アラブを見つめて
 

【喜び】


 喜びとは、ただ解放的なものであり、本来、それを表現するのに何かの扉を開 く必要などないものです。ただ、日々の労苦から離れ、不当な現実から逃れ、す べての悪夢のガラスを打ち破る必要があるだけです。

 この時代、恐れや不安を抱えて喜びから遠ざかって暮らすことに慣れ、心に戸 惑いが宿る人々の生活には、まるで喜びは存在していないかのように見えます。 彼らは喜びを感じなくなり、喜びとはどういうものだったかさえも、わからなく なっているのです。それで、喜びに関する文字を見るのをも嫌がり、喜んでいる 者たちからは遠ざかり、彼らを自分に近づけないようにします。まるで準備ので きていない試験に向かう者たちのように。

 そして、分かれ道の前に佇み、一体どこへ向かえば良いのか、また誰と進めば 良いのかわからないでいる人々にとっては、その戸惑いはより大きく、より強 く、彼らと喜びとの距離は計り知れないほど遠いものなのでしょう。彼らは自分 の目の前の事柄に興味を持たず、他者の目には明白な事柄も推し量ることができ ません。日々の暮らしの労苦から、彼らは物事を読み解くことができなくなって いるのです。喜びが消え去ったことで、彼らは、自分たちの夢は脆くも崩れ、生 活には労苦だけが残り、ずっと同じ場所に留まるしかなくなったのだ、と思い込 んでいます。

 しかし、喜びは人々が手にするべき権利であり、人々をより美しい世界へ入ら せるものです。どんな些細な理由によってでも、微笑みを持つ者はその場に光を 放ち、未来や他者へ微笑みを運ぶことができます。真の微笑みを持つ人―つま り、どんな時でも笑顔でいられる人―は、閉ざされた多くの扉を開ける力を持 ち、閉ざされたすべての感情の錠を壊すことができます。そして、心が壊れた者 を再生させ、どんなに枯れ果てた場所でも、すべての暮らしに灯りをともす力を 持っているのです。

 微笑みは愛であり、他者への愛情です。たとえ知らない人に対してでも、ま た、自分に関わりのない人に対してでも。それは、毎日労苦の中で暮らし、寝起 きしている人にとって、真の喜びなのです。日々の労苦に慣れ、それを通してし か他者を見られなくなっている人々にとって、微笑みに出会うことは最初のうち は驚きかもしれません。それは、彼らが暮らしの中で味わうものとは対照的なも のなのですから。しかしやがては微笑みを受け入れるようになり、自らが微笑む ことへと扉を開けるようになることでしょう。長年の労苦の後の褒美のように。

 笑顔を持つ人々の何と素晴らしいことでしょうか。彼らは、たとえ一瞬であっ ても、人々に暮らしの煩雑さを忘れさせる力を持ちます。彼らは他者に愛情をも たらし、喜びのない人々の心を癒し、微笑みの持つシンプルさによって、生活に 喜びを感じなくなった人々の前で、生活というものを描き出してみせることがで きるのです。

 彼らには、悲しみの色で生活というものを描くことに慣れてしまった人の筆 や、怒りに慣れてしまった人々の紙をも、破り捨てる力があります。

 そのような人々の素晴らしさは、彼らが苦しい日々にあり、うんざりした気持 ちや痛みを抱える時、笑顔によって、いつ開くとも知れない閉ざされた長い時を 開くことなのです。それにより、私たちは思わず喜びのわけもなしに喜び、微笑 みのわけもなく微笑みます。まるで不意に舞い降りた微笑みに驚くことを待ち望 んでいたかのように。

 いつも、私たちは多くの場面で微笑むことから逃げています。自分の微笑みへ の反応を不安に思い、何故笑っているのか、と思われるのではないかと考えて。 しかし、微笑みという精神的な瞬間により、私たちは自分の憂鬱や労苦から、新 たな感覚へと脱出することができるかもしれません。私たちが望みさえすれば、 微笑みは私たちに寄り添っているものなのです。

 さて、果たして私たちに微笑みは舞い降りるのでしょうか? それとも、ずっ と遠くにあるままなのでしょうか? 私たちはそれにより、生活に喜びをもたら すすべての原因を、目にすることができるのです。


筆者:ナジュワ ハーシム
サウジアラビア女性作家 

(2007年4月10日更新)

                

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