アラブ社会
 

【なぜイスラームの複婚制が恩恵なのか?(2)】


前回の記事では、イスラームにおける複婚制を個人的・社会的状況から正当化す る口実を取り上げた。さて今回はお話を始める前に、沢山の人の頭に浮かんでい るであろう質問に対して答えを提示したいと思う。その質問とは:あなたが取り 上げた口実の数々が夫の妻に対する複婚制を許すというなら、なぜ同じような口 実のもとで妻の夫に対する複婚制が許されていないのか?

その答えは:なぜなら複婚の上での男女の平等は、生得的に、そして肉体の構造 的に不可能だからである。女性は1度に1回、1年間通して妊娠するわけだが、 男性はそうではない。男性は複数の女性から複数の子供を得ることが可能だが、 女性は男性1人から通常1人の子供を得るだけなのだ。女性が1人以上の男性と 交渉を持てば、子供の血縁と父親の特定が困難になる。そして当然男性について は、複婚においてこのような問題に直面することはない。

そしてもう1つ。どの社会においても男性には家族の長という役割がある。妻に 複婚を許したら、一体誰が家族の長になるのであろうか?交替制を用いるのだろ うか?それとも一番年長の者か?そして妻は誰に従えばいいのか?個人の志向性 は異なっているから、全員に従うのはとても無理な話だ。だからと言って誰か1 人を特別視すれば、それは他の男性たちが厭うところのものであろう。例の質問 は真面目さからは程遠い奇妙なものに映る。また、イスラームは女性に離婚申請 の権利を与えている。女性が夫に忌み嫌われる欠点を見出し、それをイスラーム 法が承認した場合、彼女は別の夫と結婚するために彼と離婚することが出来るの だ。さてそろそろ複婚制の真実の話に戻ることにしよう。公正さと現状に則する ために、複婚制の消極的側面を挙げていきたいと思う。その重要なものとしては 次のような点がある:

1.妻たちの相互の敵視、嫉妬、口争いなどは夫婦生活を破壊し、夫の心を妻た ちの無益な争いで忙殺させる。これらのことは夫の人生を到底辛抱の出来ない地 獄のようなものにし、妻たちの人生を終わりのない不幸で満たす。

2.このような敵意は多くの場合、妻たちの子供にまで転移する。このような状 況のもと兄弟は敵意と憎しみの中に育ち、結果として家族問題にまで発展するこ とが多いのだ。そして特に父親は夫婦生活の安定と幸福において、非常な悪影響 を被ることになる。

3.主(アッラー)が仰っているように、夫は例えどんなにお金や関係といった 点で公正を貫こうとしても、愛情という面において妻たちを平等に扱うことは出 来ない(訳者注:クルアーン4:129参照)。夫は新しい妻ほど気に入る傾向 があり、そのような現象は先妻の心をひどく傷つける。そして以前は彼女に尽く してくれていた夫に、飲食や住居、愛情や心遣いなどの面において競争相手が出 現することで、彼女を恨むようになる。愛情というものは、共有や競争を受け入 れないものである。だから新しい競争相手の出現の後、夫の愛情が先妻にだけ留 まっていることなどありえないのだ。このような苦痛は耐えがたいもので、ここ から争いや意見の相違などが勃発し始める。

実際のところ私はこれらの複婚制の消極的側面について、夫側に最大の責任を見 出している。決定権を持つ彼こそが全ての責任を負い、その妻たちの間のことを 公正さと熟慮と英知でもって解決し、優れた取り計らいをしなければならないの だから。ただ1人の女性の心をつかむことすら簡単なことではないのだ。それか ら妻の方にもその立場上、これらの複婚制の消極的側面における責任があると言 える。多くの妻たちは例え自分の夫が公正な人物であったとしても、彼が他の妻 と結婚することを潔しとはしない。私は実際に心臓を切り裂かれるような話を耳 にしてきた。例えば夫が他の妻を娶り、第一婦人を顧みなくなってしまい、ひど い場合は彼女との間の子供たちのことまで知らん振りしてしまうといったケース などである。

でも果たして消極的側面のないシステムなどあるだろうか?それに世の中のこと は、人が望むようにばかり進むものではない。一部間違っているのをそれが全て と捉えるべきではないし、個人の罪ゆえに全体が罰されるべきでもない。例えば 現代において教育はいかなる人にとっても最強の武器であるが、その知識を爆弾 や麻薬の製造などに活用する人たちがいることは誰も否定できないだろう。そし て彼ら一部の特異な人々ゆえに教育制度を禁止するのは、ナンセンスなのではな いだろうか?

実際のところ、複婚の弊害の多くはイスラームの正しい実践と人格的教育によっ てかなり軽減されるだろう。そしてこの複婚のシステムは必要性がない場合実行 されるべきではなく、そしてその必要性にもまた規定がある。私の意見ではその 場合の複婚ですら苦痛や犠牲を伴うものである。しかしもし正当な必要性ゆえに それが義務付けられる状況になったら、複婚はそれに付随するあらゆる苦痛や犠 牲を耐え忍ぶべき合法的対処法となる。そしてもし必要性がなかったら、それは 知性的な人であれば敢えてしようとはしない馬鹿げた行為となるであろう。

そして複婚制を女性の視点で見てみれば、殆どの女性は快く他の妻を受け入れる ことなど出来ないだろう。そうなれば他の妻との競争や衝突などによる苦痛が生 じるのは、明らかなことなのだから。男性がそう望むならば複婚は可能だが、先 妻への思いやりを断ち切ることなどどうして出来るだろうか?女性は男性が彼女 を騙せることも、内密に複婚をして内密に逢瀬を重ねることが出来るのも知って いる。一方ちょうど欧米人や、私たちの国の心が歪んだ人たちの生活に現実とし て起こっているように、彼女はそれに対して彼を押しとどめることも、禁じるこ とも出来ないのだ。それゆえ彼女は彼女自身にとっても、夫にとっても、もう1 人の妻にとっても、このような逢瀬が彼女の了承のもとで行われることを望み、 そしてそれが主とその預言者(訳者注:ムハンマドのこと)が認証した形のもの であることを望むのである。

さて妻が1人であることに満足せず、その上先妻を愛さない夫であったらどうで あろう?先妻は傷つかないだろうか?彼女の人生は侵害されたものとはならない だろうか?彼は夫婦生活における彼女の幸福を奪ってしまわないだろうか? ・・・しかしかと言って彼女に何が出来るのだろう?夫に自分への愛を強制する のか?それは不可能だ。それでは夫を家に閉じ込め、彼が自分を愛すようおまじ ないでもするのか?しかし愛というのは競争相手を受け入れないばかりか、強制 も受け入れないものである。自分を愛してくれない夫という試練は、運命の定め たもので、その精神的苦痛を和らげる方法はない。そこで彼女は離婚によって夫 の全てを失うか、あるいは複婚によって夫の半分を失うか、どちらかを選ばねば ならない。果たしてどちらが大きな損失と苦痛だろうか?私自身も夫を愛する妻 の1人だ。夫の私に対する愛情についてはさておき、離婚した女性の直面する問 題と現実を知る私の答えはこうである。「私は離婚は断然拒否し、あなたが第2 夫人を娶ることを了承します。」

もしかするとある人たちは私が余りに弱いとか、あるいは私が男性の肩を持ちす ぎとかお思いかもしれない。しかし後者に関しては、私も1人の妻であり、他の 妻を娶って欲しくない夫がいることを忘れないで欲しい。そして前者に関して は、私にとって弱さというのは「おめでとう」と言って、夫を誰かに完全に手渡 してしまうことであり、私はそれよりは苦汁を飲むことを選ぶ。そして何よりも 複婚に関する私の信念は、イスラームという私の宗教の中に存在する天啓法とい う正義に対する深い信仰から来ているのだ。敬愛なる読者の皆さんに知って頂き たいのは、イスラームにおける複婚制というのは道徳的、人道的なもので、そこ にはこれっぽっちの不正もないということだ。道徳的というのはつまり、男性に 好きな時に好きな女性と懇意になることが許されないということである。夫の裏 切りや、彼が女性から女性へと渡り歩くのを認めるのに、彼にもう1人の合法的 な妻が出来ることを拒むとはどういうことであろう?付け加えよう。イスラーム において男性は最初の妻の他に、3人までしか女性を娶れない。そして内密に娶 るのではなく、例え少人数であっても彼らの前で結婚の契約とその布告をしなけ ればならない。そして妻となる女性の後見人がこの法的手続きを知り、それに合 意することが条件付けられているのだ。

そして人道的というのはつまり、男性が夫のいない女性を保護することで社会の 負担を軽減するからである。そして彼女は保護された妻たちの仲間入りをする。 また彼女には結婚契約において婚資金や家具を贈られ、社会の労働人口を生産す る社会的基本単位としての貢献度に見合った代価を支払われる。そして男性は夫 婦となった結果妊娠した妻の身体的・精神的負担を支え、妊娠や出産において経 済的負担を負う。また夫婦の間に生まれた子供は認知され、尊い愛が結んだ実と して社会に提供され、子は両親を誇り、社会はその未来を誇ることになる。

複婚制は人の欲望をある程度まで制限するが、その精神的・物質的負担および責 任は際限なく倍増する。複婚制は道徳を保護する道徳的システムで、人間の尊さ を守る人道的システムであるが、一方欧米人の生活における現実的「複婚制」は どうであろうか?私は彼らのそれが道徳的でも人道的でもなく、法律で定められ ているわけでもないのに現象化しているように見える。それは法律の許す範囲で 起こっているが、「夫婦」という言葉の代わりに「男友達」「女友達」という名 に姿を変えて起こっているに過ぎない。そこには4人までなどという数の制限は もはや存在しない。親族が歓迎するような公けなものはなく、むしろ秘密裏に行 われる。交渉を持つ女性に対して経済的責任を義務付けるものもなく、逆に彼女 らの高貴さには泥が塗られる。それから彼女らは屈辱と恥辱、貧しさの中に放り 去られ、非合法な妊娠と出産の苦痛を忍ぶのだ。そこで生を受けた子供たちは認 知されるとは限らない。それどころか私生児と見なされ、彼らの人生には姦淫と いう辱めが付きまとい、顔を伏せて生きていくことになる。これは複婚制と名付 けられてはいない複婚制であろう。そしてそこには道徳的行動も、正常さも、真 摯さも、人道的感覚もない。欲望と私利に翻弄された「複婚制」で、全ての責任 から逃れようとする類のものなのだ。一体どちらのシステムがより道徳的に適 い、欲望を抑制し、女性を尊重し、高貴かつ人道的だろうか?

これらの事実を取り上げた後、今私は読者の皆さんに、現代イスラーム世界にお いては複婚制の問題というものは存在しないと言うことが出来ると思う。アラ ブ・イスラーム世界における結婚・離婚の統計によると2人以上の妻を持つ者の 割合は非常に低く、0.1%にも及ばない。その原因は社会生活の発展や生活水 準の向上、子供の生活や教育・医療における出費の増加などによるものかもしれ ない。またそれに加え、現在の夫は以前と比べて、家庭内の物事や問題などにそ れほど集中出来なくなってきている。彼は1人の妻とその子供たちを監督し、彼 らへの義務を果たすだけでも精一杯なのだ。どうして更に新しい負担や問題を自 らに課すことが出来るだろう?

最後に。このテーマを私が明確に説明出来たこと、そしてなぜアラブ・イスラー ム社会において複婚制が「恩恵」だと私たちが言うのかを読者が理解してくれる ことを切に望む。


筆者:ラシャー マンスーリー
アブドルアジーズ国王大学元研究員

                

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