遠くの近い国
 

【スーダン保育園の一日】

スーダン保育園の一日


ここダマスカスにアフリカの大地を映す瞳がある。太陽をたくさん吸い込んだ健康的な褐色の肌をもつその子供達は、今日も一生懸命に毎日を生きている。

スーダン保育園には生後8ヶ月から3歳までの幼児30人程が毎朝スクールバスで通ってくる。8時半にバスが到着するとまだ少し眠そうな子供達が降りてくる。もう一人で歩ける子、まだ歩行がおぼつかない子、2歳になっても歩けない子と、歩道を横切って保育園のドアにたどり着くまでの間にも色々な子がいる。

私がここで週2回のお手伝いを始めた頃、保育園の代表を務めるイタリア人のシスターが幾つかの課題を教えてくれた。その一つに子供たちの言葉の発達が遅いことが挙げられた。実際に2歳を過ぎても言葉を発せない子供が多い。例えば「牛乳」が言えなかったり、「頂戴」というような簡単な要求が出来なかったりする。言葉の発達が遅い子供は意思表示をするときに手がでてしまう。だから保育園では大人がなるべく多くの言葉で彼らと接するようにしている。

朝食が済むと子供達はお昼寝をする。この1時間半が先生たちの朝食と休憩の時間でもある。おしゃべりをしながら和気藹々とした雰囲気の中、一人の先生がスーダンでの生活について話してくれる。祖国では裕福な生活をしていた、と彼女は言う。彼女の旦那はコンピューターエンジニアで月に1,000ドルの収入があった。それがシリアでは10分の1の収入。夫婦共働きをしても食費と子供の学費を払ったら何も残らないと言っていた。彼女を含め戦争によって自国を追われた人々は取り敢えず近隣の国々に非難し、米国やカナダなどの先進国への移住許可を待って暮らしている。つい先日も一緒に働いていたスーダン人女性の一家がオーストラリアへ移住したばかりだ。

こんな話を聞いたり、子供の寝息を聞いたりしているとお昼寝の時間は終わる。13時の昼食を済ませた子供達は外で遊び、15時のスクールバスが迎えに来ると長い1日を終えて帰って行く。

長年に渡るスーダン内戦は史上最長といわれ、200万人の死者と400万人の難民を出した(米国難民協会調べ)。2005年1月9日、スーダン政府とスーダン人民解放軍の間で和解が調印されたが、保育園に通う子供の家族や世界に散らばっていったスーダン人が祖国に帰れる日はいつになるか定かでない。しかし、慣れない土地でのギリギリの生活の中でも希望を持って、親も子も一生懸命生きている。


執筆:白石美紗緒
アラブ イスラーム学院卒業生


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