遠くの近い国
 

【偏見との戦い―アラブへの歩み寄り】


アラブの国々に面識がない外国人にとって、その印象とはどのようなものだろう。イスラエル―パレスチナ問題や、記憶に新しいところでは湾岸戦争、「9−11」、イラク戦争など、中東に対しては「戦地」「危険」「怖い」といった印象が一般的に持たれているのが現状だと思う。

理解不足と偏見はどこの国にも、どこの国に対してもある。日本に対しても例外ではない。外国人が日本について一応に言うのは「車」と「高物価」。しかし、貨幣価値が日本よりも低い国からきた外国人にとって日本の物価が高いのは当然だし、日本人がどのくらいの収入を貰っているかまでは知られていない。

全ての偏見に共通しているのは、その源泉が無知と無関心からきていているという点だ。そして「恐怖度」もまた無知によって増す。私がアラブ諸国およびイスラム教に関して弁護したいのは、彼らは私達が思っている以上に平和を好む人々だという点だ。例えば、彼らは他人の成功を嫉んだり、他人との比較によって自分に劣等感を持ったりしない。腕力で行使することも好まない。だからシリアの犯罪件数は全国土を合わせても東京より少ない、というよりも犯罪そのものがシリアでは皆無に近い。それは東京との人口差や貧富の差有無の問題ではなく、シリア人の安定型思考によるものであり、彼らが家族を基盤とし、対人関係を重視する社会に暮らしているからである。ある日ホームステイ先のテレビで日本のニュースが流れ、インターネットを通じて知り合った人々が自殺をしたと伝えられた。滞在先の家の母親は「何で彼らは自殺をしたのか?生活に困ったのか?」と私に聞いた。私はつたないアラビア語とジェスチャーで「お金が問題なのではおそらくない。彼らは心の病気なのだ。」と話した。物理的に満たされた世界、しかし人々の心は満たされていない。アラブを恐れている日本人だが、命の重みを知っているのはもしかしたら彼らの方かもしれない、と考えたことはあるだろうか。

偏見との戦いは周囲に関心を持つことから始まる。そのためには一人一人が時間と心に余裕のある人生を送っていなければならない。確かに中東には争いが耐えない。ではそれはなぜなのか、今一歩進んで関心を持つことが知らない事を理解する上で大切である。一般の報道は他文化の相違点に偏りがちだ。しかし、類似点にも焦点を当てることで恐怖心もおのずと消えていく。アラブ人は人生の中で何に重きをおき、何を幸せと感じて生きているのだろう?そんな疑問を持ちながら彼らの世界を眺めると日本との共通点もたくさん見えてくる。大きな戦いも、始まりは個人単位の小さな戦いだと思う。


執筆:白石美紗緒
アラブ イスラーム学院卒業生


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