アラブを見つめて
 

【幻作り】



 人々に刹那的な感覚を与え、それを追いかける者に、よく検討したり考えたり する真の機会や、自分が本当は何を夢見、何を望んでいるのか、実際にそれが実 現するかどうかを考える余裕を与えずに、表面だけ見せるような消費文化が広 まっています。

 そしてそれにつれ、はかない夢を作り出したり、深い考えのない夢を示して見 せ、現実と想像との区別ができなくなるようにしている風潮が目立っています。

 それらの夢は、決して5年後、10年後の将来を計画して描いているものでは なく、通常よりも輝きを持って見えるせいで、瞬間的に自分の持てるものすべて を消費させるものでしかないのです。

 しかしながら、そのような消費文化を広めるのは、その製作者たちだけではあ りません。もう一方の側、つまりそれを夢見る人間や、そこに足を踏み入れる人 間なしでは、成り立たないのです。たとえ、その宣伝が他の土地でなされていた り、自分自身は力のなさゆえにその分野に入り込むことができないとしても。

 スターになる夢は、将来についてのどんな考えよりも、それが実現するかもし れないという気持ちを強くするようです。そのような人々の性質の腐食は、彼ら の人生に明らかな失敗をもたらすことが多々あります。

 一方、さまざまな夢を作り出す側の人々は、自分たちが多くの人たちを魅了す る力を持つゆえに、また、自らが提供するものを中心的で一般的な文化にする力 を持つゆえに成功したのだと感じています。そしてその文化の成功は、それに名 乗りを上げる多くの男女の存在によって成り立っているのです。

 たとえば、「スーパースター1,2」、「スター・アカデミー」(*2つとも レバノンの衛星テレビ局で放送されているもので、アラブ版スター誕生ともいえ る番組)と言った番組は、私たちのウンマ(共同体)に一体どんな成功をもたらし たでしょうか?

 また、私たちのウンマにどんな新しい文化をもたらしたでしょうか? 外国勢 力の支配、政府の支配、改革の遅れ、自由の欠如、夢の実現の失敗、といった多 くの試練を抱えた私たちのウンマに。「スーパースター3」や「スター・アカデ ミー2」を観ている人々は、一体何を得ることができたのでしょうか?

 また、これらの番組の優勝者は何を実現したでしょうか? 彼らは今どこにい るでしょうか? これらの番組制作者たちは、何故彼らを捨て置くのでしょう か?

 自分たちをスターだと信じるそれらの人々はどんな精神状態で過ごしているの でしょうか? 彼らは自分たちがスターになったと信じているというのに。自分 の力によってではなく、文化も準備も忍耐もそれを続ける能力もないようなス ターを作ってばかりいる他者の手によって。

 数日前にテレビのチャンネルをあちこち探していた時、私は一人のサウジアラ ビア人男性を観て、その光景に心を痛めました。私は別にサウジ人がそのような 番組に参加するべきではないと考えているわけではありません。もしもそれに見 合う才能に恵まれているならば。また、他人の成功に異を唱えるわけでもないの です。

 しかし、あくまでも私の個人的な考えにすぎませんが、第1に、その若者は歌 ではなく、何か他の仕事につくことができるのではないかと思えますし、第2 に、彼がアナウンサーに転向するのは、もっと災難だと思います。(*訳注:文 章から察するに、彼はかつて歌番組で優勝した人だったのに、その後司会者とし てテレビに出ているように思われる)

 彼は文法的に滅茶苦茶な話し方をし、自分のいいようにアラビア語を破壊して いるのですから。アラビア語の価値を感じることもなく、また、ニュースであれ 何であれ、きちんと物事を読み伝えるということは、歌とは違うのだという認識 もなく。

 そして第3に、夢見る者たちに幻を提供したテレビ局が、番組終了後、その青 年のような人々に与えられるようなポストも仕事も見つからず、しかたなく彼に 司会の仕事を任せてしまったことは大いに問題です。彼を何とかスターの枠の中 に残しているのだ、と言うつもりなのでしょうが。これは、ある分野でスターを 作り上げ、その後、何の準備も支援も思慮もなく、その人物を他の分野に投げ込 むという、矛盾した問題です。

 何千という若い男女が、広告がなされるや否や、みなスターになることを夢見 てそのような番組に競って参加します。スターという存在は限られていて、ウン マ全員が、美声も才能もなく歌手になれるわけではないのだ、と言って引き止め る者もなく。

 もちろん、原則として夢と言うものは限定されるものではありませんし、他人 の夢を無きものにする権利は誰にもありません。しかし、何故このようなテレビ 局は、我々がもう飽き飽きしている歌の世界から卒業することを考えないので しょうか? 歌番組はどこにでもあるというのに。

 私たちのアラビア語が、最近のアナウンサーの言葉使いの稚拙さに苦しんでい る中、何故「アナウンサーへの道」といったような番組を作ろうとしないので しょうか? また、極端な考え方やテロリズムがさまざまな事件を支配する中、 「中庸への道」といった番組を紹介し、多くの対話を開くことを、何故考えない のでしょうか? 物事を良い方に考え、他者を受け入れるように。

 真の夢の実現には、多くの時間と努力が必要なのです。果たして先のような多 くの男女にそれができるでしょうか?


筆者:ナジュワ ハーシム
サウジアラビア女性作家 

(2008年3月25日更新)

                

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