アラブ圏を旅してみたら
 

【チュニジア】

(チュニス→カルタゴ→ケロアン→スース→エルジェム)



 カイロから空路チュニジアへ。本当はリビアを通って陸路で行きたかったが、 リビアのビザがなかなか取れないと言う事だったので、飛行機を使う事にした。 陸路で行けない事、あまり時間を取れない事もあり、私は今回チュニジアに行く 気は無かったのだが、連れが「カルタゴを見たい」と言い、学院で同じクラス だった女性がチュニスに留学していた事もあって、行く事にした。

 チュニスに到着した日がイード・ル・フィトルの初日だった。次の日、友人の チュニジア人の知人セイフのお宅へお邪魔し、結婚式や犠牲祭のビデオを見た り、一緒にお墓に行ったりした。イード・ル・フィトルは日本で言うとお盆のよ うなもので、特別な儀式はなく、親戚に会いに行ったりする。お墓はとても明る い感じがした。
チュニジアの家も白い壁が多く、窓やドアがおしゃれで、太陽に良く映える。

チュニス:墓地
チュニス:墓地


 カルタゴへは友人の留学先の人たちと一緒に出かけた。セイフのガイド付でメ ンバーは台湾人、韓国人、私たち日本人が5人の計8人。
チュニスから海岸沿いを走る電車で、景色が良い。カルタゴは思っていたよりリ ゾートな感じで、規模も小さく(見所は何箇所かにわかれているが)シリアやエ ジプトの後だとちょっとガッカリする。モザイクも有名だが、これもシリアの シャハバで素晴らしい物を見てしまったので、すこし物足りない。

 チュニジアではアラビア語よりフランス語で話しかけられるほうが多い。そし て、なんとなく東洋人に対して差別的な感じを受ける。東洋人をバカにする言葉 があるが、他のアラブ圏で言われるより悪意を感じる事が多いのだ。夫曰く、フ ランス語を話す欧米文化という意識があって、東洋人蔑視をする人が多いので は、と。しかし、バスの席取り争いなどは全く秩序があるとは思えずイライラ し、そんな時にスースのホテルのフロント係にかなりバカにした態度を取られ、 喧嘩。おかげでその後いいホテルを見つけ、不幸中の幸い(?)だったが、夫は カルタゴにがっかりした事もあり、すっかりチュニジア嫌いになってしまった。 せめてもの救いは美味しいパンが多かった事と、セイフがとてもいい青年だった 事か。

 セイフは20代前半だが、ラマラの故アラファト議長のお墓の写真を見せたら 「アラファトはイスラエルに暗殺されたんだ」と真面目な顔で言っていた。クネ イトラの事も知っていて、写真をみてすぐ「クネイトラ」と言った。それが少し 悔しがっているように見えた。イスラエル人の友達はクネイトラを見て軽くガッ ツポーズしていたし、かなり温度差を感じた瞬間だった。

 セイフにはクスクスの作り方も教えてもらった。生徒は台湾人と私でアラビア 語の勉強も兼ねての料理となる。途中、鍋蓋のサイズがあわず蒸気がもれていた のを、小麦粉を少し水に溶かしてそれを塗りつけふさいだりと、彼は若いのに生 活の知恵を沢山知っていた。大家族で暮らしているからだろうか。

 結局、あまりいい思い出がないチュニジア滞在になってしまったが、セイフや 一緒にカルタゴへ行った留学生達との出会いが良かった旅だったということで。 まあ、長く旅をしていればこんな事もあるだろう。今回は砂漠に行けなかった し、砂漠に行っていたらまた違った印象になったかもしれないしなあ、と思いつ つカイロへ戻った。

チュニス:スーク。チュニジアは色がとても明るい国だ
チュニス:スーク。チュニジアは色がとても明るい国だ



筆者:丸山 範子      
アラブ イスラーム学院 学生

(2007年5月22日更新)

                

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