アラブを見つめて
 

【ママを取り替える文化】



 サウジアラビアのテレビでコマーシャルが始まった当初、それは私たちに大き な楽しみをもたらしました。

 まだコマーシャルが一つだけだった頃、私はテレビで初めてのそのコマーシャ ルを、しばらくの間いつも待ちわびていたのを覚えています。それが何のコマー シャルだったかは覚えていないのに。

 しかし、コマーシャルを待ちわびていた思いは、新たな出しものを観賞した体 験として心に残り、どんな商品の宣伝だかという意識ではなく、番組を随所で中 断するものとして、今尚記憶に残っているのです。

 またコマーシャルは、長い間、子供たちとゆかりが深いものでした。子供に とってのコマーシャルは、アニメ番組を見終わっても尚テレビの前に居座るきっ かけとなったものでした。

 そしてコマーシャルは、特定の商品を宣伝するための存在から、世界規模の大 きなビジネスへと発展しました。衛星テレビが開局されるようになると、コマー シャルは各衛星放送局や多くの企業のための巨大な経済力となったのです。

 つい2日ほど前、NBCの「友達シリーズ(※番組名)」最終回では、各30秒間 のコマーシャル料が、200万ドルに達しました。この額は広告料全体の第2位 にあたります。

 ちなみに第1位は、アメリカのテレビ局で放送された今年の「スーパーボー ル」大会放送中の広告料で、30秒につき230万ドルでした。

 このような海外テレビの広告料の高額さは、アラブ諸国の放送局に支払われる 広告料とは比較にならないものですが、それでも、中継番組やサッカーの試合中 に流れるコマーシャルの広告料は、各放送局に大きな利益をもたらし、間違いな く全体の最高額に達することでしょう。

 また、多くの世界的なコマーシャルが、その商品の消費者が散在しているとい うことで世界の各地域でも流されていますが、それらのコマーシャルのいくつか は、その国際性にもかかわらず、明らかにその国の特性を表しています。

 その中には、男性向けの精力剤や育毛剤のコマーシャルや、女性向けの化粧品 や毛髪ケア商品やダイエット商品のコマーシャル、また、いろいろな国で消費さ れている世界的な飲料などがあります。

 しかしながら、一部の地域性の高い商品は、消費者によりわかりやすく届くよ う、とても地域性の高いコマーシャルを制作しています。

 それらのコマーシャルでは、プロデューサーの考えがとても開けていることも あって、商品への購買欲をより強く刺激するようなアイディアと手法でコマー シャルを制作し、時により高い宣伝効果を発揮することがあります。

 しかしそれは、一部の社会層の人々には負の影響をもたらし、マイナスの反響 を呼びます。そのようなコマーシャルは家庭内に新たな不安をもたらし、家族が 植えつけようと日々努力している子供への躾を阻害するからです。

 数日前、私の同僚の一人が手紙をよこしました。
彼女は、その手紙の内容を世間に伝え、家庭内の話し合いの根本を反古にするよ うなある商品のコマーシャル―それは、あのような熱狂的なコマーシャルを必要 とする商品ではないにもかかわらず、必要以上に目をひくものなのです―につい て、是非取り上げてほしいと求めました。そして彼女はこのように言っていま す。

「私は、最近のあの商品のコマーシャルをやめてほしいのです。あのコマーシャ ルは、ぱっと見はただの宣伝にすぎないように見えますが、見直すと、あの中の 子供が母親を言葉によって軽視しているのが見て取れ、プロデューサーが大きな 過ちを犯しているのがわかります。

 子供たちはどんなくだらない理由でもその言葉を使うようになり、将来、悪い 結果を引き起こすことでしょう。また、あのコマーシャルは、子供の中に、どん な理由ででも家族は取り替えられるのだという感覚を創り出すかもしれません し、また、何か思い通りにならない時には、どうでもいいような現世的なことの ために親に背き、昔(そのコマーシャルの影響などで)植えつけられた感覚の結果 として、親を家から追い出すようなことになるかもしれず、大切な事を犠牲にし てでも、自分の考えのみに従い、思い浮かんだことを何でも実行するようになる かもしれないのです。」

そして彼女は、子供たちが母親を取り替えようと思い立つ前に、あのようなコ マーシャルを中止してほしいと願っています。

手紙はそこで終わっていますが、今日私がそのことを書こうと思い立ったのは、 私が同僚のアル=フライル―私はいつでも彼の風刺漫画の前でその素晴らしさに 感銘を受けるのです―が、2日ほど前に、その画の中でコマーシャルのことを示 唆していたからでした。

 その画の中では、幼い子供が友達にこう言っていたのです。

「ダハイユム(※別の友人の名前)がどうして家出したか知ってるかい?
 ダハイユムのお母さんはチキン料理を作ってくれないから、お母さんが自分を 好いてはくれてないってわかったからなんだってさ!」

 商売人は利益を求めます。そして、プロデューサーは成功を求め、躾を確立し ようというような欲など持たないのはわかりきったことです。時には子供を犠牲 にしてでも。

 しかし、一部のコマーシャルは多くのクレームに対して真摯に耳を傾け、その 形をもう一度見直すか、あるいは、完全に中止すべきだと私は思います。国民の 多くの心配事に更に新たな心配を加えないように。

 おそらく、今新しく流れているあるコマーシャルは最も愚かです。それは、正 道からはずれたわき道文化に相合するものなのですから。


筆者:ナジュワ ハーシム
サウジアラビア女性作家 

(2007年12月28日更新)

                

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