アラブ圏を旅してみたら
 

【パレスチナ】



 アンマンからバスでイスラエル国境を目指す。アラブ諸国の中にはイスラエル のビザがあると入国できない国がいくつかあり、今後行く予定のスーダンもその 一つなので、この国境両側でスタンプを押されないようにしないと、あとでスー ダンに入れなくなってしまう。

 ヨルダン側は難なく出国できた。ここは「スタンプ押してくれ!」と言わない 限り押されない事になっているようだ。陸路でイスラエルに入るにはヨルダンと エジプトの2ヶ所があるが、エジプトはスタンプを押されてしまうので、イスラ エル側で押されなくても入国した事がわかってしまう。だから事実上、陸路で移 動し、イスラエル入国跡を残さないようにするにはヨルダンから入出国をするし かない。

 そしてイスラエル側国境。私は2001年にもアンマンからエルサレムに入国 したがその時より入国が厳しい(ヨルダン川西岸の治安は以前より良い気がした が)。噂の「放置プレイ」なる物にも遭遇。2時間本当に放置された。別室送り も何もなし。ただ待つ。なんなんだよー。しかし、2時間で出られればまだまし なのだろう。もっと放置されている外国人も多くいたし、何よりパレスチナ人は もっともっと多くの時間を国境通過に強いられる。ここでただ待たされるパレス チナ人達は私たちに愚痴を言い、そして「welcome to Palestine」と言う。

 私は2001年の7ヶ月間をイスラエルで過ごしたことがあり、その後半3ヶ 月は北部に住んでいた。北部には小さなアラブの村が多く点在していて、アラブ 人達と知り合う機会があり、それが現在アラビア語を勉強しているきっかけだ。 今、学院で呼ばれているアラビアンネームも、その時彼らに付けられたものだ。

 前半、南部に住んでいた時にガザやヨルダン川西岸に行ったことがある。ガザ 地区へ入るのはヨルダン川西岸地区よりチェックが厳しかった。普通の出入国審 査のような物がある。そこでもパレスチナ人は行列を作り、そして皆私に 「welcome to Palestine」と言った。他の国でも、良く「welcome」と言われる が、パレスチナで言われる「welcome」は他よりもっと重い気がする。「この国 の現状を良く見てくれ」と言っているような。勝手な思い込みかな。

嘆きの壁と岩のドーム
嘆きの壁と岩のドーム


 エルサレム旧市街はムスリム、ユダヤ、キリスト、アルメニアの4つの地区に 分かれ、1本違う道に入ると全く違う雰囲気が漂う。その中で一番賑わいを見せ るのがムスリム地区だと思う。5年前に入れなかった岩のドームに行く。見学時 間が決まっていて、アンマンのホテルで知り合った日本人女性が2日間並んだけ ど入れなかったと言っていたので、朝早くから並んで入った。今でも内部には入 れないが青と黄金に輝くモスクはとても綺麗で厳かな雰囲気が漂っていた。

 エルサレムからアラブバスに乗りラマラに向かう。チェックポイントの通過は 以前より楽だった。今回のエルサレム滞在の1つの目的、アラファト議長のお墓 に行くためPLO本部に向かう道を聞くと、皆親切に教えてくれる。「welcome to Palestine」の声と共に。
 本部の入り口では「アラファトのお墓に行きたい」と言うと、あっさり通して くれた。厳しいチェックがあるのかと思っていたので拍子抜けするくらいだ。敷 地の一角にガラス張りの建物があり、その中に3人の兵士に守られて安置されて いた。後から3人の地元民と思われる男性が来た。市民も良くお参りにくるのだ ろう。アラファトに何を祈るのだろうか。


アラファトのお墓
アラファトのお墓


 エルサレムに戻るチェックポイントで、突然イスラエルの兵士4〜5人がこち らに向かって走り出すのが見えた。そしてその後、一斉に伏せて銃をこちらにむ けた。かなり驚き、緊張した。練習だったみたいで勿論発砲されなかったが…… 心臓に悪い。なんなの、パレスチナ人への威嚇!? 周りの地元民は平然として いたので、ここではよくある風景なのだろうか。

 イスラエル出国は入国と比べて恐ろしく簡単だった。


筆者:丸山 範子      
アラブ イスラーム学院 学生

(2007年4月24日更新)

                

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