アラブを見つめて
 

【意識の考察】


 真摯な対話において意見の相違が起こることはありますが、自分たちの望みど おりに、その相違の大きさや固有の概念の特定を説明するための時間を増やす必 要はありません。もし本当にその点がよく留意されるとするならば、真摯な対話 の美点は、それが対話に影響するあらゆる圧力から解放されたものであることで す。

 その圧力が、地域的なものにせよ、時代的なものにせよ、また、いずれは解決 して新たな意識構成がなされるかもしれない現代の状況的なものにせよ。

 しかし、個人レベルであれメディアレベルであれ、メディアや装飾のためのも のではなく、本当に真摯な対話が私たちに存在しているのでしょうか? 個人的 な関係を超越し、正当な自由の感覚によって正道へと向かう対話が。

 真摯な対話とは、元来、自分の自由からのみ出立するものではなく、相手の考 えが自分の考えと異なっていたとしても、相手への敬意と尊重の中で行われるも のです。たとえそれが自分の意に反するもので、相手との同調と離れたものだっ たとしても、そのことが愚かなやり取りや、そこで勝利することへの熱狂へと変 わってしまってはなりません。

 対話の当事者が「無意識」の領域に至り、温和さや相互理解によるやり取りか ら遠のくような言葉が発せられてはならないのです。

 真摯な対話においては勝者も敗者もありません。私たちは結果や相手を納得さ せられなかったことに憂慮する必要はないのです。対話の目的は、真に有益な話 し合いの扉を開けることであり、ある意見を押し付けたり、他の意見を取り除く ような圧力を加えて相手を納得させることではないのですから。

 真摯な対話において、私たちは自分の考えを充分に説明する時間を持つことが 必要です。そして、相手からその考えを持つことの自由を阻止されることなく、 自分の意見を主張しなければなりません。

 真摯な考えを示す必要が増しているというのに、そのような対話への理解は、 まだごく限られた範囲でしか見受けられないようです。制度化された自由や、対 話を保護するのに有効な法律の扉を開くには、長年の時を要するからです。

 このような自由は、政府や国家が制定したからといって実現するものではな く、それは自然に沸き起こる社会的な動きなのです。それは他者との垣根を開放 することによってもたらされるのであり、また、衝突ではない対話の存在や、平 和的な衝突があり得るのだと絶対的に信じることによってもたらされるもので す。対話の真の意味を理解しなければなりません。対話が他者と向き合うことの 意味を超えて、無為に本当の争いに変わってはなりません。

 社会を変えることは、多くの対話を積み重ねてのみ実現されることであり、そ れは国民の意識形成や思考構成を一新しながら、古い認識を変える努力です。私 たちの誰もが、抑制されることなく思ったことを言う正当な権利を持つと言う原 則によって。

 わが国で失敗に終わった多くの対話は、私たちの幻想的な考えに起因するのか もしれませんし、あるいは、みなそれぞれ自分の方が他者より正しく、より完成 された理知を持っていると感じているせいかもしれません。そして多くの人々が そのような感覚を持つのは、文化的、社会的に誤った教育ゆえのことです。その ような教育が国民を受身にし、共同体にすべてを依存させているのです。

 彼らは、自分の社会の道徳を追求したり、表現の自由について理解したり、他 者の考えを知ろうとしたり、自分の不安定な能力を発展させようとしたり、社会 問題への無関心から脱却しようとしたり……といった欲求を持つことなく、自分 の思考を、自分が求める日々の享楽にのみ浪費しています。大胆な動きは、自分 たちを古い時代や閉鎖的習慣から、強い意識や探求や理解力を持つ人々との同調 へと追いやるやっかいなものだ、と思いこんで。


筆者:ナジュワ ハーシム
サウジアラビア女性作家 

(2007年3月27日更新)

                

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