日本のシンドバッド
 

【エジプト篇 その3】
 

ムスリムとして生活する上では、エジプトに限らずアラブ社会は本当に住み心地がいいものである。日本では普段からどの食べ物がハラ−ルだとか、ハラ−ムだとか気にしなくてはならず、礼拝するにしても礼拝所があちこちにあるわけでもない。

さて。カイロにおける私の常宿、サファリホテルの建物の1階は礼拝所になっていて、アザーンが流れるたびに礼拝のため足を運んだものだった。だが自分のような東洋人が一人だけ混じっていると、かなり目立ち周りからの視線を一身に受けることになる。最初はそれがイヤだったものの慣れてしまえばどうってこともなく、また毎回足を運んでいるうちに顔見知りも増えるので案外楽しいものとなった。時には家に招待されて食事をご馳走になったりもする。そこで知り合ったアブー・ムハンマドというサウジ人の爺さんは私のことをとてもかわいがってくれたのだが、ある日腕を引かれ連れて行かれたのは地元の床屋さん。自分では短い髪のつもりなのに、爺さんいわく「髪が長いのはマダムなのだから、もっと短くしなさい」とのこと。髪をさらに短くすること自体には問題はなかったものの、そこの理髪師はなんといってもエジプシャン。とても腕前を信用することはできず、その場は「日本に床屋の友達がいるから彼に頼む」とうまく切り抜けた。それ以外にも食事を一緒に食べた時など「スプーンも右手で使いなさい」とか細かく注意されたものだ。まあスプーンやフォークならともかく、もし箸までとなったら大変なことである。私は元々左利きなので、箸を右手で使うことができない。もっとも普段エジプトで箸を使って食事することなどまずないのだが。爺さんがサウジに帰る時、その別れ際にはとても寂しそうな顔をして「またカイロに来るから、この礼拝所で会おう」と言われた。「インシャーアッラー」と答えると、爺さんから生活費の足しにいくらかのお金を渡された。その後も旅行中に何度もサダカを受け取ることがあった。それには本当に感謝している。

私はカイロ滞在中、時にはジャーミア・アズハルやジャーミア・フセインまで金曜日の集合礼拝に出かけたものだが、人の数がまた凄いこと。特にジャーミア・フセインなど、礼拝するスペースの確保すら難しいくらいだった。またこちらに来てフトバを聞き、思うのが皆、雄弁だなということ。そして私なんかに演説の内容などあまり理解できないが、彼らは原稿も持たずに延々と30〜40分くらい話し続ける。それからイラク問題、パレスチナ問題に関しての抗議なども礼拝終了後に行われていた(当然、イマームなどは関係ない)。エジプトでは集会の自由や政治的運動が認められていないのだが、ジャーミア・アズハルの中などでは大目にみられているようだ。そういった運動員が口々にアメリカ・イギリスの批判を繰り返していることくらいは私にもわかった。また彼らがいつ暴徒と化して何を仕出かすかわからないからか、金曜日の集合礼拝の時、有名なモスクの周りには常に武装警官が配置されている。彼らの訴えというものはどこかに届くのだろうか。そして何かを生み出すことができるのだろうか。

執筆:石和田 宏志
アラブ・イスラーム学院卒業生

                

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