アラビア語と文化
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アラブ宮廷古典音楽
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本の紹介
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イベリア半島におけるアラブ語
アラブ宮廷古典音楽
執筆:若林忠宏
〜弦楽器オウド、ケマン、カヌーン、太鼓ダラブカ、レック、アラブ宮廷古典音楽のあらまし〜
アラブ宮廷古典音楽は、イスラーム教が興る以前からアラビア半島紅海沿岸の都市で形作られていました。それらはラクダ使いが鞭で地面を叩きながら拍子を取って歌ったフダーや、芸姑カイナ達の艶歌ギナアなどで、特に詩の韻律の技術はかなり高度で、カスィーダなどの長編の散文が盛んであったと言われます。
アラブ人のこの韻律の才能は、世界の3分の2以上の面積に広がったイスラーム教の聖典コーラン(クルアーン)と祈りの時を告げるアザーンが、全ての地域で言語で詠まれている事実。それらは、専門の学校で教えられる程厳格で正統的であることが証明しています。
しかしながら、これらは決して「音楽的である」と言ってはなりません。何故ならばイスラーム教では、音楽と宗教を厳格に切り離しているからです。世界各地のモスクの中へは、何も知らない観光客でも楽器やラジカセを持って入ることや、中で鼻歌を歌ったり口笛を吹くことが出来ません。
しかし、逆に言えば、世界で唯一と言えるほど珍しく音楽が宗教から自由な立場で演奏されるということです。その結果「千夜一夜物語」にも語られている栄華を誇ったバグダード宮廷で、後の西洋クラッシック音楽や、北インド古典音楽、シルクロード音楽、トルコ音楽にも強い影響を与えたアラブ古典音楽があくまでも芸術音楽として育まれたのです。
アラブ宮廷古典音楽は、651年にササーン朝ペルシアが併合されたことによって古代ペルシア音楽の演奏家や学者が多く流入したウマイア王朝のダマスカスの宮廷で開花しました。その後、750年アッバース王朝のバグダードの宮廷で華麗に発展するのですが、同時にウマイア王朝の残党がイベリア半島で興した後、ウマイア王朝のコルドバ宮廷でも異なる流派が生まれ、互いに競い合ってアラブ古典音楽を発展させました。その後長いオスマン・トルコ支配を受け、アラブ古典音楽とトルコ古典音楽はほぼ同系統となりましたが、20世紀初頭にエジプトなどにわずかながら独自なアラブ古典音楽が復興しました。
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2004年 アラブ イスラーム学院