アラブ圏を旅してみたら
 

【ヨルダン】

(アンマン→ペトラ→ワディ・ラム)



 ダマスカスから朝発のバスでアンマンへ。前日にバスの予約をしていたが人数 が集まらず出発できないはめに……危うくなるところだったがなんとか出発でき た。アラブではバスの出発予定があっても未定なところが困る。

 昼過ぎにアンマン到着。日本人バックッパッカーに有名なクリフホテルに宿 泊。ホテル従業員のサーメルは噂で聞いていた通り、とても親切な人だった。観 光の質問にもきちんと答えてくれる。ラマダン中だったにもかかわらず本当にい ろいろと助けてくれた。
 日本人旅行者からアンマンに巨大な国旗があるとの情報を得て、その国旗と夕 陽を見に夕方アンマン城に行った。正式な道ではなく民家の間の山道を登ってい く。頂上から街を見下ろすと確かに国旗が見える。明らかに遠近法がおかしいと 思わせるような、笑える位かなり巨大な国旗が風になびいていた。すごいぞアン マン。その後夕陽を見ながら持ってきた食事をして帰ろうとすると、警備員のよ うな人に声をかけられた。実はすでに閉園(?)していたらしい。お金を要求さ れたりするかと思ったが取り越し苦労だった。

アンマン:巨大国旗。周りの建物と比較してみて!
アンマン:巨大国旗。周りの建物と比較してみて!


 アンマンからエルサレムへ行き、帰国した次の日にペトラへ移動する。ペトラ 入り口のワディ・ムーサに宿泊。この町は本当に観光客擦れしている。殆どの店 が外国人に法外な値段を言ってくる。店主ともめているとカウンターで隣に並ん でいた地元の若い男性が「この町はロンドンより物価が高い」と言ってきた。そ してホテルの従業員も何かと「ラマダンだから」とやる気がない。
 次の日は朝からペトラ観光。2度目のペトラでもやはり素晴らしい。夫は初め てでかなり感動していた。それだけに町の雰囲気が残念だが、有名観光地だから 仕方ないのか。自分の損得を全く考えていないサーメルが懐かしくなる。

 ペトラからワディ・ラムへ。ここは面白い形の岩が多かった。キャンプ地の オーナーは私にいろいろとアラビア語を教えてくれた。彼が言うにはワディ・ラ ムはまだまだ日本人観光客が少ないらしい。キャンプを少しはなれた所へ宿泊客 達と一緒に星空を見に行ったが、キャンプ地の明かりで思ったほどの感動は得ら れなかったのは少し残念だった。
 次の日、ツアーで一緒になった3人の欧米人女性と一緒にアカバ行きのバスに 乗るはずだったが、キャンプ従業員の言っていた時間にはすでに出発した後で、 彼女達とアカバ行きバスが通るメインルートまでタクシーで行く事に。しかし、 そこで降りてもバスがいつ来るか不安な事もあり、値段は高いが結局アカバまで そのまま行く事になった。従業員との計画的犯行なのではないかと少し疑ったり してしまうが、アカバに無事つければ良しとしよう。

 アカバには12時頃到着。アカバに滞在予定の3人組と別れたあと、観光局を 探し、フェリーの時間を聞くとファスト・ボートが1時半に出発だから今すぐ港 に行けと言われる。スローボートの時間を聞くと未定だと言うので、とりあえず タクシーで港へ向かう。港は大勢の人で大混雑だった。チケット売り場でスロー ボートの時間を聞くとやはり「未定」だったのでファスト・ボートのチケットを 買う。その後出国税を払わなくてはいけないのだが「払わないで出国してやる」 と思うくらいあちこちたらいまわしにされた。
 外に出て船待ちをしていると、アンマンのホテルで少し話したことのある日本 人男性に会う。彼は11時半出発と聞いてきたそうだ。結局、2時頃の乗船と なった。何故か船の乗り場までバス移動。絶対歩いた方が早いのに無意味なサー ビスだ。船の中はわりと綺麗で、乗り心地は悪くなかった。これから2時間弱で いよいよエジプトだ。

ジュラシュ:本文には登場しないが、近所のおじさん達(?)がイベントの練習中だった
ジュラシュ:本文には登場しないが、近所のおじさん達(?)がイベントの練習中だった


筆者:丸山 範子      
アラブ イスラーム学院 学生

(2007年4月10日更新)

                

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