日本のシンドバッド
 

【スーダン篇 その2】
 

ハルファでは喉の渇きを癒すためにひっきりなしにカルカデ(ハイビスカス茶)を飲んでいた。ビタミンCを多く含む赤い色のお茶である。また汗をかくと体内の塩分も失われるため、その補給には学院の友人からお餞別でいただいた「塩」が大いに役立った。私は宿の前でお茶を出しているナスラという女性にお茶を入れてもらっていたのだが、彼女はこの上なくのんびりしていて、しかもお金のやり取りが面倒なのかいつもツケでまとめ払い。そして催促してこないので何杯飲んだか二人とも忘れてしまい大体のところを支払っていた。このアバウトさがスーダンの田舎なのであろう。また同じ宿に泊まっていたジブチ人の学生たちと仲良くなり、ハルトゥームまでは彼らと行動を共にすることにした。連れ合いができるとなんとも心強いものである。彼らはアフリカン大学の学生で、夏休みをカイロで過ごした後のスーダンへの帰路の途中だとのことだった。さて。うわさとはどこでもあるもので「列車の出発がさらにもう1日延期になった」という話までどこからともなく流れた。しかしそれはデマで1日の遅れで列車は出発してくれた。さすがにこれ以上のハルファでの滞在だけは御免である。

それにしてもさすがスーダンの列車。とにかく遅い。ちんたらちんたら景色の変わらない砂漠を走り続ける。しかも、ある程度南に来たところでは進みがさらに遅くなり、気が付けば空には雲があり水溜りもちらほらと見掛けるようになる。そう。ハルトゥーム周辺の7・8月は雨季だという話を聞いていたがそれは本当のことらしい。その雨のせいで今度は列車がなかなか動かないのだとか。車内で偶然知り合った在日スーダン大使館職員、ファイサル氏の勧めによりアトバラでバスに乗り換えハルトゥームに向かうことにした。またこの列車での移動途中、礼拝に関して特別な体験をした。普段、礼拝の前にはウドゥーといって水で身を清めるのだが、わずかな飲料水しか持ち合わせていない場合等には砂を使って顔と腕を撫でるタヤンムムといった行為を行う。知識としてその方法は知っていたが、入信して10日足らずの自分がまさかタヤンムムすることになるなど想像もしていなかった。

ハルトゥームの町はお世辞にもきれいと言えるようなものではなく、この時期は埃っぽいところにバケツの水をひっくり返したような感じであり、ナイル川はスーダン南東部が70年ぶりの大雨に見舞われたとかで増水しており濁流が渦巻いていた。しかもアハマド先生に案内されたユースホステルは改装中でまるで廃墟のような建物だった。だが1泊2ドルほどの宿泊費では文句も言えまい。このユースホステルではスーダンのジュニア・バレーボールチームの子と一緒で、ごくごく普通の少年たちの生活を垣間見ることができた。しかしここに泊まっていて残念だったのはスーダン人のひとの善さにすっかり油断してしまい、カメラを盗まれてしまったことだ。普段は常に持ち歩いているのに金曜日の集合礼拝に出掛けた時、部屋に残していったままだったのをやられたというのは非常に悲しいことである。アハマド先生は自分が悪いことをしてしまったかのように「アーセフ(ごめんなさい)」と謝ってくる。なんとも後味の悪い出来事だった。でも1週間のハルトゥーム滞在中、アフリカン大学や学院スタッフ・アクラムさんのご実家、ガーダ先生のお宅、そしてアハマド先生のお宅。それぞれの場所で温かいもてなしを受けたことには本当に感謝している。

けっして観光地ではないスーダンだけれども、気に入ったところは結構ある。まずはスーダン人の気質。とにかく穏やかでやさしい。どちらかというとエジプトを跳び越して、イラク人やシリア人に似ている感じがするのはなぜだろう。そして家庭料理がとても美味しいということ。外で食べることができるのはフールやハンバーガーくらいなのに、一般家庭の食卓に並ぶ食事はまったく別物である(もしかしたらはるばる日本からやってきた私のために、気合入れて作ってくれたのかもしれないが)。そしてこの田舎さ加減がまたいい。それほどモノがなくても生活できるんだなということを再確認できた。カイロの喧騒も活気があって好きだが、それと対照的なこの国もまた魅力的で将来はスーダン人と結婚して住み着いてもいいくらいだ。ただしスーダン人女性は恰幅がいいので、嫁さんの身体が私より大きいことは覚悟しなくてはならないだろう。

執筆:石和田 宏志
アラブ・イスラーム学院学生

                

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