アラブを見つめて
 

【逆さピラミッド】



 変化は生活の慣行であるという人々がいます。そして、あらゆる形体の発展も 変化の一つであり、我々はその変化の様相をとりたてて特定する必要はなく、む しろ、その中に身を投じ、その真の姿がどうであれ、熱心に受け入れればよいの だ、と。

 私たちは情報革命に、いえ、情報爆発時代に身を置いています。それは、周知 の結末を持つ問題が今尚宙に浮いている時代であり、道徳性が力ずくで破壊され る時代であり、多くの制御不能な問題を抱え、人々が高みへ上がろうとする強い 欲求を分析することができない時代です。

 そして、まるで釘のように自由を妨げる道徳を裁こうとする時代であり、多く の事柄にとって、道徳は腐食して冷え切った、形だけの言葉のように見えます。

 あなたはきちんと美徳を身につけ、真面目に仕事に励んでいるというのに、あ なたの周りの者たちは、本来その資格も権利もないのに、ロケットのように速く 社会の階段を駆け上がっていく……。

 そして近い将来、社会はピラミッドの頂上に腰を据えた何千という失敗者たち (※道徳を捨てた人々)を抱えて目覚めることになり、その他の真の成功者たち (※道徳を守る人々)はまだずっとピラミッドの底辺に留まったままで、最初は 選択的なものであったはずのその滞留も、その時にはよんどころないものとなっ てしまう……。

 光(※真実の善なる道、宗教)と共に生きる人も、他の者から見れば、闇夜の 雲の中に暮らす者のように思われ、現代は「要領のよさ」、「巧妙」、「商才」 の時代であると言う人々もいます。

 いわゆる「やり手」以外は現代において成功しない、と。しかし、往々にして やり手は学問や知識において秀でてはいません。彼らの受けた教育のレベルがい かに低かろうが、あるいは、彼らの思考能力がいかに限られたものであろうが、 彼らは成功の世界へと渡っていきます。

 このような場合、やり手たちの「巧妙さ」は他者を愚弄するために活かされ、 その「他者」とは、未だにモラルや人への信頼や、徐々に姿を消しつつある社会 道徳や伝統習慣といった遺産を心に持つ人々です。

 基礎も基準もそれによる人への影響も、すべての事柄に変化が及ばなければな らないと信じる者は、他者を愚弄することに長けています。今は、より賢明で仕 事において才能のある人々よりも、巧妙で陰謀に長けた者たちが多い時代なので す。

 人を欺くことが職業となり、技巧となる時代。自分の周りで起きることに立ち 止まり、懸命にそれについて考えようとする人々は、そのような者たちの業に衝 撃を受け、苦い思いをし、深く傷つきます。

 罪を犯す者や平気で人を欺く者の羞恥のなさから、その危険に陥る覚悟まで、 その現実はますます悪くなる一方です。

 そしてあなたはこの現実の詳細を知ろうとし、この凋落や現状の原因を求め、 こう問いかけるでしょう:

―このような現実は、私たちの共同体が他者から吸収したものなのだろうか?

―このような生活形態によって、未来を描くことができるのだろうか? そして それは、やってくる困難に立ち向かう力を持つのだろうか?

―自らに向かい合うことのないこのような内面の空虚さ、これが社会に受け入れ られるシステムなのだろうか?

―どうしてこの社会は、ピラミッドの頂点に立ってこの凋落を非難し、問いか け、その答えを探そうとする者がいないのだろうか?

 しかしまだ多くの疑問があります。

 その答えを探したり、あるいは、それを誰か聞かせることは、本当に正しいこ となのでしょうか?
 それは現状の衝突的な方向性に果たして合っているのでしょうか?


筆者:ナジュワ ハーシム
サウジアラビア女性作家 

(2007年9月25日更新)

                

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