ウマイヤ朝の歴史
 

【ウマイヤ朝時代の重要な改革事業の続き】
 

社会・経済面における改革

ウマイヤ朝社会の住民はムスリム・庇護民・ベルベル人・改宗者・奴隷という人々から成り立ち、すべての者たちがイスラームの寛容な保護下に暮らしていました。

経済面について言えば、繁栄していました。
農業面ではウマイヤ家の人々は農業を奨励し、カリフ・地方統治者は井戸掘り・道の開拓・ダムの建設・土地の耕作・人々への農業への奨励を命じました。
当時のおもな収穫物はデーツ・豆類・果物・野菜でした。

工業に関しては、ウマイヤ朝は工業を重視しました。そのために必要な未加工の物質は豊富にありました。それにより鉄や金を加工する鉱物による産業が繁栄しました。また同様に繊維業・皮産業・陶器業・木工業が発展しました。そしてウマイヤ朝はさとうきびから砂糖を製造する産業や食用油製造産業など農作物に依存する産業を奨励しました。

商業に関しては、陸・海の国際商業路がウマイヤ朝を通過することによって商業が繁栄しました。またウマイヤ朝は交通手段とイスラーム諸地域間の結びつき、安全の確保を重視しました。旅行者のための宿の建設、飲料水の確保を重視しました。そのためウマイヤ朝諸地域間の国内商業が繁栄しました。それと同時に、中国・インド・その他諸地域との海外の商業も繁栄しました。



科学・文化活動

ウマイヤ朝時代、専門の異なる全イスラーム地域における学者たちの多さにより知的活動が繁栄しました。ウマイヤ朝時代のモスクは正統カリフ時代のモスクと同様に人々がそこに集まり、様々な知識を学ぶセンター的存在でした。学者たちは人々を教育し、宗教的知識を深めさせました。学者は教師の役割を果たし、その知的サークルには区別なしに社会のすべての者たちが参加しました。

当時の学問の種類は…

イスラーム学:学者たちはモスクにおいて人々へのクルアーンやその解説の教育を熱心に行いました。これらの学者たちのうち著名な者は、ザイド イブン サービト、アブー ムーサー アルアシュアリー、アブー フライラ、クルアーン解説学で有名で、その膨大な知識のため「海」と呼ばれていたアブドゥッラー イブン アッバースで、その他にもここでは紹介しない多くの学者たちがいました。

ハディース学に関してはアブドゥッラー イブン ウマル、ムハンマド イブン シハーブ アッザハリー、サイード イブン ジュバイルが、そして法学においてはサイード イブン アルムサイブ、ウルワ イブン アッズバイルが有名でした。

アラビア語・詩・演説学:文法においてはアブルアスワド アッドゥアリーが、詩に関してはジャリール、アルファラズダク、アルアフタルが有名でした。またアルフッジャージュ イブン ユースフ アッサカフィーは演説で有名でした。

歴史学とその他の学問:学者たちは預言者ムハンマドの伝記の著述のために歴史を重視しました。また当時、歴史はハディース学の一分野でした。歴史学では、ウルワ イブン アッズバイル、アルカースィム イブン ムハンマドが有名でした。
同様にムスリムたちは医学・化学を重視しました。化学に関してはハーリド イブン ヤズィード イブン ムアーウィヤが有名でした。

読者の皆さん、次回はウマイヤ朝時代のイスラームによる諸地域の開放についてお話します。お楽しみに…


筆者:リハーブ ザハラーン
アラブ イスラーム学院講師

 

(→バックナンバー
(→週刊アラブマガジンのトップ


 
↑UP↑

前に戻る


アラブマガジンへもどる

 

アラビア語カフェ | アラブ イスラーム学院 | サイトマップ | ヘルプ



2004年 アラブ イスラーム学院