ウマイヤ朝の歴史
 

【ウマイヤ朝衰退の原因と終局】
 

ウマイヤ朝は強いカリフたちが政権を担っている間はその力を保ち続けましたが、カリフヒシャーム イブン アブドゥルマリクの死後、弱いカリフたちが政権を担うと国家の政務を怠りました。

ウマイヤ朝が衰退したおもな原因は以下のことに要約されます。

世襲制:
これはウマイヤ家の分裂の原因を作りました。この制度は次代カリフ、次次代のカリフとして2人を任命するものですが、これはウマイヤ家の間に争いを生むこととなりました。例えばマルワーン イブン アルハカムが、彼の2人の息子であるアブドゥルマリク、その後アブドゥルアズィーズを順にカリフにするとした時、またアブドゥルマリクが彼の2人の息子のアルワリードとその次にスライマーンをカリフにするとした時で、これはウマイヤ家の個人間の争いに火をつけました。

部族意識の増大:
イスラームは部族主義を否定しそれを禁じました。預言者ムハンマドもそれを放置するよう述べています。しかし人々の信仰心の弱体化によりそれが再び現れるようになりました。そしてアラブ人の南北の部族間の抗争が台頭しました。また同様にアラブ人とアラブ人以外のムスリムとの間にもそれが現れてきました。当然これは敵意と分裂に火をつけ、それを鎮静させるための努力はウマイヤ朝を弱体化させました。

ウマイヤ朝カリフに対する異端ムスリム勢力の立場:
ムスリムたちはカリフがそれを満たさなければならない条件に関して相違していました。ウマイヤ国家が世襲制という基礎の上に成立した時ハワーリジュ派やその他のイスラーム異端派はそれに抵抗を示しました。彼らとの幾度に渡る戦いがウマイヤ朝を衰退させました。

アッバース家の呼びかけの出現:
ウマイヤ朝後期にアッバース家の呼びかけが活発になりました。アッバース家の者たちはアラブ人・非アラブ人からなる反対勢力の心をつかむことが出来ました。この時の呼びかけの言葉は、「カリフを預言者の家系のものたちへ」というものでした。そしてウマイヤ朝諸地域を制圧し、遂にヒジュラ暦132年最後のカリフであったマルワーン イブン ムハンマドを殺害し、アッバース朝成立を公言しました。

読者のみなさん、このように新国家成立の公言によりウマイヤ朝は崩壊しました。次の機会には、アッバース朝と名づけられた由来や当時の重大な出来事やアッバース朝時代の業績について伝えるために、みなさんにお会いできることを楽しみにしています。

それではみなさん、インシャーアッラー(アッラーが望むのであれば)またお会いしましょう。楽しみに待っていてください。


筆者:リハーブ ザハラーン
アラブ イスラーム学院講師

 

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