ハディース学習
 

40のハディース(6)
『ハラールとハラーム』

 

このハディースはアルブハーリー、ムスリム、アブー・ダーウード、アッティルミズィー、アンナサーイー、イブン・マージャによって伝えられています。

このハディースの重要性

このハディースは多くの状況と効果の集大成でもあり、あるグループはこのハディースはイスラームの3分の1である、また、アブーダーウードは4分の1であるといいました。そしてこのハディースを熟考した者はそれがイスラームすべて(つまり、ハラールとハラームと疑わしいこと、そして心を善くすることと悪くすること)を含んでいることを発見するはずです。そしてこれはイスラーム法学の根源(ウスール)とフィクフ(フルーウ)の知識を必要とします。それは敬虔さによって物事をとること、そして疑わしいものを放棄することの源ともなっています。
 



単語の意味

バイイヌン 明らかである。アッラーと預言者が文として述べたこと(アルクルアーンとスンナ)あるいはムスリムのイジュマーウ(同意。このための細かな規定・条件がある)がそれをハラールまたはハラームとしたこと。
ムシュタビハートゥン ムシュタビフの複数形。ハラールかハラームかの区別がはっきり見えないため曖昧なもの。
ラーヤアラムフンナ 証拠となるものがたがいに競争し、あるときはハラールに似ており、またあるときはハラームに似ている。
イッタカッシュブハーティ それから(疑わしいものから)遠ざかり、自分とすべての似通ったもの・疑わしいものとの間をはっきりと維持する。
イスタブラア リ ディーニヒ ワ イルディヒ それを得ることによって自分の名誉あるいは尊厳が中傷されること、または自分の宗教(信仰心)にマイナスになることからの無実を求めること。(アッラーに関すること、人間同士のことに関すること)
ワカア フィッシュブハートゥ 一見ハラールに見えるが実はハラームのことに敢えて陥ってしまうこと。
アルヒマー 所有者以外立ち入り禁止の場所。もともとの単語の意味はカリフまたはその代理人が軍用の動物のために守り、他の者がそこに入ることを禁じていたところ。
ユーシク 急いで、あるいは近付いて。
アン ヤルタア フィーヒ その者の家畜がそこからえさを食べ、そこに居座ること。
マハーリムフ 至高のアッラーが禁じた罪。
ムドゥガ ひと口飲み込めるだけの肉片。




ハディースの理解とそれが導くこと

 ハラ−ルは明らかであり、ハラームは明らかである、そしてそれら2つの間には疑わしいことがある:アルイマームナワウィ−によると、物事は3つに分かれる。

明らかなるハラ−ル パンを食べること、話すこと、歩くことなど。
明らかなるハラ−ム お酒、姦通など。
疑わしいこと(似ているもの) どちらか明らかではないため多くの人はそれに関して明言できないもの。ただし、学者たちはそれがハラ−ルかそうでないか法的証拠あるいは、法的証拠をもとにした推測により知っている。

利子がはいっている可能性があるお金の使用やムバーハート(許されていること)をたくさんおこなうことを避けることは敬虔さから来るものである。
ただし、はっきりした証拠がないのに何度もウドゥ−をし直すことなどはシャイターンからくるワスワサ(囁き)である。

 

2 疑わしいものの分類

イブン アルムンズィルは次のようにアルムシュタバハ−トゥを分けました。
  
ハラームだと知っているが、その後それに関して疑った場合、ハラームのままか、それともハラールになったのか?……ハラ−ルになったことを確信するまではハラールとしてはならない。例えば2頭の羊がいてどちらか一方はシャーアにそったザバハをしたのだが、どちらか区別が付かなくなった場合。

逆にもともとハラールのことに関して、ハラームになったか疑う場合……例えば妻を離婚したかどうかわからなくなった場合。またはタハーラを確実に行った後にハダス(ウドゥ−が無効になる行為)が起こったことを疑った場合。ハラ−ルか、ハラームかもともとはっきりしないこと……避けたほうがよい。
預言者のナツメヤシの話がいい例です。
アルブハーリーとムスリムの伝承によると預言者は次のように仰いました。
『私が家族の方を向いた時、私の布団の上にナツメヤシが落ちているのを見つけました。そこで私はそれを食べるために拾うのですが、それがサダカであることをおそれ、私はそれを放り投げるのです。』

 

3 疑わしいことを避けることに関するサラフ(預言者・サハ−バ・タービウーンの時代の人々のこと)の言葉

アブッダルダ−ウは言いました。「完全な敬虔さとは信者が些細なことに関してもアッラーを恐れることです。そして何人かの人がハラ−ルと思っていることもハラ−ムであることを怖れそれに近付きません。」
アッサウリーは次のように言いました。「アルムッタクーン(警戒する者・放置する者)がそのように名づけられたのは、(一般の人びとに)警戒されないものを警戒したり放置したりしたためです。」

あるときアブ−バクルはそうとはしらずに疑わしいものを食べました。そしてそれが疑わしいものだったと知った時、指を口に入れそれを吐き出しました。

 

4 アッラーの私有地は彼が禁じたものである

ここでは目に見えないものを見えるもので、形ないものを形あるもので例えています。アラブの王たちはそれぞれ、家畜を放牧するためなどの私有地を所有しており、人々は彼に罰せられることを恐れてそこには近付こうとはしませんでした。しかし、彼の罰を恐れないものはそこに近付き知らないうちに境界線を踏み越えてしまい、罰せられるのでした…
  
アッラーが禁じたものはあたかもその私有地のようなものなのです。その禁を破ったものは現世と来世で罰を受けます。そして疑わしいものに近付いた者は禁じられたものに陥るでしょう。

 

5 心の善良さ

肉体の善良さは心の善良さのうえに成り立ちます。解剖学的にも心臓は人間のからだの中心に位置しています。心臓が健康であれば血液を規則的に体の隅々まで送ることができます。
心の善良さとは、つまり、アッラー以外のものにみられることはない一人一人の心(自我・魂)の善良さのことです。

イブン アルムラッキヌ アッシャーフィイーは次のように言いました。「心の善良さは次の5つのことの中にある:アルクルアーンをよく理解して読むこと、空腹(あるいは満腹でない状態)でいること、夜中に礼拝にたつこと、サハルの時間(ファジュルの前)にへりくだること(アッラーに対して)、善良な人々とともにいること。私は次のように言いました。その中でも、ハラールのものを食べることは最も重要なことです。食事は行為の種のようなものです。ハラ−ルのものが入ればハラ−ルの行為が出るでしょう。ハラ−ムのものが入ればハラ−ムの行為が出るでしょう。シュブハ(疑わしいもの)が入ればシュブハの行為が出てくるでしょう。

健全な心はアッラーのもとで勝利を得るための手段でもあります。
  
アルクルアーン アッシュアラー章88−89節では『その日には財宝も息子たちも、役立ちません。ただ汚れのない心を、アッラーに捧げる者だけは別ですが。』

また、預言者はよく彼のドゥアーの中で次のように言いました。「おおアッラー、健全な心を私に授けたまえ」
  
アルイマーム アンナワウィ−は次のように言いました。「心の善良さは、ごまかし・憎悪・嫉妬・けち・高慢・嘲笑・名声を得ることを目的とすること・あざむき・貪欲・定められたことに対し満足しないことなどの目に見えない心の(信仰の)病から健全であることによって得られます。」

 

 ハディースはハラ−ルの行為をおこなうこと、ハラーム・シュブフを避けることを奨励しています。

 

7 心の健全さ・善良さへの呼びかけ。

 

8 ハラームへと導くものをさけること。

 





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2003年 アラブ イスラーム学院