アラブを見つめて
 

【固有の文化】



 妬みと邪視と嫉妬の文化は広く浸透しており、特に現代においては、特定の教 育層や社会層と結び付けられるだけのものではありません。この文化は広く見受 けられ、昔は文盲の人々や庶民層に限られていたのですが、今は教育層の男女の 間でも増えています。

 この文化の様相は、それについて知ろうとする人々にとっては中々見えないも のですが、実際にこの文化の主やそれを信じる人々とっては、よく知られた明白 なものなのです。

 それは、恐れと失敗と怠慢とやる気のなさを合わせたものであり、またそれに 加えて、他者との距離を創り出そうとする試みでもあります。今まで起きたこと のすべての主な原因が、他者にあるのだと考えて。

 そのような感覚によって迷道にいる時、人はすべての成功を自分自身と結びつ け、失敗や度重なる凋落は他者と結びつけようとするようになります。彼らに とって、他者への恐れは今尚生活の中心にあり、他者こそ生活上の災難や敗北の 原因であると考えるのです。

 やってくる災難の原因が他者であるという幻覚を植え付けられてしまった場 合、私たちはどのようにしてそこから逃れることができるでしょうか?

 ある妊娠初期の女性は、子供を持たずに2度の離婚を経験している同僚が自分 を妬んで邪視を送るのではないかと恐れました。その同僚は、他の同僚も言って いるように、以前人を妬んで邪視を送ったりしたことなど一度もなかったにもか かわらず。

 しかし、その妊婦は、その同僚のなにげない動作を目にするたびに死ぬほど恐 れを感じ、心の中で、アッラーの加護を願うクルアーンの2つの章(※クルアー ンの最後の2つの章のこと)を唱え続けるのでした。彼女は宗教的な女性であ り、他に何も他意はないのですが。

 子供を持たない女性の邪視への恐れは、彼女の心身を殺め、それによってお腹 の子供を害しかねないほどのものでした。そこで、彼女はその同僚の許へ行き、 自分に向けてクルアーンを詠んでほしいと頼んだのです(※邪視を解くためだと 思われる)。

 そして同僚が自分に向けてクルアーンを詠むと、彼女は心から安らぎ、その瞬 間に恐怖から解放されたのでした。クルアーンを詠んだ同僚は、もちろんその妊 婦の考えていることに気付いていましたが、それに気がつかないふりをして、妊 婦から遠ざかりました。

 また、ある同僚は、友人の邪視のせいで自分はコンピューターを嫌うように なったのだ、と言いました。なぜなら、その友人が彼女に向かって、「マー・ シャーアッラー(※「アッラーがお望みになったこと」:人の美点を褒めるとき に言う言葉)、あなたはなんてコンピューターの扱いが巧いの!」と言ったから です(※人にあまり褒められると、その人が妬んで邪視で自分を害するのではな いか、と感じる人々がいる)。

 その日以来、彼女は、コンピューターと名のつくものをすべて嫌い、その姿を 憎み、コンピューターの存在を気に病むようになったのです。それで、自分の部 屋の外の他の場所にコンピューターを移し、その存在を目の前から消したのでし た。

 しかし、このような人々の文化レベルは、必ずしも、心配や失敗を消そうとし てそれを他者のせいにするような愚かな考えを反映するものではないのです。

 このような感覚と、災難から脱出するための努力への怠慢とが合わさり、その ような気持ちは倍増していきます。特に、本人の周りの環境がそのような考えを 助長するようなものであり、そんな幻を消し去りたいという真の欲求を持たない ものである場合には。

 ある時、一人の青年が勉学を放棄したのですが、彼の家族は、その家族の一人 が青年に邪視を送ったために、青年は勉強が頭に入らなくなったのだ、と嫌疑を かけました。青年の失敗の原因や、彼が勉強を続けられなかった理由を知ろうと もしないで。

 問題は、私たちがある社会集団の前にいるということです。その数はますます 増え、生活のために役に立たないこの不毛な概念により、その存在は後を立ちま せん。

 その不毛な概念によって、人は生活をある偏狭な考えと結びつけ、自分を振り 返って危機から脱出するために現実と直面しようとせず、すべての失敗の原因を 他者と結びつける行為を、超越することができないのです。

 生活に新しいものを取り入れることへの失敗、そして努力することへの失敗、 または現実に対峙することで前進しようとする意欲への失敗……。それらの方策 のすべてが、長年動かない現実を打開するに充分な手段だというのに。

 一部の人々を覆っている、正道から逸れたわき道文化は、たとえ今はそれで過 ごせているとしても、将来、文明や人間生活のダイナミックな動きや真の理解と は無関係な人間の顔しか提供できない、牢獄にしかならないのです。


訳注:
妬みや邪視は実在し、時にその怨念は人の心身を害することがあることは事実で すが、アラブの一部の人々は必要以上に多くの物事をそれと結びつけて考える傾 向があり、筆者はそれに対して警告していると思われます。


筆者:ナジュワ ハーシム
サウジアラビア女性作家 

(2007年12月18日更新)

                

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