アラブを見つめて
 

【暮らしを停滞させる美徳】



 私たちはよく、「あの人は尊敬できる人だ。」とか、「あの人は尊敬できない 人だ。」という表現を使いますが、多くの場合、この重大な言葉の前で立ち止 まって考えることはありません。

 特に、聞く側に考える力があまりない場合や、自分自身の考えを持たない場合 には、その人物が尊敬に値する人物である、という言葉を大きくとらえてしまい ます。

 ある人物について推し量る際に、何が「尊敬」の目安になっているのだろう か、と私はしばしば考えます。その人が尊敬できる人物だということについて、 いかにして絶対的な判断を下すのだろうか、と。

 また、別の人物が他者と合わないいくつかの振る舞いをすることから、そのた めにその人物が尊敬できない人だということを、どうして判断できるのでしょう か?

 また、尊敬とは自分の努力で得るものでしょうか、それともその人物の育った 環境による先天的なものなのでしょうか? 物質的に恵まれていることなどとは 全く関係なく?

 尊敬とは、競って得ようとするものでしょうか? それとも、社会の多くの変 化を反映し、尊敬を競って得ようと思うことは非難の対象になっているのでしょ うか?

 社会学の研究者たちは、人が尊敬を得るのは、その人の話し方に拠るところが 多く、その話し振りゆえにいつも他者を嘲笑する人たちも多いのだ、と言いま す。尊敬を得るための手始めは、話し方にあるのだ、と。

 また、話すことよりも聞くことのほうが重要でもあります。人は多く話せば話 すほど、過ちの機会もそれに伴って多くなります。ですから、人間はできる限り 沈黙を守らなければなりません。そうすれば人々は、彼を実際よりも賢明な人物 だと思わざるを得ないからです。

 しかし、この点こそ、「尊敬できる人物」の数を少なくしているものに他なり ません。人はみな、他者に機会を譲ることなく話そうとするのですから。

 見識者の中には、人は自分の秘密を守るならば、自分に相応しい尊敬を得るこ とができる、という人もいます。そのような人物は、自分の情報や私生活を、開 かれた本のページのようにすることなく守るのです。自分の情報をさらけ出すこ とは、人々が自分のことを考える機会を少なくすることなのですから。

 自分の過ちを直ちに、また賢明に認めようとする人も、人々の尊敬を得ます。 いつも自分が正しいのだと見せかける人は、人々の尊敬を失い、彼が正直な人物 ではないと人々は考えるようになります。

 しかしながらそれは、他者の尊敬を得ようとして、謝罪を繰り返すことではあ りません。謝ることは、適当な場面では大変良いことですが、過剰である必要は ないのです。

 また、他者の前で自分や自分の意見を軽視してはなりません。それも他者の尊 敬を失いことにつながりかねません。「たぶん間違っていると思うけど。」とい うような言葉を多用しない方がいいのです。

 また、「運が良かっただけです。」という風に、じぶんの業績や仕事を軽く 扱ってはなりません。それは人々の心にある自分の地位を下げることです。

 もしも誰かが自分に、「それは素晴らしい。」と言ったなら、謙虚さを持ちな がらも、その言葉を否定せず、「ありがとうございます。私は一生懸命努力しま した。」と言いなさい。「いいえ、私は何もしていないのですよ。」と言っては ならないのです。

 それから、時間の価値を認識しない者は、「尊敬できる人」にはなれません。 自分の時間を無駄に費やす者たちを、人々は決して尊敬しないからです。それ に、興奮することで、他者の尊敬を失ってもいけません。感情に流されて興奮し やすい人々は他者の尊敬を失います。人は平静を保たなければなりません。

 そして最後に、あなたは自分で多くのことを決定しなければなりません。他者 の意見を尋ねてばかりいることは、自分で物事を決定する力がないことを表すか らです。それは、あなたへの人々の尊敬を減らしてしまいます。

 このとおり、著名な精神医であるC.R.SENDER氏が言うように、人々の尊敬を得 るために、裕福であったり、成功者であったり、権力者であったりする必要は全 くないのです。そしてこのことは、慎ましい暮らしをする多くの人々のことを、 私たちに思い起こさせてくれます。

 彼らは決して社会的に高い地位にあるわけでもなく、著名であるわけでもあり ませんが、人々は、財産や富の存在なしに彼らを大変尊敬しています。尊敬する に値する、彼らの人への思いやりや愛情や貴い接し方によって。

 彼らは多くの社会的な美徳を持っているのです。それらの美徳のいくつかは、 その重要性にもかかわらず、多くの人々の中で欠乏しているものです。

 彼らはそれらの美徳が自分の暮らしを停滞させるものであり、彼らの自由やあ らゆる領域の獲得を阻害するものであると考え、成功とは無関係のものとしてし まったのです。

 元々、その領域は、人々すべてのものであるというのに。



筆者:ナジュワ ハーシム
サウジアラビア女性作家 

(2007年8月28日更新)

                

(→バックナンバー
(→週刊アラブマガジンのトップ


 
↑UP↑

前に戻る


アラブマガジンへもどる

アラビア語カフェ | アラブ イスラーム学院 | サイトマップ | ヘルプ



2007年 アラブ イスラーム学院