですから軽蔑とは大きな罪になるのです。
9 ムスリムの神聖さ
ムスリムの生命と財産と名誉は神聖な冒してはならないものです。このことは預言者が彼の別れの説教で述べています。
* 刑罰の話参照
また預言者はムスリムを怖がらせたり、悲しませたりすることを禁じました。
「ムスリムにはムスリムを怖がらせることは許されない。」
「3人目の者をのけ者にして2人で秘密の話をしてはならない。3人目の者が悲しむからである。」
* 言葉の話
10 その他
― |
イスラームは信仰と宗教儀礼だけではなく、道徳と人との取引もふくまれる。 |
― |
イスラーム法では道徳的に非難される行為は罪とみなされる。 |
― |
ニーヤとアマル(意図と行為)はアッラーがそれでしもべたちを秤にかける精密な基準である。 |
― |
心はアッラーへの畏れの源泉である。 |
|