アラブ社会
 

【なぜイスラームの複婚制が恩恵なのか?(1)】


私がこのテーマについて書くのは、この考えに対する人々(特に日本人)の様々 なリアクションを垣間見てきたためだ。

人々の複数婚(男性が同時に4人まで妻を娶ることができること)に対する考え は、余程のことがない限り、通常次の2通りに分かれる。つまり1つ目は、複数 婚が義務的なものであるとの思い込み。それで「あなたのお父さんには奥さんが 何人いますか?」とか「あなたの旦那さんは何人の妻と結婚しようと思っている の?」とか、突然訊いてくるのだ・・・。そしてもう1つのケースは、そもそも 複数婚を否定している人。それで私が2人以上の奥さんを持っている人物につい て話そうものなら驚愕し、それに対する非難と否定の議論を始める。

私は今までサウジ社会、及びイスラーム社会における家族とその重要性について の多くの執筆を重ねてきた。そして今回は、読者の方々にイスラーム社会におけ る複婚の考えを明確にし、それに伴う長所と短所、そしてその必要性と条件、限 度、女性側の立場などを説明しなければならないという義務感を感じた次第であ る。

尚このシリーズの最後には、複婚に対するイスラーム側と非イスラーム側の考え の簡単な比較作業を行ってみたいと思う。読者の方々に謎になっている真実の ベールを、この限られたスペースの中で少しでも明らかに出来れば、と主アッ ラーに願ってやまない。

さて前置きはこれくらいにして、複婚のテーマに入ろう。

宗教家、オリエンタリスト、植民地主義者などからなるある種の偏狭な欧米人た ちは、複婚制の存在ゆえにイスラームとムスリムを攻撃する。そしてそれがイス ラームの女性迫害、女性がムスリム男性の欲望の捌け口として利用されているこ との証拠としている。彼らはこのような情報を広め、人々の心にこういったイス ラームに対する悪印象を植えつけようとしているが、現状はこのような考えとは 異なっている。イスラームが現れた当時、世界では既にあらゆる民と社会の掟と して複婚が広く受け入れられていた。イスラームは初めて人類に複婚制をもたら したのではなく、それは歴史も証明している。つまり複婚制はアテネ人、中国 人、ユダヤ人、ベルベル人、アッシリア人、エジプト人などの間にも存在してい たし、それどころか多くの民の間では複婚制における妻の数さえ制限されていな かったのだ。例えば古代中国のある王朝では妻の数を130人まで認めたという し、ユダヤ教では妻の数に制限はなく、旧約聖書の中で預言者ソロモンには70 0人の自由民の妻と300人の奴隷女がいたという。またキリスト教について も、妻の数を制限する明確な規定は存在していない。ただ平常の場合、男性は1 人の妻で間に合わせるべきであるという、訓戒の言葉があるだけだ。彼らには 「主は全ての男のためにその妻をお創りになられた」という言葉があるが、それ は男性が第一婦人を扶養しつつ第二婦人を娶ることが姦淫と見なされ、最初の結 婚が無効となる証拠にはなりえない。このような例は実に沢山ある。

このように、歴史はイスラームが初めて複婚制をもたらしたのではないことを証 明している。そして現在まで私たちの手元に現存しているクルアーン(啓典コー ラン)とスンナ(預言者ムハンマドの言行録)は、イスラームという教えが初め てこの複婚制という習慣に改革のメスを入れ、そこに条件と制限を設けた事実を 明らかにしている。まず第一の改革は、妻の数を最高4人までに制限したこと だ。これは先に挙げたように、時に100人にも達した他の社会の複婚制に比べ れば、非常に大きな改革であったと言える。それから妻たちに対して平等に接す る、という点に関しても強調が成された。それゆえ平等に扱うことに対して自信 がない場合、2人以上の妻を娶るべきではなく、それは神のもとで罪深いことと された。ここで条件付けられた平等とは物質的平等のことで、住居、衣服、食 事、寝室など、妻たちとの生活に関わる事柄全てにおける平等のことである。イ スラームは現実に則して物事に対処する教えなので、妻たちへの愛情の平等まで は要求されていないし、条件付けられてもいない。心というものは赴くままに傾 き、また揺れ動くものであるから。しかしその一方、ムスリム男性の意識という ものは神とその監視への畏れ、神の命に従うことによって得られるところの報酬 への願望、それに反した際の懲罰への恐れ、などのもとに形成されている。また 夫は、妻たちの間で望みのままに独裁的に振舞っていいというわけでもない。そ れどころか夫は自らを監視し、特定の妻に対しての義務を怠ったり悪く接したり することを自らに禁じ、自らの心に対して信仰と正義を通さねばならないのだ。 イスラームがもたらしたこういった掟と条件、及び先人たちのその実践により、 イスラーム初期時代の家庭は高い徳によって築かれ、愛情に満たされ、その隣人 たちとの間には誠心と信用が敷衍していたのである。それは妻が1人だけの家 (これが大多数のケースだが)であろうと、2人の家(複婚の大多数のケース) であろうと、また3人であろうと4人であろうと変わらない(現代ではこのケー スは非常に稀である)。

複婚制のテーマを感情を別にして論理的に判断してみれば、沢山の良い点もある ことに気付くだろう。しかし良い点とは複婚制それ自体によるものではない。単 婚制の方が人間の生理的によりそぐうものであり、実際家庭をより堅固にするだ ろうし、家族間の愛情もより多く養われることに疑念はない。それゆえ単婚制は ごく自然なシステムだろう。知的な既婚者は、必要に駆られない限りそこからは み出たりしない。そしてその必要性とは、それをすることで彼が讃えられるべき 種類のものであり、かつ彼を良き報いで満たすものである。理性的かつ賢明な既 婚者は、これらの必要性を否定はしないであろう。それは社会的必要性と個人的 必要性の2つに分けられる:

1.複婚の社会的必要性:沢山ある中でも、それが起こりえることを誰も否定で きない2つのケースを挙げよう。

A.男性の数に比して女性の数が多くなった場合。そしてそれが普通であり、多 くの国で観察されていることであり、過去のいかなる時代よりも現代において数 多く現象化している状況である。例えばヘルシンキ(フィンランド)のある産婦 人病院のある医者は、男子の新生児の数が4人に1人、あるいは3人に1人でし かなく、残りは女子であることを確認している。このような状況において複婚制 は社会的に、人道的に義務的なものになる。余分な数の女性たちが家族も身を寄 せる場所もなく巷に溢れている状況になることよりは、複婚の方が遥かに望まし いであろう。また、複婚制よりも売春の蔓延を選択する社会システムの確立を望 む人などもいないだろう。欧米諸国では統計的に私生児の数が増加し、社会研究 者たちを憂えさせている。これらのことは男性を1人の女性のみに制限すること と、家庭のパートナーを得る合法的手段を見つけられない女性数増加の結果以外 の何ものでもない。

B.女性数に比して男性数が足りない現象の理由の1つには、戦争やその他の災 害の結果による男性の数の激減がある。ヨーロッパ大陸は約4分の1世紀間大戦 のさなかにあったが、それによって何百万人もの若者が犠牲になり、大多数の既 婚女性がその家族を失った。そして彼女らはもし仕事を見つけたとしても、知り 合う男性といえば生き残った既婚男性たちだった。それで結果として彼女らは、 それらの男性が彼らの妻たちを裏切るよう、あるいは彼らと結婚するために彼ら をその妻たちから奪うべく彼らを誘惑し始めたのである。夫のいる既婚女性たち はこのような心配と別離と災難にあふれた状況の中で、夫を失った既婚女性各1 人ずつを各既婚男性にあてがうという苦い選択を見出した。そしてドイツを始め としたいくつかのヨーロッパ諸国では、複婚の許可を請願する―欧米人の耳には より当たり障りのない「男性に妻以外の女性を1人扶養させる義務」という表現 で―女性団体が創設された。

2.複婚の個人的必要性:複婚によって解決される個人的問題は沢山あるが、そ のうちのいくつかを取り上げることにしよう。

A.妻が不妊症だが、子供が欲しいという場合。その解決法は2つしかない。そ の妻を離婚するか、あるいは彼女とは別に他の妻を娶るか、だ。そして後者の方 が前者より徳の高い選択であるのは疑念の余地がないところだろう。私はこのよ うなケースを沢山見てきているが、中にはその妻自身が夫に別の妻を娶るよう促 したり、あるいは彼女自身が彼にふさわしい妻を捜すケースすら目にしている (そして彼女はいたってクールかつ良心的なのだ)。彼女は子供を産んでくれる 女性を探すために夫が彼女を離婚するよりは、彼の人生の伴侶であることを、そ して合法的な妻としての権利と社会的に高貴なその立場を享受することを望んだ のである。

B.妻が長期の、あるいは感染症的な、あるいは接触を拒むような病に罹ってお り、夫が彼女との性行為を営めないという状況。この解決方法も2つある。1つ は道徳、人道、忠誠といった面において道を踏み外し、病気の彼女を不名誉をか けてでも放棄し、彼女を離婚すること。そしてもう1つは彼女とは別に他の妻を 娶り、彼女のことも扶養し続けることだ。その場合彼女には妻としての権利があ るし、医療など彼女が必要とする全ての面において夫に負担を求めることが出来 る。そしてこちらの方がより貴く優れ、病気の妻により多くの幸福を保証する選 択になるのは疑いないであろう。そして夫の方もまた同様に違いない。

C.夫が仕事などの理由で長期間の旅行状態にある場合。そして外国での滞在期 間が時に何ヶ月にも及び、旅行に妻子を同伴できず、かつその長期間1人で暮ら すのが困難な場合。ここでも2つの状況が考えられる。1つは合法的ではない方 法で女性を探し、彼女に慰安を求めること。この場合彼女にも、その子供たち (彼と母親との関係ゆえに、彼の元にやって来るかもしれない)にも法的な妻や 子供としての権利はない。そしてもう1つは別の女性と結婚し、宗教的にも道徳 的にも社会的にも合法的な共同生活を送ること。この場合子供も社会が認める合 法的な子供となり、他の国民同様尊重されて養育される。そして私の考えでは、 まっとうな論理、冷静な思考、現実的な状況のどれをとっても、この場合複婚の 方が好ましいのではないかと思うのだが。

D.そして率直に申し上げなければならない、もう1つの状況がある。それは夫 に妻1人では満たされないほど強い性欲がある場合だ。それには妻側にその原因 があることもある。つまり妻が余りに年老いている場合、または性交渉の許され ない期間(生理、妊娠、悪露、あるいは他の病気など)が個人的に非常に長い場 合などである。このような状況において最善の選択は、夫が辛抱することであろ う。しかし彼が辛抱できない場合はどうなるだろうか?現状から目を背けるだろ うか?この問題をどう解決しよう?彼に他の女性を貶めるところの不法性交渉を 許すのか?それはイスラームの教えにも、人道にも背いているだけではなく、彼 女とその子供たちの権利をも踏みにじることだ。それとも彼に合法的な他の妻を 許すだろうか?そうすればそこにおいて彼女は高貴さを保ち、権利を与えられ、 彼女の子供たちも彼の法的な子供と見なされる。

それでは話が長くなったので、この辺で筆を置こうと思う。主の思し召しがある ならば、次回は複婚制の消極的側面とそれに関する諸テーマについて書き送りた いと思う。それではまた。


筆者:ラシャー マンスーリー
アブドルアジーズ国王大学元研究員

                

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