アラブを見つめて
 

【英雄の基準】



<大事なのは、あなた自身がどう思うかであって、他の人たちがあなたをどう思 うかではないのです。自分自身といい関係であることこそ、一番の私的な幸福な のですから……。>

 あなたは暮らしの中で、模範的で英雄的な役割を求めなくてもよいのです。過 ちも犯さず、怒りもせず、叫びもせず、泣きもせず、大声で話すこともせず、他 者の立場を失くすようなことはせず、あなたの真の姿ではないのに必要以上に善 良であり続けるような……。

 あなたは、自分の感情や時間やプライベートな生活を犠牲にしてまで人に礼を 尽くし、忍耐の見本となり続けるべく、あちこちで我慢をしています。

 親しい友人もそうでない友人も満足させようと、あなたはあちらこちらの場所 に顔を出し、自分を抑え、精神的な疲れに耐えています。自分がこう見られたい と思う姿を維持せんがために。他人に完璧だと見られることこそ、あなたが長年 かけて努力してきたことへの正当な報いなのです。

 あなたは自分自身には何の間違いもないと信じ、また、あなたの周りの人たち もそう信じています。でも内心は、本当は自分は多くの過ちに縛られていること を感じています。

 自分の人間性を無視することは心に問題を生み、あなたは、自分が他の人たち に支配され、彼らの求めるようなことを口にし、人間として当然の価値を失って しまっているように感じるのです。

 喜んだり、怒ったり、人の目から解放されて人々から立ち去り、心のままに何 でも好み、災難が降りかかったときには、他の人たちと同じように、時には強く 受け止め、時には崩れ落ち、時には拒み、時には病に倒れ、他の人々の許に駆け つけられないような気持ちのときには自分の理想的な行いを投げ出したり、と いった人間として当たり前の姿の価値を。

 人は誰でも、本当に自分が自分自身を必要だと感じる時には、英雄的な役割が 自分の手から落ちていき、自分も他の多くの幸福なエキストラたちの一人になる ことを恐れないものです。喜びや幸福と共にエキストラでいる多くの人々の一人 になることを。英雄役を降ろされて2流に転落してしまい、注目されなくなる と、悔しさに心を焦がすような主役とは反対に。

 そして、自分の基準をもう一度取り戻し、人間性の枠の中にいることを望ん で、自分の間違いや我慢のなさ、幼稚さ、実現できないかもしれない夢などに喜 びを感じながら、自分を一新するのです。

 人は、他者との接し方の掟をよく知りながら、時にはそれをうまく全うできる こともあれば、また、自分をあるがままに任せるときもあります。いつもは道徳 的な基準をしっかりと守っていても、時にはそこから離れることもあり、しかし また、しっかりと自分自身の足で、もう一度道徳へと立ち返っていきます。

 時には、まるで水が噴き出したダムのように、自分の人間味を溢れさせること もあり、また時には、そのような人間味は姿を消し、それは利己主義の産物で、 自己愛におぼれることにすぎないのだ、と考えることもあります。

 また人は、自己抑制の枠を打ち破って自由に振舞い、長年持ち続けた習慣や伝 統を壊すことができるように見えますし、そのような習慣を保持することは、正 しい考えを失わせることにつながるのだ、と感じたりもします。

 しかし、長い時を経て、人は自分が求めるもののすべてを併せ持つようにな り、そして自分が他の人々と同じであると感じ、英雄の役目を果たすのに熱心で はあっても、その行いはよく考えなければならない、と思うようになるのです。 その役目における行いを選ぶのは自分自身であり、自分たちが好む役目を与えよ うとする他の人々ないのだから。

 こうして人は、英雄的な役割とは、ただ人間として自分自身と共生することで あり、完全無欠の役割のイメージからは遠いものなのだ、と得心していくので す。



筆者:ナジュワ ハーシム
サウジアラビア女性作家 

(2008年5月20日更新)

                

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