ハディース学習
 

40のハディース(27)
『アルビッル(善行)とアルイスム(罪)』

 

このハディースはムスリムによって伝承されています。

このハディースの重要性

このハディースは非常に簡潔な文の中に重要な教えを含んでいます。「アルビッル」とはあらゆる善行とよい人格を包括している言葉で、「アルイスム」とはその程度が大きくとも小さくとも、あらゆる悪行と醜い行為を包括している言葉です。そのために預言者はこの二つの言葉を比較しました。


単語の意味

البرّ
アルビッル
あらゆる善いこと・アッラーが満足される行為に対する呼び名。
حسن الخلق
フスヌルフルキ
高貴な
و الإثم
アルイスム
あらゆる種類の罪
ما حاك في النفس
マー ハーカ フィンナフスィ
心が落ち着かなかったり心配すること、つまり心が安堵しないこと。




ハディースの理解とそれが導くこと

1 ビッルの解説

預言者ムハンマドはビッルという言葉をアンナウワースのハディースでは「善い人格」と解説し、ワービサのハディースでは「魂と心が安堵するもの」と解説しました。実際ビッルという言葉は次の二つのことを指すと言われています。

  1. 他者にイフサーン(善行)でもって接すること。イスラームでは特に両親に対して善く接するよう説かれているため「ビッルルワーリダイン(両親への親孝行)」という表現があると言われています。

預言者ムハンマドは誰に対してビッル(善行)を行うべきかと問われた時に「母親だ」と言いました。その次は誰に対してか、と問われ、「父親だ」と答えました。その次は誰に対してか、と問われ、「あなたにより近いものから。」と言いました。

また預言者はハッジ中の善行に関して問われ、「食事を施すこととサラーム(挨拶)を広めることだ。」と言いました。また「よい言葉をかけることだ。」との伝承もあります。


またイブン ウマルは「ビッルとは容易いことである。それは顔に微笑を浮かべ、優しい言葉をかけることだ。」と言いました。

また「ビッル」と「タクワー」の違いは、前者が「善行によって他者に接すること」であり、後者は「アッラーへの服従行為を行い禁じられたものを避けることによる正しい行動」です。また「ビッル」とは義務を行うことで、「タクワー」とは禁じられたものを避けること、ともされています。

アッラーはアルマーイダ章2節で仰せられました。
『むしろ正義と篤信のために助けあって、信仰を深めなさい。』

  1. 外面的・内面的なすべてのアッラーへの服従行為を行うこと。

アルバカラ章177節
『正しく仕えるということは、あなたがたの顔を東または西に向けることではない。つまり正しく仕えるとは、アッラーと最後の(審判の)日、天使たち、諸啓典と預言者たちを信じ、かれを愛するためにその財産を、近親、孤児、貧者、旅路にある者や物乞いや奴隷の解放のために費やし、礼拝の務めを守り、定めの喜捨を行い、約束した時はその約束を果たし、また困苦と逆境と非常時に際しては、よく耐え忍ぶ者。これらこそ真実な者であり、またこれらこそ主を畏れる者である。』


この解説によるとビッルにはすべての内面的な服従行為、つまりアッラー・天使たち・啓典・預言者たち・審判の日を信じることや、すべての外面的な服従行為、つまりサダカや礼拝・ザカート・契約の履行・病や貧困の際の忍耐や敵との遭遇時の忍耐などが含まれます。

 

2 真理の認知は本質からくる

預言者の「ビッルとは魂が満ち足り心も満足を覚えるようなものだ。」という言葉は、至高のアッラーが、真理を認知し、それを受け入れ、それに対し心が満足する、という本質の上に彼のしもべを創造されたことの証拠となります。

預言者は言いました。「すべての新生児は良い本質のもとに生まれる…」そしてこのハディースを伝承したアブーフライラは言いました。「もし望むのであれば次のアルクルアーンの節を読みなさい。『アッラーが人間に定められた天性に基いて。』(アッルーム章30節より)」

アッラーは信者の心はアッラーを念じることによって、その信仰の光により安堵し満ち足りると私たちに伝えました。ですから紛らわしいものに遭遇した時にはそれを自分自身の心に問いかけ、心が安堵すればそれは善行であり、そうでなければそれは罪であると判断できるのです。

アッラアド章28節『アッラーを唱念することにより、心の安らぎが得られないはずがないのである。』

 

3 罪の二つの特徴

罪には内面的・外面的な二つの特徴があります。内面的な特徴とは、預言者がこのハディースで伝えているように、魂や心に不安や恐怖や嫌悪や逃避といった跡を残します。外面的な特徴とは、自分が行った行為を人が知ることを嫌い、恥じることです。自分のしたことが合法であるか非合法であるか判断がつかなかった場合、この二つの特徴があった場合にはその行為が罪であることを知ることができます。

 

4 ファトワー(法的見解)の放置とそれに従うこと

ムスリムは自分の心が納得しないファトワーに従ってはなりません。ファトワーはあくまでムフティー(法的見解を出す者)の法的見解であって、アッラーへの畏怖や信仰的な敬虔さではないからです。またムフティーは外面によって見解を出しますし、質問者本人はムフティーが知らないことを知っている場合があるからです。あるいはそのムフティーは自分の私利私欲に合った、それを裏付けるイスラーム法も無い法的見解を出したかもしれないからです。またファトワーは物事の曖昧さを取り除くものではないからです。例えばハラームの収入を得ている可能性が高い者からプレゼントをもらい、そのプレゼントが合法であるか疑問をもった場合などです。たとえムフティーがそれを合法だとしても、そのファトワーはそのプレゼントの非合法である可能性を取り除いたわけではないからです。またある女性が自分と婚約者(あるいは婚約しようと思っている相手)が乳兄弟である可能性があるといい、ムフティーが「その授乳は乳兄弟とみなされる規定を超えていないため結婚は合法である」とのファトワーを出したとしても、そのファトワーのみでは非合法である可能性を打ち消すものとはならないので結婚を避けたほうがよいとされています。
ただしその法的見解にイスラーム法によるきちんとした裏づけがある場合には、たとえ自分の心が納得していなくとも従わなければなりません。例えばイスラーム史上のフダイビーヤ協定の際、多くのサハーバたちは預言者の取り決めに不満を持っていましたが、預言者の言葉はイスラームの法的根拠と見なされますから、預言者に従うことは彼らの忠誠心の表れとなり、彼らの信仰心を強化させる結果となりました。

アルアハザーブ章36節『信仰する男も女も、アッラーとその使徒が、何かを決められた時、勝手に選択すべきではない。アッラーとその使徒に背く者は、明らかに迷って(横道に)逸れた者である。』

アンニサー章65節『だがあなたがたの主に誓けてそうではないのである。かれらは信じないであろう。かれらの間の紛争に就いてあなたの裁定を仰ぎ、あなたの判決したことに、かれら自身不満を感じず、心から納得して信服するまでは。』

 

5 預言者の奇跡

ワービサのハディースはワービサが預言者に質問しようとしていたことを預言者がすでに知っていたという奇跡の証拠となっています。ほかの鎖による伝承によると、ワービサは「ビッルとイスムについてその時質問をしようとして預言者に近づくと…」ということを述べています。

 

6 聞き手のレベルに合わせて話す

預言者がワービサにハディースに述べられているように答えたのは、ワービサの賢さと宗教への理解度を確信していたためです。そのような相手でなかった場合にはもっと具体的に話をしなければ聞き手はイスラームを正しく理解することはできません。

 

7 最良の人格

預言者はイスラームにおける模範的な人格となっているため最良の人格となっています。

アルカラム章4節『本当にあなたは、崇高な徳性を備えている。』

またアーイシャは次のように言いました。「預言者の人格はアルクルアーンそのものでした。」

預言者は常にアッラーから命じられたことを実行し、禁じられたものを避けました。

 

8 ハディースは善い人格を身につけることを奨励しています。

 

 イスラームにおける心の位置づけの高さと行動する前に自分の心で問いただすこと。

 

10 自己を厳しく監視することとは宗教からくるもので、これは人間がつくった法にはないということ。それによって宗教は人間が罪を犯すことを防ぐことができるということ。





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2004年 アラブ イスラーム学院