遠くの近い国
 

【贅沢な時間】


私がシリアでした一番の買い物はここでの時間だ。ここには娯楽も、文明も、足早に行き交う人々の姿もない。あるのは時間だけ。その時間を使って私は本業の勉強をしたり、現地の人と交流をしたり、本を読んで中東問題に思いを馳せたり、遠くの友人や家族に手紙を書いたりしている。日本ではこのような時間が持てなかった。それはなぜか?文明が発達した社会では個人の要領しだいで幾つもの仕事がこなせる。だから一日に3つも4つもと欲張って用事を済ませてしまい、立ち止まることが時間を無駄にしていることにさえ感じてしまう。シリアにいて昔の生活を振り返ると、あの頃は何を忙しくしていたのだろうと思うくらい、ここでは用事がない。そうでなくてもスローペースなシリアではこちらの予定通りに物事が進まないことが日常だから、自分の用事が済まなくても諦めが尽く。

時間が買えるというのはこの上ない贅沢だと私は思う。人には生活を支える時間と時々立ち止まって自分や周りを見つめる時間が必要だと思う。その両方は相乗効果を持っていて、そうして得る結果は個人にとっても社会にとっても価値がある気がする。私のシリア生活はこれまでの教育や社会経験があるからこそ有意義なものである。そして今はシリアから現実の社会を客観的に眺め、ここで考え経験したことがまたやってくる世界で還元できるように電池を充電している。

*   *   *

ダマスカスでの生活の中でもう一つ贅沢な時間がある。それは都会の喧騒から逃れてホテルの中華料理屋で食事をするときだ。ダマスカスに数軒ある中華料理屋の内2軒がホテルに入っている。外食産業の発達していないシリアで、ましてや外国料理ともなると現地の料理に比べて割高だが、その分、大衆食堂的な雰囲気はなく心も体も休まる。シリアにきて2週間目にインフルエンザにかかり食事を作る気力もないとき、何か食べ慣れた味をと30分も離れた中華料理屋に這うようにして行ったこともあった。そのくらい中華料理は私にとってもこの町にとっても貴重な存在だ。アジア各国の料理屋が一店舗ずつでもあればなと思う今日この頃だが贅沢は言っていられない。通える店がひとつでもあるのは有り難いし、その存在は私のシリア滞在の大きな心の支えだ。


執筆:白石美紗緒
アラブ イスラーム学院卒業生


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