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ハディースの理解とそれが導くこと |
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1 このハディースが伝承された理由
- イブン アブドゥルビッルの著書によると…この忠告は預言者からアブーザッルとムアーズにおくられたものです。
アナスの伝えるところによると彼はいった。預言者(アッラーよ彼に祝福と平安を与えたまえ)はムアーズをイエメンに派遣した。そして言った。「ムアーズよ、アッラーを畏れなさい。他人と良い付き合いを保つようにしなさい。悪行を犯した後には、善行に努めなさい。」すると彼は言った。私は言った。「アッラーの使徒よ、ラー イラーハ イッラッラーは善行に含まれますか?」預言者は言った。「それは最も良い善行のひとつである。」
- アハマドの著書には次のように書かれている。
アブー ザッルによると彼は言った。私は次のように言いました。「アッラーの使徒よ、天国に私を近づけ、地獄の業火から私を遠ざける行為を私に教えてください。」預言者は言った。「悪行を行ったならば、善行を行いなさい。まことにそれは10個の善行に数えられる。…」
2 人間は地上におけるアッラーの代理人である。
アッラーは人間を創造され、数え切れないほどの恩恵を私たちにあたえつづけています。そして善悪を見極めるために啓示をくだしました。そしてアッラー以外に神はなく、私たちはアッラーの命令にしたがわなければなりませせん。そして善行へと急ぎ悪を避けなければなりません。それによって人間は幸福になるのです。そしてお互いに善行へと急ぎ、愛情と協力と同胞愛によってお互いと接しなければなりません。そしてお互いに助け合いの手を差し伸べ、良い心と、良い言葉と態度でもって接しなければなりません。そして現世と来世でのよいものをとり、人間が地上におけるアッラーの代理人であるということを実現させなければなりません。アッラーは預言者アーダムを天使たちよりも優れているとしました。
アルクルアーン バカラ章34節『またわれが天使たちに、「あなたがた、アーダムにサジダしなさい。」と言った時を思い起せ。』
3 アッラーを畏れることは救いの道の一つである
アッラーを畏れることは、全ての善行の集大成のようで、悪から私たちを守ってくれます。これによって信者たちはアッラーからの援助をうけます。
アンナフル章128節『本当にアッラーは、主を畏れる者、善い行いをする者と共におられる。』
またアッラーは彼らに善い糧を与えてくださり、貧困から救うことを約束しました。
アッタラーク章2−3節『またアッラーを畏れる者には、かれは(解決の)出口を備えられる。かれが考えつかないところから、恵みを与えられる。』
またそれによって敵の陰謀から彼らを守りました。
アーリ イムラーン章120節『だがあなたがたが忍耐して、主だけを畏れているならば、かれらの陰謀は少しもあなたがたを害しないであろう。』
そして敬虔な信者たちに慈悲深くあることをご自身の義務とされました。
アルアアラーフ章156節『またわれの慈悲は、凡てのものにあまねくおよぶ。それ故われは、主を畏れるものにそれを授ける。』
またご自身を敬虔さと寛容さを実現させる者としました。
アルムッダッスィル章56節『かれは畏れるべきおかたよく許して下さる御方である。そして来世ではアッラーの御許に彼らを置く。』
アルカマル章54−55節『本当に主を畏れる者は、園と川のある、全能の王者の御許の、真理の座に(住むのである)。』
アッラーを畏れることの徳に関してはアルクルアーンの節やハディースなどにたくさん述べられていますが、この「アッラーを畏れること」は信者たちの道であり、預言者・使徒たちの特徴でもあります。
アルアヌアーム章90節『これらの者は、アッラーが導かれた者であるから、かれらの導きに従いなさい。』
これはアッラーの信者たちへの命令ですからそれに従った者は勝利し、利益を得、反対に背いた者は滅び損をします。
アンニサー章131節『われはあなたがた以前に啓典を与えられた者、またあなたがた(ムスリム)にも、「アッラーを畏れよ。」と命じた。たとえあなたがたが信じなくても、天にあり地にある凡てのものは、アッラーのものである。アッラーは満ち足りておられる方、讃美すべき方であられる。』
4、 タクワー(アッラーを畏れることの本質)
タクワーとは信条・イバーダ・契約・人格すべてのイスラームがもたらしたものを含みます。
アルバカラ章177節『正しく仕えるということは、あなたがたの顔を東または西に向けることではない。つまり正しく仕えるとは、アッラーと最後の(審判の)日、天使たち、諸啓典と預言者たちを信じ、かれを愛するためにその財産を、近親、孤児、貧者、旅路にある者や物乞いや奴隷の解放のために費やし、礼拝の務めを守り、定めの喜捨を行い、約束した時はその約束を果し、また困苦と逆境と非常時に際しては、よく耐え忍ぶ者。これらこそ真実な者であり、またこれらこそ主を畏れる者である。』
預言者、サハーバ、タービイー、タービイッタービイーンの時代の者たちは、タクワーをアッラーに従い背かないこと、彼を常に念じ、忘れないこと、感謝し、背信しないこととしていました。そしてこれを表面上も内面上も、いかなる時にも守りました。そして次のようなアッラーの呼びかけを実行したのでした。
アーリ イムラーン章102節『あなたがた信仰する者よ、十分な畏敬の念でアッラーを畏れなさい。あなたがたはムスリムにならずに死んではならない。』
5 完全なるタクワー
タクワーはイスラームによってもたらされたもの…つまり信条・イバーダ(崇拝行為)・ムアーマラ(売買・諸契約など)・人格・礼節すべてを含みます。
アルバカラ章177節『正しく仕えるということは、あなたがたの顔を被害または西に向けることではない。つまり正しく仕えるとは、アッラーと最後の(審判の)日、天使たち、諸啓典と預言者たちを信じ、かれを愛するためにその財産を、近親、孤児、貧者、旅路にある者や物乞いや奴隷の解放のために費やし、礼拝の務めを守り、定めの喜捨を行い、約束した時はその約束を果たし、また困苦と逆境と非常時に際しては、よく耐え忍ぶ者。これらこそ真実な者であり、またこれらこそ主を畏れる者である。』
サラフッサーリフはタクワーを次のように説明しました。アッラーに服従し、背かず、常に彼を念唱し、彼を忘れず、感謝し、不信仰に陥らないこと、そしてこれらを外面でも内面でも、何時でも行い、アッラーの呼びかけにこたえることであると。
アーリ イムラーン章102節『あなたがた信仰する者よ、十分な畏敬の念でアッラーを畏れなさい。あなたがたはムスリムにならずに死んではならない。』
6 完全なるタクワー
ハラームの疑いがあるもの・ハラームに似ているものに近付かないこと。
アルブハーリーとムスリムの伝承より・・・
「したがって疑わしい事柄を避ける者は、自分の宗教・名誉に関して(誤ちから)免れるが…」
アッティルミズィーとイブン マージャの伝承によると預言者は言いました。「問題のあるものを恐れるがゆえに問題のないものを放置するようになるまでは信者は敬虔であるとはいえない。」
これと同様のことを学者アルハサヌルバスリーは言いました。「ハラームを恐れるがゆえにハラールの多くを放棄する限り、タクワーは敬虔なものたちのもとにある。」
7 タクワー実現の条件
タクワーの意味と成果が実るには、どのようにしてアッラーを畏れればいいのか知るために、ムスリムのもとにアッラーの宗教(イスラーム)に関する知識が十分になければなりません。
ファーティル章28節『アッラーのしもべの中で知識のある者だけがかれを畏れる。』
というのも、無知な者は、行わなければならないこと・避けなければならないことを知らないからです。
ですから知識はもっともよいイバーダート、天国へ続く道と言われました。
アッティルミズィーによると、預言者は言いました。「知識のある者の信者に対する徳はあなたがたのうちもっとも低い者に対する私の徳と同様です。」
またほかの伝承では「知識を求める道を歩む者はアッラーが天国への道を容易にしてくださる。」と言いました。
また「アッラーがその者に善を望んだ者には宗教を理解させる。」という伝承もあります。
8 罪からの悔悟と善行へと急ぐことは敬虔な信者の特徴である。
人間は忘れたり、うっかりしたりすることがあります。また、自分の欲望にそそのかされたり、シャイターンが自分に囁き間違いを犯し、罪を犯してしまうことがあります。このような時には気がついた時にタウバ(悔悟)し、イスティグファール(アッラーに許しを求めること)をすることはタクワーからくることです。
アーリ イムラ―ン章135節『また醜悪な行いをしたり、過失を犯した時、アッラーを免じてその罪過の御赦しを請い、「アッラーの外に、誰が罪を赦すことが出来ましょう。」(と祈る者)、またその犯したことを、故意に繰り返さない者。』
アルアアラーフ章201節『本当に主を畏れる者は、悪魔がかれらを悩ますとき、(アッラーを)念ずればたちどころに(真理に)眼が開くだろう。』
そして敬虔なムスリムはタウバ・イスティグファールの後に、その罪を消してもらうために、アッラーの約束を信じて多くの善行をします。
フード章114節『本当に善行は、悪行を消滅させる。』
預言者は言いました。「……悪行を犯した後には、それを拭い消すような善行に努めよ。」
9 服従による光はアッラーへの反抗の闇を遠ざける
礼拝・断食・ハッジ・ザカート・ジハード・ズィクルなどの善行を行い、それを続けることはムスリムが陥った幾つかの過ちを消してくれます。
それを伝えたハディースが多く伝わっています。
アルブハーリーとムスリムの伝承
「ラマダーンをアッラーのために完全に断食した者(信仰と行為において)は今までに犯した罪が許される。」
ムスリムの伝承
「アッラーがそれによって間違いを消し、信仰の段階を上げることを教えましょうか?」彼らは言った。「はい、アッラーの使徒よ。」すると預言者は言いました。「ウドゥーを完全な形で行い、マスジドによく足を運ぶこと、礼拝の後で次の礼拝まで待つことです。」
10 タウバ(悔悟)は大きな罪を消すための条件である
ムスリムの学者たちは卑小な罪は善行によって消すことができることに対して意見を一致させていますが、親不孝・殺人・利子の取得・飲酒などの大きな罪(アッラーがそれに対して厳しい罰を約束した罪)に対してはまず、タウバが必要です。
ターハー章82節『だが悔悟して信仰し、善行に勤しみ、その後(正しく)導かれる者には、われは度々寛容を示す。』
ただしこれは他人がかかわっていない大罪の場合のみで、他人がかかわっている大罪(窃盗・殺人・強制搾取など)はまず被害者あるいはその家族に対し義務を施行し、謝罪を受け入れてくれるよう懇願します。
その後にアッラーに罪を消してくださるよう求め、それを善行に変えてくださるよう願います。
アルフルカーン章70節『悔悟して信仰し、善行に励む者は別である。アッラーはこれらの者の、いろいろな非行を変えて善行にされる。アッラーは寛容にして慈悲深くあられる。』
アッラーの恩恵のひとつにもしも成人ムスリムに卑小な罪が無く、大罪があった場合、アッラーは善行によって、その卑小の罪が許される分だけ、大罪に対する罰を軽減してくださいます。そしてもしも卑小な罪も大罪も無かった場合は善行の報奨を倍増させてくださいます。
11 礼節は人間の文明が起こる基礎である。
預言者はこのワスィーヤ(忠告・アドバイス)において個人の生活の改善と社会規則の改善を命じました。イスラームではこのため他人との関係、礼節を尽すことを非常に重んじています。それによってムスリムは人々を愛し、また人々も彼を愛するようになるのです。そうして人間社会・相互関係がスムーズにいくようになるのです。
アルアアラーフ章199節『(ムハンマドよ)寛容を守り、道理にかなったことを勧め、無知の者から遠ざかれ。』
フッスィラト章34節『…(人が悪をしかけても)一層善行で悪を追い払え。そうすれば、互いの間に敵意ある者でも、親しい友のようになる。』
イブン ハッバーンの伝承によると預言者のハディースにつぎなようなものがあります。
「あなたがたのうちアッラーに最も愛され、最後の審判の日に最も私の近くにいる者はどのような者か言いましょうか?」サハ―バたちが「教えてください。」というと、預言者は「あなたがたのうちもっともよい人格の持ち主です。」といいました。
アハマドとアブ−ダーウードの伝承
「信者たちのうち最も完全な信仰を持つ者は最もよい人格をもつものである。」
アルブハーリーの伝承
「善い人格を完成させるために私はアッラーから遣わされた。」
12 よい人格を身につけること
預言者はたびたび善い人格を身につけることをサハ−バたちに命じました。
それではどのようによい人格を身につければよいのでしょうか?
最良の方法は、善い人格に関しても預言者を模倣することです。アッラーもこれをわたしたちに命じました。
アルアハザーブ章21節『本当にアッラーの使徒は、アッラーと終末の日を熱望する者、アッラーを多く唱念する者にとって、立派な模範であった。』
アルカラム章4節『本当にあなたは、崇高な徳性をそなえている。』
またそのほかの方法としては敬虔な者たち・学者たち・よい人格の持ち主たちとともに行動をともにすること、そして悪い者たちから離れることがあげられます。
アルカハフ章28節『朝な夕な、主の慈顔を求めてかれに祈る者と共に、あなた自身を堅く守りなさい。また現世の生活の栄華を望んで、かれらからあなたの目をそらせてはならない。またわれが、その心にわれを念じることを忽せにさせた者、また私欲に従って、自分の事に、法を越えた者に付き従ってはならない。』
13 善い人格とされるもの
近親との関係強化、許すこと、握手すること、与えること、微笑むこと、親切、謙虚、害を与えないこと、人からされたことをよいほうに考えること。
預言者は言いました。
「どんなに小さな善い事もばかにしてはいけません。たとえ兄弟にほほえむことでも。」
またもっともよい人格について次のように言いました。
「あなたたと関係を切った者と関係を結ぶこと、あなたに禁じた者に与えること、あなたに不正を働いた者を許すこと。」
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