ウマイヤ朝の歴史
 

【アルワリード イブン アブドゥルマリク】
 

彼の正式名はアルワリード イブン アブドゥルマリク イブン マルワーン イブンアルハカムです。アルワリードはムアーウィヤ イブン アビー スフヤーンがカリフをしていたヒジュラ暦50年にアルマディーナに生まれました。彼は贅沢な生活の中で育ちました。

父アブドゥルマリクは、彼をアラビア語とアラブ文学を学ぶために砂漠に送ることを怠りました。彼の父のこの教育は彼のアラビア語力に影響を与え、彼のアラビア語と文法の力はよいとはいえませんでした。にもかかわらずアルワリードは父親からカリフとしての特出すべき性質を受け継ぎました。父の存命中、次代カリフとしての誓約を受けましたが父が亡くなったヒジュラ暦86年忠誠の誓いを新たに行いました。

アルワリードの業績

アブドゥルマリクは統一と安定のための多大な努力を費やした後、統一された安定した国家を息子に残しました。これによりウマイヤ朝は安定期を迎え、偉大な内政改革とイスラームによる諸都市の開放が行われました。

特に国内では……

1− アルワリードは道を準備し開通させました。
2− これらの道の間に井戸を掘り、井戸の管理者を配置し人々がそれらの水を利用できるようにしました。
3− モスク建設に力を入れ、ダマスカスにウマイヤドモスクを建設しました。またアルマディーナの預言者モスクを増築しました。
4− 孤児たちへの保護に力を入れました。
5− 障害者たちへの保護に力を入れ、彼らに生活保護を与えることを命じました。
6− 病院を建設しました。
7− 旅人たちのための宿舎を建てました。

また国外では……

アルワリードの統治下でイスラーム国家はその領土を最大に広げました。これによりイスラーム国家は西はモロッコとスペインまで、東はインド、トルキスタン、中国国境まで広がりました。

1− クタイバ イブン ムスリムと軍をトランスオキシアナ開放のために派遣し、中国国境までイスラーム軍がたどり着きました。
2− ムハンマド イブン アルカースィム アッサカフィーをシンド地方の開放のために派遣しました。
3− ムーサー イブン ナスィールとターリク イブン ズィヤードがアンダルスを開放しました。

アルワリードの死

アルワリード イブン アブドゥルマリクはヒジュラ暦96年にダマスカスで亡くなり、同地に埋葬されました。彼は48歳でした。アルワリードがカリフに就任していたのは10年と数ヶ月でした。

ワリードの死後、彼の兄弟であるスライマーン イブン アブドゥルマリクが2年8ヶ月間カリフに就任していました。

スライマーンは理知的でアラビア語能力にも長け、捕虜や囚人たちを解放し、犯罪者たちに恩赦を与えました。また民衆に対しても善くふるまいました。

各地へのイスラームによる開放にも熱意を見せ、兄弟のムスリマ イブン アブドゥルマリクをコンスタンティノープル包囲のために派遣し、彼のために巨大な船を用意させました。

そしてスライマーンの統治下でグルジアが開放されました。

またスライマーンは兄弟でなかったにもかかわらず、ムスリムたちの利益を考えて、ウマル イブン アブドゥルアズィーズを次代カリフに任命しました。このスライマーンの選択が正しかったのは疑いありません。

次回は敬虔なカリフ ウマル イブン アブドゥルアズィーズを紹介することにしましょう。



筆者:リハーブ ザハラーン
アラブ イスラーム学院講師

 

(→バックナンバー
(→週刊アラブマガジンのトップ


 
↑UP↑

前に戻る


アラブマガジンへもどる

 

アラビア語カフェ | アラブ イスラーム学院 | サイトマップ | ヘルプ



2004年 アラブ イスラーム学院