アラブを見つめて
 

【変化との接触】



 満足というものは、どうして変わっていくのでしょうか?
そしてその変化は、何故徐々に起こっていくのでしょうか?
どうして、かつて信じていたことでも、やがて目にもくれずに通り過ぎるように なっていくのでしょうか?

 そしてその変化は、‐命名が妥当であるとすれば‐、一種の「開放」か、また は「閉鎖」を形成していくものなのでしょうか?
それともそれは、人間がその人生において何年かごとに変化していくために、至 極当然のことなのでしょうか?

 しかし、多くの問いにもかかわらず、人々の中には、自分たちが変化したこと を問われるのを拒む人々がいます。それは彼らが、自分たちが考えていることが 正しいにもかかわらず、自分たちの満足するものを否定するものだ、と考えるか らです。

 そのような人々は、自分たちの回りの物事や人々について、あるいは、自分た ちが信じる事について絶対的な判断を下そうとし、機が熟して事が自然に変化し ていったり、多くの状況によって変化せざるを得なくなったりするまで、良い示 唆をもたらす再考を試みようとはしないのです。

 私はここで、確立された固有の道徳や生活の原則を意味しているのではなく、 個々の満足や、状況や場所の違いによる変化を受け入れることに関する考え方を 意味しているのです。人間の生活とはもともと固定したものではなく、政治的に も、社会的にも、文化的にも、経済的にも、つねに動いているものなのですか ら。

 英知ある人々のみが、静かに変化していくことができる人々と言えるかもしれ ません。しかし、その「変化」は、ある特定の人々の利益に準じたものであった り、不公平に準じたものであってはならず、さまざまな原因や理由によって、内 側から自ずと出てくるものではければなりません。また「変化」は、自分たち自 身の絶対的な満足なく、他者との取り決めでなされてはならないものです。

 また、固定観念を拒むということは、すべてを否定して反発し、固定観念を 「遅れている」とか「発展性のなさ」だと決め付けることではなく、固定観念を 持つ人々を、「遅れた人々」、「遅れた社会」、「発展を拒む人々」と責めるこ とではありません。

 なぜなら、そのような人々とどんなに意見が違えども、私たちは、彼らが彼ら の思う満足を守っていることに敬意を払うべきだからです。たとえそれが時代の 流れに沿っていないように見えても、また、新しい生活形態に即していないよう に見えたとしても。

 彼らのことを、「無知である」とか「現実や真の知識への意識がない」と称す ることは決してできません。「変化」には、一歩ずつ進んでいくための時間や年 月を必要とするものなのです。それはあくまでも「変化」であって、「取り換 え」であってはなりません。

 自己の満足を変えるにあたって、年齢というものは大きな役割を果たします。 思春期に正しいと思っていたことも青年期になると変わっていき、同様に、大人 になったり、熟年になったりすると、それも更に変わっていきます。

 人は成熟すると、物事の本質に目を向けるようになります。そして早急な判断 をせず、他者の考えに耳を傾けて、その上で総合判断する力が強くなります。そ して理知の求めによって、かつては聞く耳を持たなかったようなことも理解する ようになり、現実や、自分の変化への意識を越えるようになるのです。

 成熟すると人は、自分自身の見方を拾い集めることから、他者の意見を拾い集 め、それと共存していくことへと成長し、他者が持つ考えを学んで道を開き、そ れまでの固定観念を打ち破るような方法を生み出す、新しい形を探し求めるよう になります。

 そして、他者に自分の考えを強いたり、自分の考えを実践しない人を悪く思っ たりすることなく、自分自身に満足し、また、自分のすることに満足できるよう になります。

 自分自身と向き合う力は、人間に大きな安寧をもたらします。それによって人 は力を得、自己を知り、たとえ他者と意見が違ったとしても、平安の中で自分の 立ち位置に立っていることができます。

 進んでいるか遅れているかは重要ではなく、大事なのは、自分が動き、正しい と思うところを選ぶことができ、現実の中で自分の権利を行使することができる ことなのです。多くの変化と共存していくことによって。



筆者:ナジュワ ハーシム
サウジアラビア女性作家 

(2008年6月3日更新)

                

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