ハディース学習
 

40のハディース(34)
『悪行を取り除くことはイスラームの義務である』

 

このハディースはムスリムによって伝承されています。


単語の意味

منكم
ミンクム
義務を課されているムスリムたち。つまりこのハディースはウンマの全員に対して述べられている。
منكراً
ムンカラン
たとえ小さなことでも義務を怠ること、または禁じられたことを行うこと。
فليغيره
ファルユガイイルフ
取り除き、アッラーへの服従へと換えなさい。
بيده
ビヤディヒ
自分の手によって(状況を換えることができるのなら)




ハディースの理解とそれが導くこと

1 アブー サイードがこのハディースを口にしたきっかけ

ムスリムは言いました。ターリク ブン シハーブの伝えるところによると…
マルワーンがイードの日に最初にフトバ(説法)を始めるとある男が立ち上がり「礼拝がフトバより先である。」と言いました。するとマルワーンはフトバをやめました。するとアブー サイードが「この男はアッラーの使徒のスンナに反することを正す義務を果たした。」と言い、預言者のハディースを口にしました。

 

2 悪行を行う者たちへのジハード

真理と虚無は地上に人間が創造されて以来常にともに存在してきました。アッラーは人々の心に信仰心を植え付け、人々の心を清める役割の者たちを遣わされました。彼らに対して悪を行う者たちは常に反抗し、隙をぬっては人々に悪を蔓延させようとします。そのような時には逆に人々によく警告し人々の信仰心を強化させるということが必要になります。

ムスリムは伝えています。
預言者は言いました。『ウンマに私以前に遣わされた預言者たちにはそのウンマの教友たちがいた。そしてその教友たちは預言者のスンナと彼の命令に従った。その後それに反する者たちが出てきて、行わないことを口にし、命じられていないことを行うのだ。自分の手で彼らを正す者は信者であり、舌で正す者は信者である。また心で正す者も信者である。それ以外のものには少しの信仰心もない。』

 

3 悪行を非難すること

悪行を黙認しないことはムスリムの義務です。それぞれの能力に応じて行為・言葉・手・舌・心のいずれかによってそれを非難し(ここでの「非難」が指す意味については講義で詳しく説明します)、変えなければなりません。

  1. 心による非難

    何が善行で何が悪行かを知り、心の中でその悪行を非難することはすべての責任を課されたムスリムの義務です。これの法則は生涯変ることはありません。何が善行で何が悪行かを知らない者は滅び、また心の中でその悪行を非難しない者は、信仰心が無いことを証明しているようなものです。

  2. 不可能な場合の心による非難

    行為や言葉による相手への忠告が不可能な場合、心で非難することによって責任を背負うことから逃れることができます。ただしこれは本当に忠告が不可能だった場合、あるいは忠告によって、肉体的あるいは経済的な害などを受け、それに耐えることが不可能だった場合で、その能力があるにもかかわらずそれを行わない者は当然アッラーからその責任を問われます。

  3. 過ちに満足することは大罪である

    過ちを知りながらその状態に満足することは大罪を犯したことと同じことです。

    アブ−ダーウードは伝えています。
    預言者は言いました。「地上で過ちが行われた時にそれを目撃し、その行為を心 の中で嫌悪した場合その者はあたかもそれを目撃しなかったようなものである (つまりアッラーから問われない)。目撃しなくともそのことに満足した者はあ たかも目撃したかのようである。」


  4. 手あるいは舌による非難に関する法則

    ―ファルド キファーヤ (誰かが行えば残りの者の罪は問われない。誰も行わなければ全員の罪になる):何人かのムスリムが悪事を見つけ、誰かがその状態を正すことが出来た場合、残りの者は行動を起こさなくと罪に問われません。誰かが可能だったにもかかわらずそれを行わなかった場合は全員の罪となります。

    アーリ イムラーン章104節でアッラーは仰せられました。
    『また、あなたがたは一団となり、(人々を)善いことに招き、公正なことを命 じ、邪悪なことを禁じるようにしなさい…』

    ―ファルド アイン (個人に課される義務。自分で行わなかった場合罪となる。):一人のムスリムが悪事を見つけ、その状態を正すことが出来る場合それはそのムスリムの義務となります。正さなかった場合は罪となります。何人かのムスリムが同様のものを見て、それを正せる者がたった一人だった場合にはそれを正すことがその者の義務となります。

 

4 それが可能だったにも関わらず悪を取り除くことを放置した場合の結末

悪を禁じることが可能だったにも関わらずそれを怠った場合、世の中にはアッラーへの反抗とさまざまな悪事が広まります。そのような状態になると以前は可能であった悪を禁じることが不可能になってしまいます。そのような者たちに対してアッラーはお怒りになり、彼らを卑しい者たちとするのです。

アルマーイダ章78−79節でアッラーは仰せられました。
『イスラエルの子孫の中、不信心な者は、ダーウードやマルヤムの子イーサーの舌で呪われた。それはかれらが従わないで、法を越えたためである。かれらはその行った悪事を、互いに戒めなかった。かれらの行ったことの何と醜悪なことよ。』

アブー ダーウードの伝承によると預言者は言いました。「ある民のうちの一部が罪を犯し、それを正すのが可能であったにも関わらず正さなかった場合、アッラーはその民への罰を広める。」

 

5 過ちを犯した者の理解を正すこと

ムスリムの多くの者たちが自分たちの悪を非難することに対する怠惰を次のアルクルアーンの一節を用いて正当化しますがそのように解釈するのは間違いです。

アルマーイダ章105節『信仰する者よ、あなたがた自身(を守る責任)は、あなたがたにある。あなたがたが正しい道を踏むならば、迷った者はあなたがたを妨げることは出来ない。』

アルアンアーム章164節『…重荷を負う者は、外の者の重荷を負わない…』


これらの節の正しい解釈は「ムスリムは善行を命じ、悪行を禁じることが義務付けられている。しかし忠告を受けた者がその忠告に従わなかった場合忠告した者は相手のいかなる罪も背負わない。」

 

6 良くないことが起こることを恐れて非難しないこと

義務を課されているムスリムが、悪事が行われていることを知りそれを正すことが可能であった場合、そしてそれを正すことによって自分が耐え切れないような害が起こる可能性が高い場合はその過ちを非難する義務はなくなります。ただしこの義務がなくなるのは、あくまで耐え切れない害が起こる可能性が非常に高い場合のみで、ありがちな自分の弱さによって義務がなくなるわけではありません。

 

7 忠告を受け入れない可能性が非常に高い者への命令と禁令

学者たちは忠告を相手が受け入れないとしても善行を命じ悪行を禁じることの義務がなくなることはないということで意見を一致させています。重要なのは本人が忠告をすることで、相手が受け入れるかどうかは忠告者の責任ではないからです(罪に問われないということで)。

アルガーシヤ章21節『だからあなたは訓戒しなさい。本当にあなたは一人の訓戒者にほかならない。』

アッシューラー章48節『…あなた(の務め)は、(啓示の)伝達だけである。』

アッザーリヤート章55節『だが訓戒しなさい。訓戒は信者たちを益する。』

アルアアラーフ章164節『かれらの中の一団がこう言った時(を思え)。「何故あなたがたは、アッラーが絶滅され、また激しい懲罰をしようとされる民に訓戒するのか。」かれら(布教者)は言った。「あなたがたの主に、罪の御許しを願うためである。そうすればかれらは主を畏れるであろう。」』


一部の者たちは下に書かれている節を根拠に「余計なことはしなくていい。」あるいは「係わり合いにならないほうがよい。」「忠告しても無駄。」などと明確なアッラーの命令から人々を背けさせようとする者たちがいますがそれは間違いです。

アルカサス章56節『本当にあなたは、自分の好む者(の凡て)を導くことは出来ない。』

 

8 いかなる恐れもなく真理を口にすること

善行を命じ悪を禁ずることはムスリムの義務ですが、その際相手の社会的地位や自分との関係を考えて忠告することをやめたり自分がそれに耐えられるにもかかわらず他人の目(あるいは他人からの非難)を怖れてはいけません。英知を用いて、その場に相応しい忠告を相手が誰であろうと行わなければなりません。

預言者は次のように言いました。「あなたがたは自分自身を卑下してはならない。」するとサハーバは言いました。「アッラーの使徒よ、私たちがどのようにして自分自身を卑下するというのですか?」預言者は言いました。「相手に忠告すべきことがあったにもかかわらずしなかった場合だ。アッラーはその者に対して言うだろう。『そのことに関してなぜあなたは発言しなかったのか?』するとその者は答える。「人から何か言われることを怖れました。」そこでアッラーは仰せられる。『私をこそ怖れるべきであった。』と。」

 

9 支配者たちへの命令と禁令

善行を命じ悪を禁じることはウンマ(イスラーム共同体)の義務でもあり、また権利でもあります。ウンマには支配者(人々のリーダー的存在の者)と一般市民から構成されています。支配者たちにとって人々に命じたり禁じたりするのが彼らに課された義務であるとと同様にウンマの一員には支配者たちが義務を為すよう命じあるは禁じる義務があります。

サハービー(教友)のサイード ブン ジュバイルは同じくサハービーのイブン アッバースに言いました。「私は支配者に対して善行を命じ悪を禁じるべきだろうか?」イブン アッバースは答えて言いました。「もし彼があなたを殺す怖れがある場合は言うべきではない。」サイードはこの問いを2回繰り返し、同様にイブン アッバースも同じ答えを繰り返しました。そして言いました。「どうしても忠告しなければならない時には2人だけの時にしなさい(公衆の面前ではなく、という意味)。」

* アブーバクルのカリフ就任時のフトバ(説法)
* ウマルの言葉

 

10 混乱ではなく忠告

悪い状態は剣や武器などの混乱を引き起こすおそれのあるものによって変えられるのではなく、誠実な忠告によって変えられるべきです。

預言者は次のように言いました。「宗教とは忠告である。」サハーバたちが「アッラーの使徒よ、誰に対してですか?」と聞くと、「アッラーとその啓典、預言者たちとムスリムのリーダーたち、そして一般市民に対してである。」と言いました。

アッラーの啓典に対する忠告…啓典に書いてあることを実践すること。
アッラーの使徒に対する忠告…預言者のスンナにそって行動すること。
ムスリムのリーダーたち、そして一般市民に対しての忠告…お互いに善行を命じ悪を禁じること。

タウバ章71節『男の信者も女の信者も、互いに仲間である。かれらは正しいことをすすめ、邪悪を禁じる。また礼拝の務めを守り、定めの喜捨をなし、アッラーとその使徒に従う。これらの者に、アッラーは慈悲を与える…』

 

11  命令と禁令における厳しさと優しさ

命令あるいは禁令に関する忠告は英知をもっておこなわれなければなりません。

アンナフル章125節『英知と良い話し方で、(凡ての者を)あなたの主の道に招け…』

英知は命じられる人、禁じられる人によって、また命じられる内容、禁じられる内容によって異なります。ですから時には柔らかい言葉やお世辞を用いて、またある時は厳しい言葉で忠告は行われるのです。

ターハー章43−44節『あなたがた両人はフィルアウンの許に行け。本当にかれは高慢非道である。だがかれにもの静かな説き方で語れ。かれは訓戒を受け入れるか、またはわれを恐れるであろう。』

アッタウバ章73節『預言者よ、不信者と背信者に対し奮闘努力し、かれらに厳しく対処せよ。かれらの住まいは地獄である。何と悪い帰り所であることよ。』

アルヒジュル章94節『だからあなたが命じられたことを宣揚しなさい。そして多神教徒から遠ざかれ。』


命じ禁じる者は幾つかの特徴をもっていなければなりません。それらのうち最も重要なものは、優しさ・寛大さ・公正さ・知識です。

イマームアハマドは言いました。「人々はお世辞や優しい言葉を必要としている。そしてきつい言い方ではない善行の命令を必要としている。ただし悪いことを堂々と公に行う者は別である。かれらにはきつい言い方が禁じられてはいない。」

 

12 命令と禁令において受ける害への忍耐

命令と禁令はジハードにも例えられます。
命令と禁令を行う者には忍耐が必要とされます。

ルクマーン章17節『息子よ、礼拝の務めを守り、善を(人に)勧め悪を禁じ、あなたに降りかかることを耐え忍べ…』

 

13 卑下ではなく栄誉

ムスリムが人の命令や禁令において受ける害は卑下や蔑みではなく、偉大さや栄光、そして現世と来世でのアッラーのもとでの向上です。そしてそれはアッラーの道にいる証明、最も偉大な証明でもあります。
あるときイマームアハマドは次のように問われました。「預言者は『ムスリムは自分を貶(おとし)めてはならない(つまり自分が耐え切れない災難を避ける)』と言いませんでしたか?」するとアハマドは言いました。「このハディースはそのような意味ではない。忠告したあとに起こりうる害に耐えられないのであれば心でそれを行えばよいのだ。しかし自分の手で正すほうがより良い。」

預言者は言いました。「もっともよいジハードは不正を行う支配者のもとでの公平な言葉である。」

また次のようにも言いました。「最もアッラーからの報奨が多く最もアッラーに近い殉教者は不正を行うリーダーに立ち上がって彼に善を命じ悪を禁じ、そして殺害された者である。」

 

14 外に現れた悪を非難し、人が隠していることを暴露しないこと

ムスリムは外に現れている悪で自分で見たことに対してそれを否定しなければなりません。もしもあるものが悪を行っているという疑いが心に浮かんだ時は隠されているものを暴いてはいけません。人が隠していることを暴くことは禁じられています。悪を禁じる時にはそれを自分の目で見たということが条件になりますが、特に見ていなくとも明らかなる証拠がある場合には相応しい方法でその悪を止めさせなければなりません。そして悪の根をその者あるいは社会から完全に抜いてしまわなければなりません。
たとえば隠蔽された悪を見逃すことによって悪が社会に広がってしまうようなもの…例えば姦通罪や殺人罪など…は疑いを持った場合にはその疑いを確かめ、その悪が社会に広まるのを防がなければなりません。
ただしそのほかのものに関してはあえて暴くことは禁じられています。

 

15 ウンマの意見が一致していないことに関しては非難しない

クルアーンとスンナをもととしてウンマの法的見解が一致して禁じていることをおこなったり、義務としていることを怠ったりすることに関して忠告はなされます。これはたとえば飲酒や利子を得ることや女性が髪の毛を隠さないこと、また礼拝を怠ったりすることに関してです。
クルアーンや正しいスンナを法的根拠としているものの中で学者たちの法的見解が一致していないものに関してはその行為や行っていないことを否定したりはしません。ただしスンナに反している者たちとの意見の相違は学者たちの相違とはみなされません。たとえば一部のムスリムたちが合法だとしている「一時婚」は正しいとはみなされず姦通罪を犯したことになります。

 

16 全体・個別の責任

善を命じ悪を禁じることはウンマ全体に対する義務です。これは支配者、被支配者あるいは学者や一般の人々という立場によって変わるものではありません。

アーリ イムラーン章110節
『あなたがたは、人類に遣わされた最良の共同体である。あなたがたは正しいことを命じ、邪悪なことを禁じ、アッラーを信奉する。』

アッタウバ章71節
『おとこの信者も女の信者も、互いに仲間である。かれらは正しいことをすすめ、邪悪を禁じる。』


これらの義務はウンマ全体に対するものですがとくに学者たちや支配者たちにはこの義務が強調されます。

  1. 学者たち:
    これは、彼らがアッラーの律法をウンマの他の者たちよりもよく知っているからです。また人々の心が彼らに対する畏怖の念と敬意を抱いているためです。これらの理由から人々は彼らが命じたり禁じたりすることを容易く受け入れ、より従順にしたがうのです。また彼らにはアッラーから与えられた英知を用い、よい説法をすることができるためです。

    アルムジャーディラ章11節
    『…アッラーはあなたがたのうち信仰する者や、知識を授けられた者の位階を上げられる…』


    アッラーが学者たちの首に課したこの信託を彼らがウンマに対して怠ることは非常に危険なことです。

  2. 支配者たち:
    支配者たちには非常に大きな責任があります。彼らが善を命じ悪を禁じることを怠ることは非常に危険なことです。というのも彼らには権力があり、また命じたことや禁じたことを人々に従わせる力を持っており、人々の非難をおそれずに済む立場だからです。また人々の中には学者たちや敬虔なものたちの命令は聞かずとも支配者の命令は聞く者が多いということもあります。彼らがこの義務を怠ればウンマには腐敗が広がるのです。ですからアッラーはアッラーからの援助を受ける支配者たちの基本的な性質として善を命じ悪を禁じるということをあげました。

    アルハッジ章40−41節
    『…アッラーは、彼に協力する者を助けられる。本当にアッラーは、強大で偉力ならびなき方であられる。(かれに協力する者とは)もしわれの取り計いで地上に(支配権を)確立すると礼拝の務めを守り、定めの喜捨をなし、(人々に)正義を命じ、邪悪を禁ずる者である。本当に凡ての事の結末は、アッラーに属する。』


    この責任を果たさない者はアッラーの信託を裏切ったことになります。また支配者の立場にありながら悪事を行ったり、人々に悪を命じることはさらに悪いことです。アッラーがその書で述べた悪い支配者の例に入らないようにしなければなりません。

    アルカサス章41節
    『われは、かれらを(人々を)火獄に誘う先導者とした。復活の日には、かれらは助けられることはない。』

 

17 命じる者・禁じる者の礼儀

人々がその命令や禁令を聞き入れるにはその忠告を与えるものが影響力を持っていることが必要になります。

アッサッフ章2−3節
『信仰する者よ、あなたがたはどうして(自ら)行わないことを口にするのか。あなたがたが行わないことを口にするのは、アッラーが最も憎まれるところである。』

預言者は言いました。「ヤウマルキヤーマに男が連れてこられ地獄に落とされる。彼は腸や内臓が出た状態でロバが……回るようにそれらの周りを回る。彼のもとに地獄の住人たちが集まり言う。「何某、あなたは善を命じ悪を禁じていたのではないのか?」するとその男は言う。「私は善を命じながらそれを行わず、悪を禁じながらそれを行っていたのです。」

 

18 信仰の特徴

善を命じ悪を禁じることは信仰の特徴でもあります。命じる人・禁じる人の徳のレベルは命令と禁令のレベルによって異なります。

* ハディースの本文参照

預言者は言いました。「強い信者のほうが弱い信者よりもより良くまたアッラーにも愛されるが、両者とも良い。」

 

19 命令と禁令に関する意図と目的

命令と禁令を行う者はそれらを、有名になるため、人より上位にたつためなど現世的な意図ではなく、アッラーの満足のために行わなければなりません。ムスリムたちへの忠告として、そして彼らが罪に陥ることから救うために行わなければなりません。そして自分自身のためにはアッラーから課せられた義務を怠ることによって地獄に陥らないようにしなければなりません。

アルブハーリーとムスリムの伝承によれば、ジャリール ブン アブドゥッラーヒ アルバジャリーは言いました。「私は礼拝を行うこと、ザカートを支払うこと、すべてのムスリムに忠告することに対して預言者に誓約を行った。」

 

 





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2004年 アラブ イスラーム学院