ハディース学習
 

40のハディース(7)
『イスラームとは忠告である』

 

ムスリム、アブ− ダーウード、アンナサーイーがこのハディースを伝承しています。

このハディースの重要性

このハディースはとても短い文で多くの内容を語っています。これは預言者の言葉の特徴の一つでもあります。このハディースはイスラームを包括的に述べており、特に「アッラーの啓典によって」という部分だけでもアッラーの啓典=アルクルアーンは宗教の根本とその他の部分、そして行為と信仰すべてを包括しています。

アルクルアーン アルアヌアーム章38節『啓典の中には一事(ひとこと)でも、われが疎かにしたものはない。』



単語の意味

アッディーン 宗教。ここではイスラームを意味する。つまり、「イスラームの柱は忠告すること」という意味。
アンナスィーハ 忠告。もともとの意味は精製すること。または服を縫うこと。忠告者の行為を忠告される者が自分を着飾るための行為として使用している。
アインマティルムスリミ−ン 指導者・支配者たち。
アーンマティヒム アインマ以外の一般のムスリムたち。




ハディースの理解とそれが導くこと

1 アッラーによる忠告

アッラーへの信仰、アッラーに並ぶ者の否定、彼の完全な特徴、すべてのマイナスなものは彼に属しないということ、彼の御満悦のためだけに崇拝行為を行うこと、彼に従属し、彼が禁じた罪を避けること、彼の御満悦を考えて物事を愛し、また嫌うこと、彼に従順な者へ味方することと彼に反抗する者へ敵対することによる。ムスリムがこれらのことを言葉と行為で継続的に行うことによって、彼は現世と来世で利益を得ることとなります。(なぜなら至高のアッラーは忠告者たちの忠告を必要としないからです。)

 

2 アッラーの啓典による忠告

アッラーから下されたすべての啓典の信仰と、アルクルアーンが最後の啓典であり、それ以前の啓典を証明するものであるということ、そしてアルクルアーンは暗誦と筆記により、正しく保存され、そうさせたのはアッラーであることを信じることによります。

アルクルアーン アルヒジュル章9節『本当にわれこそは、その訓戒を下し、必ずそれを守護するのである。』

アッラーの啓典によるムスリムへの忠告とは・・・

  1. アルクルアーンの読誦と暗誦:アルクルアーンを読誦することによって知識を得、心と自我を清浄にし、タクワー(アッラーを畏れること)を成長させます。また、アルクルアーン読誦そのものによって偉大な善行がサヒーファ(行為が記録されるもの)に記されます。そして審判の日、読誦者にはとりなしがなされます。預言者は次のように言いました。「アルクルアーンを読みなさい。それは審判の日に読誦者たちをとりなします。」また、アルクルアーンの暗誦に関して言えば、アッラーの啓典の光による心の成長があります。そして現世において人びとの間のともし火となります。

  2. 綺麗な声で読むこと:それによってより心に響くようになります。

  3. 意味を良く考えアーヤ(節)を理解する:

    アルクルアーン ムハンマド章24節『かれらはクルアーンを熟読玩味しないのか。それとも心に鍵をかけたのか。』

  4. 次の世代のムスリムたちにアルクルアーンを教える・暗記させる。預言者は次のように言いました。(アルブハーリーの伝承)「あなたがたのうちもっとも善い者はアルクルアーンを学び教えた者です。」

  5. 理解と行動によって。理解するように心がけるべきです。また、行動に移されない理解も意味がありません。アルクルアーンから得られる効果でもっとも重要なことは理解した後に行動に移すことです。知識として知っていながら行動に移さないことは非常によくないことです。

    アッラーはアルクアーン アッサッフ章2−3節で仰いました。『信仰する者よ、あなたがたはどうして(自ら)行わないことを口にするのか。あなたがたが行わないことを口にするのは、アッラーが最も憎まれるところである。』

 

3 アッラーの使徒による忠告

アッラーの使徒のメッセージとアルクルアーンとスンナによって彼がもたらしたすべてのことを信じることによります。またアッラーの使徒への愛と服従によります。またアッラーへの愛は彼の使徒への愛の中にあります。

アルクルア―ン アーリイムラ−ン章31節『言ってやるがいい。「あなたがたがもしアッラーを敬愛するならば、わたしに従え。そうすればアッラーもあなたがたを愛でられ、あなたがたの罪を赦される。アッラーは寛容にして慈悲深くあられる。」』

またアッラーへの服従は彼の使徒への服従の中にあります。

アルクルアーン アンニサー章80節『使徒に従う者は、まさにアッラーに従う者である。誰でも背き去る者のために、われがあなたを見張り人として遣わしたのではない。』

アーリイムラーン章32節『言ってやるがいい。「アッラーと使徒に従いなさい。だがかれらがもし背き去るならば、誠にアッラーは信仰を拒否する者たちを御好みになられない。」』


アッラーの使徒の死後、彼による忠告は、ムスリムたちに預言者伝を読み、彼の善い人格と礼儀作法を身につけ、言葉と行為において彼のスンナに従うことを義務付けます。そして彼ら(ムスリムたち)は彼の人生から有益な教え・戒め・忠告を得るのです。また人びとの間にスンナを広めること、敵や預言者への反抗者・嘘つきが付く嘘や間違いを否定することに参加するのです。

 

4 ムスリムたちの指導者による忠告

ここでの指導者たちとは支配者たちと彼らの代理人たち、また学者たち、改良者たちを指します。
まず、支配者たちに関して言えば、彼らへの服従が義務付けられるため、ムスリムの中から選ばれなければなりません。
  
アルクルアーン アンニサー章59節『あなたがた信仰する者よ、アッラーに従いなさい、また使徒とあなたがたの中の権能をもつ者に従え。』

わたしたちの彼らによる忠告は彼らの正しさ・良識・公平さを愛することで、彼らを個人的に愛することではありません。わたしたちは彼らの手によって私たちの求めることが実現され、ウンマ(イスラーム共同体)社会が公平な支配によって統治されることを望みます。不正を行う支配者や圧制者は望みません。ですからわたしたちも彼らが常に真実の上にあるよう助けなければなりません。そしてその真実のなかで彼らに服従し、また彼らに真実を思い出させ、優しさ・英知・思いやりに関して注意しなければなりません。支配者に対して忠告が出来ない共同体には意味がありません。また支配者が民衆に忠告させず、させたとしてもそれが真実でありながら、耳を貸さない・・・そのような共同体には善いことはありません。このようなことは共同体またはその民衆が言葉と行動におけるイスラームの基本理念・考え方から離れれば離れるほど起こりやすくなります。

学者たち・改良者たちのアルクルアーンとスンナによる忠告の責任はとても重いものです。彼らは自分たちの欲望によってシャリーアに反することをする者にクルアーンとスンナによるダリール(証拠)を明らかにします。
また、正しい伝承と弱い伝承を明らかにします。
また彼らの支配者たちへの忠告の責任はもっとも重く、クルアーンとスンナによる法則へと彼らを導かなければなりません。支配者たちの前で真実の言葉を述べなければなりません。
預言者ムハンマドは次のように言いました。「最も偉大なジハードの一つに不正を働く支配者の全真実の言葉を述べることがある。」
もし彼らが不正を働く支配者たちの前で偽りの言葉によって彼らを褒め称え、彼らの不正を野放しにした場合、彼らはアッラーによりその罪を問われます。
私たちからの彼らへの忠告は彼らに課された責任の重さを思い出させ、彼らが信用できる人である限り彼らが述べる伝承などを信用し、私たちの舌を彼らへの中傷の言葉から守らなければなりません。

 

5 一般のムスリムたちへの忠告

彼らの現世と来世の利益のために彼らを正しい道へと導くことによります。
残念ながらムスリムたちはお互いのため(特に来世のため)に忠告をすることをしなくなってしまいました。
ムスリムの忠告とはたとえその忠告によって忠告者の現世や財産に損害があっても人びとの恥を隠すために、足りないところを補うために、害を避けるために、利益を得るために、善を命じ悪を禁じるために、大人にはその責任を自覚させるために、子どもには慈悲を与えるために、ごまかしと嫉妬をさけるために行われます。

 

 ムスリム間の最も重要な忠告は意見を求めた者に対する忠告です。預言者は次のように言いました。「あなたがたの誰でも兄弟から忠告をもとめられたら忠告をしなさい。」
また価値ある忠告の中には兄弟が不在のときにその不在者の味方をすることがあげられます。

 

 サハーバたちやタービイーンたちの言葉の中につぎのようなものがあります。「アブーバクルは礼拝や断食によってサハーバたちのなかで一目置かれる地位を得たのではありません。彼の心の中のアッラーへの愛と人びとへの忠告によって一目置かれていたのです。」また「……心の清浄さと安らかさと共同体への忠告によるものでした。」

 

 忠告をする際の礼儀として、公衆の面前で忠告をしないこと(個人的な忠告の場合)があげられる。というもの他人の恥を隠す者はアッラーが審判の日にその者の恥を隠してくださるからである。
本人との間でも忠告をする者は忠告者であり、そうでない者は醜聞を暴露する者である。

 

 忠告は宗教であり、イスラームである。そして宗教とは言葉において起こるものと同様に行為においても起こる。
忠告は「ファルドキファーヤ」であり、誰かが行えばその者はその義務から逃れるがそうでなければ忠告をしなかった者は義務をおこたったことになる。
忠告は忠告された者がそれを受け入れると思われる場合、自分のできる限り行う。もしも忠告によって善くない事が起こる場合は必ずしもそうではない。(英知をもって忠告すること)

 





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2003年 アラブ イスラーム学院