アラブを見つめて
 

【生活の扉】


 もし、すべての人がザカート(喜捨)を供出したならば、この世には、一人の 貧者も残らない、と言われます。また、ザカートがそれに値する本当の貧者や困 窮者たちに届けられたならば、私たちは貧困という減少を撲滅することができる だろう、とも。

 この頃、聖ラマダーンの精神(慈善や分配や助け合いの心を意味する)や、 助けを必要とする人々へ慈善をなそうという力が、私たちから失われているよう に思えます。しかし貧しい人々は、ラマダーンが終わる前にそれを待ちわびてい ます。
 彼らは、自分たちの居所を知る人々から毎年届けられるザカートを待っていま す。

 ラマダーンのサダカ(施し)が日々の糧の柱の一つとなっている純潔な貧者た ちは、自分から誰にも喜捨を求めたり手を差し出したりすることなく、家に留 まっています。ですから彼らは、自分たちを探し出し、ザカートを供出しようと する人々を必要としているのです。彼らはザカートを分配する人を案内し、善へ と導く者を待っています。それらの貧者たちはとても多く存在し、貧困地域や、 足を踏み入れる前に貧しさの匂いが漂うような特定の地域に集中して暮らしてい るのです。

 ザカートを受け取るのは、その心に誇りを持つ貧者や困窮者の正当な権利であ り、その存在を探し求められることこそ、彼らの権利です。正当なザカート分配 のために、貧者や困窮者がその居場所を探し求められるのは彼らの権利です。彼 らはその誇りにより、自ら表に現れることはないのですから。

 また、扶養者が投獄されて収入が途絶えた家族や、暮らしの糧を確保する家族 を失った人々や、苦労して探し回っても仕事が見つからない人々、貧しくても禁 じられている行為を避けて身を守る人々、一日中駆け回っても僅かな糧しか手に できない人々、父や母やあるいは両親を亡くした孤児たち……彼らはみなザカー ト分配のために探し求められる権利を有しているのです。

 周りをよく見渡せば、私たちはどれほど多くの貧者や困窮者が存在しているか に気付くでしょうし、それと同時に、以前より「貧者・困窮者」の枠がどれぐら い広がっているか、という点にも気がつきます。彼らについて不満を漏らす者 や、それに対して「アッラーが彼らに糧を恵まれるのだ、アッラーこそ彼らの扶 養者であり、彼らにはアッラーで充分なのだ……」と平気で言い放つような、冷 酷な心を持つ者たちがいる中で、一体貧者の困窮を誰が共に感じるのでしょう か?

 一体誰が彼らに生活の扉を開くのでしょうか? また誰が寡婦を助け、薬の一 箱も買えないでいる老人を助けるのでしょうか?
 全財産を施したアブー・バクル(r.a.)、財産の半分を施したオマル (r.a.)、オスマーン・ビン・アッファーン(r.a.)、タルハ・ビン・ウバイド (r.a.) ……。

 また、バイト=ル=マール(喜捨や施しを集めて管理する機関)にある施しの すべてを困窮者たちに分配してそのあとでそこを掃除し、(ハリーファとして アッラーへの義務を果たせたことを)アッラーに感謝してそこで礼拝を捧げたア リー・ビン・アビーターリブ(r.a.)が感じた幸福と比べ、私たちに一体どんな 立場があるでしょうか?

 ザカートを受け取るに値する人々が表に出ないで、それに値しない者たちがそ の場所を占めてしまっていても、裕福な者たちは、ただ自らに課せられたザカー トを淡々と供出するに留まっています。このところ、物乞いはより一層その数を 増し、多種多様な物乞いが市場や通りや家々に満ち溢れています。イスラームの 教えはその悪癖を拒んでいるにもかかわらず。それらの物乞い者たちの中には、 さまざまな手口で計略を行う者たちがいます。真実ではない病気を言い立てた り、困窮や身体的な障害を示す虚偽の書類を見せたり、自分の子でもない子を抱 いて施しを請ったり。彼らはいつでも人の善行を当てにし、不当に物乞いした金 を享受しています。

 しかしながら、多くの人々が彼らの悪癖を助長し、物乞いの習慣を続けさせる 手助けをしてしまっているのです。人々は彼らに施しを供出することで、本当の 困窮者ではない彼らの数を増やしてしまっています。他者に差し出すものがある 者は、それを、この国の本当の貧者の許へ届けるべきです。喜捨や施しをしよう と貧者の居所を尋ねたならば、《善へと導く者は、善をなす者と同等である。 (*訳注)》という言葉により、それに値する貧者の許へと導いてくれる人を、 あなたは必ず見出すことでしょう。

 物乞いをする者たちも、自分たちに差し出される手を見出さなくなれば、その 時には自分たちの行いを変えることでしょうし、その数は減っていくと思いま す。きっと彼らの中には自国に帰るものも出てくるでしょうし、働く力がありな がら物乞いに慣れてしまった者も、働くようになるかもしれないのです。


*訳注:この言葉は、預言者モハンマド(s.a.w.)のハディースの一部。善行へ と人を導いた者には、善行をなした者と同等の報いがアッラーから与えられる、 という意味。


筆者:ナジュワ ハーシム
サウジアラビア女性作家 

(2007年1月30日更新)

                

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