アラブを見つめて
 

【人間性の不在】



 私たちは一体どうしてしまったのでしょうか?

 どうしてこんなにも人間性のない暮らし方をするようになってしまったので しょうか? 社会としても、個人としても、互いに祝福しあうにあたって、私た ちはどうしてこのように機械的になってしまったのでしょうか?

 どうして私たちの人間関係の輪は徐々に狭まっていくのでしょうか? その輪 の中からは多くの人々が出て行き、たとえそこに残る人々がまだいたとしても、 それは彼ら自身の重要性によって残っているのではなく、人間的な理由からでは ない利害関係の必然性によって残っているにすぎないことも多々あるという現 実……。

 近頃、人々はどうして人間関係が以前よりも少なく限定されることを誇り、現 在の最低限の人間関係だけを維持しようとするようになったのでしょうか?

 今は、広い人間関係に耐えられないような時代なのでしょうか? それとも、 私たちは人間が他者の重さに耐えられない時代にいるのでしょうか? 自分自身 の問題で手一杯で、一時もそれから手を離すことができないほどに? あるい は、余暇があってもそれも自分自身にさえ充分でなく、まして他人に振り分ける 時間などないからなのでしょうか?

 時間と時間の大切さを知る者や、日常の素早い変化や絶え間ない動きに慣れた 者にとっての確信的真実は、人には充分な時間がないということであり、時間と いうものはそれを捕らえる前に速く流れ去り、自分の仕事や眠りや鑑賞や多くの 出来事を追うだけのためでさえ、充分ではない、ということなのです。

 その上、人は社会的な、あるいは個人的な日常の悩みを抱えているもので、自 分への影響や関連の強さに応じて物事の優先順位を選択する権利があるのだか ら。

 また、人間関係の円が小さければ小さいほど、人はそのすべてに感情を持って 目を行き渡らせることができるようになります。

 定期的に自分の人間関係を縮小し、知り合いたちの電話番号などを整理してい く人々もいて、彼らは時の流れに応じ、定期的に知り合いの何人かとの関係を退 けていきます。特に自分の何の利害関係もない人々や、以前誤って知り合った 人々や、かつてある時期には何かの理由で関係を持っておく必要があって、当時 は自分に付き合いを拒む力がなかったという人々を。

 そして、知り合いや友人の名簿を整理してしまうと、彼は気持ちが軽くなり、 嬉しく思い、また自分の歴史の新たな1ページを始めます。そしてそれは、彼以 外の誰にも感じることのできない気持ちなのです。

 また一部の人々は、知り合いのお祝いとかお悔やみとか、何かの他の出来事に 際して、とても機械的に対応します。時に彼らは、一度ですべての機会に対応し たり、あるいは一度に多くの人々に対して儀礼的な挨拶を済ませたりして、気を 休めます。
 そしてその時、彼らは人々への感情とは無縁のやり方で社交儀礼を果たすので す。

 それは、今でも社会全体から彼らが儀礼に関する圧力を感じているからでもあ り、儀礼に欠けた場合には、社会の輪からはみ出てしまいかねないと感じている からでもあります。

 実は彼らは、そうした儀礼を果たす相手に人間的な感情を持っている場合もあ り、また、その人が助けを必要とする時に、実際にそばで支えることもあるので すが。きれいな言葉を発し、実際には行動しないのに親切を演じるような人々な どより、実際にはずっと善良で親切に。

 けれども、伝統的な表現による対応に従わないことは、自分とそれまでかか わっていた多くの人々の輪を失くすことなのです。

 しかしながら、私たちはこの冷えた時代を打ち破ることができるでしょう か? 段々と矛盾がひどくなる一方のこの時代を。

 私たちは私たちの美しい時間に抵抗し、閉ざしてしまうことができるでしょう か?

 私たちは、誰でも無償で入ることができる開かれた人間関係を、これから守っ ていくことができるでしょうか?

 私たちは、多くの場面でこの冷えた時代との衝突を経験しつつ、それと同時 に、時にはその一片に同調し、この冷えた時代の寵児たちがその力で時代を乗り 切っていくのに目を瞠ります。

 それは、私たち自身もこの冷えた時代を形成している構成員であり、また、こ の冷えた時代の限界を形成している構成員であるからに他ならないのです。


筆者:ナジュワ ハーシム
サウジアラビア女性作家 

(2007年10月23日更新)

                

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